Nicotto Town


だいしょうじ


新聞を読みながら・・・


今日は阪神淡路大震災が起きた日です。

新聞で特集をしています。
でも、そんなことされなくても、ありありと当時の光景が目に浮かびます。
ヘリがグルグルとめぐっているその下の長田付近の猛火。私が通っていた歯医者さんも、いかなごを買いに行った長田市場も、みんな炎に包まれていました。あれはお昼ごろだったでしょうか。
私は夫のリハビリ通院で病院の待合室で待っていました。テレビを必死で見ながら知人の無事を祈っていました。
その前年、夫が倒れたのは8月、そして退院できたのは翌3月でした。リハビリで少しでもよくならないかと、必死の毎日でした。東京に引っ越す前は神戸でした。
東京転勤を聞いて神戸に生まれ育っていた友人たちは「東京は地震が多いから気をつけてね」と心配してくれました。
その神戸が大地震に会って大災害に見舞われている!
弱っていた気持ちに拍車がかかってしまいました。

あれから30年近く。
障碍者雇用で戻ることを許された仕事も、皆さんと違い早くに定年を言い渡されて、それからの長い老後。
さいわいつつがなく暮らしていけます。

でもあの時の、テレビを見た衝撃は、忘れることができません。
まして当事者はいかばかりかと・・・。

アバター
2023/01/18 12:29
ゆずちゃんさま
ネットゲームでたまたま神戸震災の話になりましたら、「まだ子供だったのでよくわからなかったけど、とにかく避難所での生活が腹減ってねぇ」と言った(チャット)男の方がいました。
当時何歳だったのかわかりませんが、せいぜい小学校の1年か2年くらいだったのだろうと推察しています。

ふだんの生活が崩れ、日常が消えてしまうのですよね。
アバター
2023/01/18 12:20
本当に 忘れてはいけない日ですね。

伊勢湾台風を小五年生で 経験しました。食べ物のない暮らしも経験しました。
迎えのおばさんが七輪で サツマイモをふかして持ってきてくれました。

それを親子で 何回かに分けて食べました。
友達のお兄さんが かなりの距離に流されて 亡くなりショックでした。

10日も過ぎると 商売がらみの人たちが どんどん食料を運んでくださり 後かたずけも
してくださり ありがたかったです。
11歳でしたが 本当によく覚えています。

そして これ以上ひどい災害はこないと 信じていました。

今、災害の被災者が どんどん毎年増えてきて 悲しい気持ちになります。
アバター
2023/01/17 14:38
みうさま
友人の息子さんは、その日大阪で大学入試でした。
鳥取からバスで受験、十分に時間の余裕があると思っていたのにあの震災、大阪行きのバスは大渋滞だったそうです。そして試験開始に間に合わず入試は失敗。浪人する羽目になりました。
どうして大阪に宿を取ってやらなかったんだろうと、すごく後悔したそうです。

いろんな思い出がありますね。
お婿さん、無事に神戸を離れていてよかったですね。でも神戸の隣町といっても、芦屋や宝塚などの被害も大きかったのですから、無事に生まれてほんとによかったです。きっとお母様はご苦労なさったでしょう。
アバター
2023/01/17 14:02
その日、私は娘を連れて、実家から勤務地の家へJRで向かっていました。
函館で乗り換えの時に駅で号外を配っていて、
それを見てようやく大震災だったことを知りました。
朝は忙しくてニュースもゆっくり見ていられなかったから。
スマホがなかった時代、ニュースはTVか新聞(あとはラジオ)でしかわからなかったよね。
そして婿くんのお母さんは、神戸の隣町の産科に入院していて(理由はわからない)
1週間後に婿くんを生んだわけです。
もし自宅にいたら、婿くんは無事に生まれてきたかどうか・・・

地震だらけの日本で、無事に生き延びている奇跡に感謝ですね!



カテゴリ

>>カテゴリ一覧を開く

月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011

2010

2009


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.