Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れ 36

「桜だ。面倒をみてやれ。」
石橋はそう言うと、桜と呼ばれた少女の背中を軽く押した。
一歩前によろけ出た少女の黒目がちの目が大人たちを見上げた。色は抜けるように白く、紅を引いたような唇をきっと結んでいる。細すぎる身体、そしてアンバランスに結われたおさげ。野良猫のようにおどおどした瞳が、彼女のそれまでの薄幸を物語っていた。
従業員達は何も聞かない。ボスの命令は絶対だからだ。12年前要が引き取られてきた時もそれは同じだった。
桜の長い睫に縁取られた、くりくり大きな瞳、鼻筋の通った小さな鼻、濡れた葡萄のような唇。成長すれば、さぞかし美しい女になるだろう。それに加え、勝気そうな目元から負けず嫌いともとれる意志の強さが伺える。この少女には店の美しいコンパニオン達の誰にも負けない一流の女になる素質があると店の誰もが考えた。

石橋は霞に桜を預けることにした。これを受け、霞は自分の部屋にベッドをもう一台運び込ませ、少女に使うように命じた。一般教養とマナーを少女に教え込むのが霞に課せられた役割だ。つまりは優雅なレディーになる修行である。それには同室の方がやりやすいと彼女は考えたのだ。
躾に関して言えば霞は決して甘いトレーナーではなかった。彼女は常に自然な優雅さを要求する。上流階級など、あることも知らない少女にとってその振る舞いを一朝一夕に習得できるはずが無い。普段は声を荒げることなど無い霞だが、覚えが悪いと子供が相手でも容赦なく平手打ちを飛ばす。
店で長年Sの役を演じてきた彼女はそれが知らず知らずのうちに表に出てしまうのかもしれない。それに加え、抑えられた彼女の弱い女の一面のために、霞の精神状態は常に不安定だった。10歳の少女の桜にとって、ヒステリックに自分に手を上げる霞が美しい面を被った鬼のような女と映ったのも無理の無いことかもしれない。
 そんな霞が時々寂しげな顔をする事があるのを、桜は知っていた。その理由が、店に来る何人かの常連客のせいだと聞いたのは他のコンパニオンの女からである。石橋のたっての願いで、霞はいやいやながらにこの客達の相手をしているらしい。そして、要という青年が霞のその苦しみを癒しているとも聞いた。
要に抱かれた後、霞が本来の優しい女に戻る事に桜は気付いた。さっきまで魔女のように恐ろしかった霞が、桜に優しく微笑みかけ、自分が殴って赤く腫れた頬を撫でてくれる。そんな時、桜は霞が本当に美しい女だと思うのだった。

「つかの間だけ、呪いを解かれた妖精のようだ。」
こんなにまで霞を変えることの出来る要と言う男はどんな人なのだろう。桜はそう思わずにはいられなかった。





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