Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー29

昨夜ほとんど眠っていない事と、極度の緊張から開放された要は昼過ぎからアキラの部屋で眠ってしまっていた。はっと気付いて、起き上がると外はとっぷりと日が暮れている。部屋いっぱいのガラクタと格闘しながら部屋の電気のスイッチを手探りで探していると、原チャの音がした。アキラが帰ってきたらしい。ばたばたと、廊下を歩く足音と、数人の男達の声が聞こえてきた。
「要が来とうねん。」
「ええー、ほんまかあ?」
ハルの声が聞こえる
「会うのんは久しぶりやん。」
もう一人はやはり環のようだ。
ドアが勢いよく開いて3人が手に手に袋を下げて入ってきた。
「ほれ、土産や。腹が減ったやろ。」
アキラが袋を高く持ち上げた。
「よっ、うちを逃げ出してきたんか?」
ハルが聞いた。
「勿体無いなあ・・・」
環がもったいながる。
「まぁええやん。 しばらくはここで共同生活やな。」
袋をがさがさ言わせながら要の前に座ったアキラが話を逸らせた。
「とにかく、食おう。相変わらず店の残り物やけどな。」
突然要のお腹がグ~と鳴った。一瞬顔を見合わせ、全員大爆笑になった。
要にとってこんな風に腹の底から笑えるのは退院以来だった。4人は車座になり要の事故の話をサカナに遅い晩飯を食べた。残り物はすっかり冷めてしまっているし、生活を切り詰めてるアキラたちに酒を買う余裕もない。が、それでも、要はこんなに旨い夕食は初めてだとさえ思うのだ。ここには、ジムも、うまい飯も金も無いかもしれないが、友達がいる。笑いがある。そして、何より、自由がある。アキラを頼って来てよかった。要はそう感じていた。
夜も更けてようやくお開きになり環たちが帰るとアキラは押入れからシュラフを引張り出して要に渡した。自分の万年床の隣に、要の寝る場所を作る。
「汗臭いけどな。つかえよ。」
「すまない。俺、今は全てを言えないけど・・・」
アキラにどこまで打ち明けるべきか、まだ決心のつかない要だ。
「そんなん、気にしいな。しばらくはな。もう遅い、寝ろ。」
友の声が要の言葉を遮った。要はTシャツとパンツ一枚でシュラフに潜り込んだ。アキラも何も聞かないで、明かりを消すと自分の布団に潜り込んだ。

「なぁ 要、お前父ちゃんと母ちゃんおれへんのか?」
暗闇からぽつんとアキラの声がした。
「いない。天涯孤独だ」
「そうなんや。ほんなら、俺と一緒やな。」
アキラはそう言ったきり黙り込んだ。要は一瞬、戸籍上は自分の父である石橋の事を思い浮かべた。今、石橋は少しでも俺のことを心配しているだろうか。厳格でいつも冷静なあの男が、こんな事で慌てふためいているとはとても思えない。でも、それが、父親というものなのだろうか?本当の父親の記憶が無い要には、父親とはどういうものか、全くわからなかった。石橋は、厳しい男だ。どことなく死んだ祖父に似ているのは同じ軍隊出身だからなのかもしれない。
「じいちゃんなら・・・」
祖父は厳しい軍曹であり優しい爺ちゃんでもあった。たった1年間だったが、いろいろ教えてくれた。あの祖父だったら、どうしただろうか。祖父の事を思い浮かべると急に目頭が熱くなってくる。ある時を境にだんだん痩せてきたじいちゃんがある日、もう戻らないから荷物を作れと俺に言った。
ホテルのロビーで長い間待たされた。心細くて涙が出そうになった。そこで、石橋に出会ったのだ。
「今日から私が、おまえの上官だ。」
石橋のその言葉を今でも覚えてる。
祖父が石橋を選んだ理由など考えた事がなかった。しかし、自分の余命がいくらも無いと知った時、後に残されるたった一人の孫を預けるにふさわしいと祖父が考えた男だ。それだけ信頼していたのだろう。
「要、ここからはこの人と行け。わしとはお別れだ。」
俺に向けられた祖父の最後の命令。俺はそれに逆らっているのか・・・。夢を見ているような記憶の切れ端が、次々と浮かび上がってくる。曖昧な時間の流れから要は眠ってしまった。





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