今日は「茶道」について 少し書きましょうか。
- カテゴリ:日記
- 2023/01/31 20:48:56
私は大学時代は 茶道部にいました。
「裏千家」でしたね、知ってる人は知ってると思います。
お茶会を 少し開いていた時もあり、合宿で観光地でも 点てていましたょ。
平安から 安土桃山時代とか 戦国時代とか あの頃は「お茶会を開ける」のは 大名の中の 有名大名だけでしたね。
千利休 豊臣秀吉 石田三成・・・ そこには いろいろなドラマがあります。
これは「武将感状記」という書物に記された逸話なのですが、これを分かりやすくストーリーにするとこんな感じになります。
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現在の滋賀県にあった長浜城主となった豊臣秀吉が、ある日領内で鷹狩をした帰り喉が渇き途中にあった寺に立ち寄ってお茶を頼みました。
そのとき対応した寺の小姓がまず持ってきたのが、大きな茶碗いっぱいのぬるめのお茶。
喉が渇いていた秀吉はそれを一気に飲み干し、もう一杯お茶を頼むことにしました。
次に小姓はさっきよりもやや小ぶりな茶碗に少し熱いお茶を半分ほど入れて持ってきます。
ゆるりとそれをまた飲み干し、秀吉はもう一度お茶を所望。
そして最後に小姓が出したお茶は小ぶりの茶碗に熱く点てたものでした。
この相手が欲しているものを瞬時に察知して対応するという小姓の働きにひどく感動した秀吉はそのままこの小姓を城に連れ帰り家臣としたのです。
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この小姓こそ、のちに智の戦国武将と呼ばれる石田三成だと言われています。
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現在の滋賀県にあった長浜城主となった豊臣秀吉が、ある日領内で鷹狩をした帰り喉が渇き途中にあった寺に立ち寄ってお茶を頼みました。
そのとき対応した寺の小姓がまず持ってきたのが、大きな茶碗いっぱいのぬるめのお茶。
喉が渇いていた秀吉はそれを一気に飲み干し、もう一杯お茶を頼むことにしました。
次に小姓はさっきよりもやや小ぶりな茶碗に少し熱いお茶を半分ほど入れて持ってきます。
ゆるりとそれをまた飲み干し、秀吉はもう一度お茶を所望。
そして最後に小姓が出したお茶は小ぶりの茶碗に熱く点てたものでした。
この相手が欲しているものを瞬時に察知して対応するという小姓の働きにひどく感動した秀吉はそのままこの小姓を城に連れ帰り家臣としたのです。
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この小姓こそ、のちに智の戦国武将と呼ばれる石田三成だと言われています。
・・・これは「三献の茶」といぅエピソードですが、ここに茶道の「目指すところ」が書いてあります。
千利休の句で
「茶の湯とは ただ湯を沸かし 飲むばかりなるもとを知るべし」
といぅのが ありますよね?
解釈は 人それぞれですが、私は 茶はもっと気楽に飲めばいいのだけれどね・・・と
思うのですょ、実際。
ただし、お客様に対しては別で。。。
お茶会を開く方は それではいけないと思うのです。
その辺の逸話は 今度話すとして。
で、「三献の茶」の中で 茶坊主(石田三成)は 秀吉の具合を一目で見て、状況に合わせて 茶の濃さ、量を変化させて、最後に最高のお茶を出してきたのでしょう。
この「相手への気遣いへの鍛錬」が 「茶道」をやる最大の目的です。
この「相手への気遣いへの鍛錬」は 簡単にいうと「洞察力」ですが、これに気づいた 豊臣秀吉は 「自分の心を全て 千利休に読まれては困る」として 千利休に 武士でもないのに 切腹を迫ります。
まぁ 秀吉は 彼なりの洞察力 ? で 利休に切腹しろと急に言いだして、ただ利休はそれを拒み、秀吉に泣きつくと 思ったのでしょうが、利休は 果てました。。。
秀吉の洞察力は 甘かったのでしょうね。
話は変わりますが・・・
実は この日記を書いてる途中に 客先に呼ばれたので 30㎞ 車で走って説明を受けたのですが、そろそろ その客の仕事を辞め様と 心に決めました、客には言わないで 腹の底で 決めたので、このお話に近い 展開だと思いますょ、彼は私の気持ちを読み切れていないのです。
変な言葉の 小細工で丸め込もうとしても、私もお茶をやっていたので、心が透けて見えるのですょ。
後は その辞める時期を 決めるだけです。
決める前に その会社のお世話になった「先代」の亡くなった社長を 降霊術で 呼び出して相談はしようかなと 思っています。
降霊の方法は またそのうち お話しますね。
日記読ませて頂きに来ました
なるほど…その様な話があるのですね
相手の心が透けて見える力というのはこれから社会に出て生きていく上でかなり大切な能力だと考えています
降霊術…聞いたことはありますが詳しいことはあまり知らないので楽しみです