「エホバの証人」の「其の血の教え」は捉え方が
- カテゴリ:日記
- 2023/03/01 09:41:18
「エホバの証人」の「其の血の教え」は捉え方がまちがっているんでしょう。
旧約聖書時代からの教えの解釈が間違っていると思うよ。
それと似た様な伝承が「アイヌの血の伝承」があって私は其の意味をアイヌの白いひげのお爺さんから聞いたよ。
私は其れは例えば手の指などから血を流してお皿に入れて別の人の血を其処に入れてかき混ぜると煙が出て怖い何かが出て来るのか?と言う様な事を聞いたら
そうでは無く結婚したらその一族では無く別の血が一族に混じる様な事を言っていて
此の地(だいたいは北海道)を離れると混ぜては行けない「悪魔の血」が混ざって神を裏切る。と言う様な伝承が在って「唯一の神」と言う事を言っていて其れは「唯一の神」を裏切る事になると言う様な事を言っていて、私も子供だったらよく解らないが其の「神を裏切る悪魔の血」を持った人と結婚して「神を裏切る事」になると言う様な事らしい。
で、北海道を離れて仕事を探したいという若者達が出てきてアイヌの人が集まって大きな話し合いが行われて北海道を離れても信仰はまもるという事ででていったんだけど結局は「悪魔の血」を混ぜて「神を裏切った」という事。
恐らく「神を否定した神のいない悪魔の国の血」を入れたり「自称アイヌ=アイヌ民族」等と言う物を作って「差別」と言う言葉を「悪用」して日本国民の税金から膨大な補助金をむさぼって日本国民が失われた20年と言われる「所謂就職氷河期」と言われて多くの若者たちが苦悩の中に居て未だに其の時代の年代に居た大勢の人達が苦境から抜け出せないでいるのに其の時に日本国民の税金から出た補助金で優雅に暮らしていたという事をやって神を裏切ったのですよ。
「自分がアイヌだと言えばアイヌ民族になって補助金が貰える民族」が「アイヌ民族」なのですよ。
普通に考えてそんな馬鹿な「民族」など無いでしょう。
其れをごねた末に出来る様にしたのが「差別」と言う言葉を悪用してごねてしたのが「アイヌ民族」なのですよ。
つまり旧約聖書の古い教えの「血のおしえ」は当時は「輸血等あるわけがないので其れを禁止するという発想が間違っている」のであって「神を否定する悪魔の血」を血縁の中に入れては行けないという事なのでは無いですか?
其の時代になかった「輸血」と言う事を出して「輸血」をしては行けないという発想は其の「エホバの証人」を作った人達の間違った解釈からきていると思われますよ。
次に子供に対する教えを厳しくするという発想も今時に鞭を打つという事では無く、もしかしたら「アイヌの若者から此の地を離れたい」と言う要望にアイヌの大人達が「伝承」を守らせる事が出来ずに「神を裏切った自称アイヌ民族」を作ってしまった様に其れをさせまいとする警鐘だったのかも。
もしかして「今のアイヌの様な『自称アイヌ民族』」を作らない様にする警鐘の予言の書が鞭を打つなんて事になってしまって更に「神を裏切る、神を否定する悪魔の血を混ぜたら即ちそう言う人は血縁関係を切って自分達も神を裏切り、神を否定して「自称アイヌと言えばアイヌ民族」になるなどとして彼らに取り込まれて「異様で神を否定し民族ですらない「自称アイヌ民族」を作らない様に」警鐘をかいているのを其の「エホバの証人」が作られた人が解釈した当時は「今の『自称アイヌ民族』が出来るという事などは解らないから其の様な解釈をしたのでは?
まず旧約聖書が出来た時代に「輸血」と言う概念があったとは思えないので其れは間違った解釈であることは今の「エホバの証人」の人達も理解できると思いますよ。
更に「今の『自称アイヌ民族』が出来た過程」をみると例えば聖書の中に「警鐘の予言」として書かれたのなら「そう言う事を言いたかったのか」とも解釈できると思うよ。
「エホバの証人」の人達も再度どういう事だったのかを解釈を検証しなおしてみたらよいと思う。
取り合えずの「エホバの証人」を作った人の「最初の『輸血』禁止の解釈」は間違いだと思うけど。
それと今現実に「神を否定する国」「神が居ない国=すなわち地獄とは神のいない国」が存在するのだから其の国の思想を持った人と結婚して「神を否定する思想」になる事も其の人達に「差別された民族と言う思想を取り込まれて「民族が悪用」される事」もあるので家族の縁を切って切り離しなさい。と言う警鐘もあながち間違っては無かったという事は「自称アイヌと言えばアイヌ民族になる民族」が出来た事で良く解ると思うよ。
もう一度「エホバの証人」は全体で話し合いと「聖書の解釈」の見直しをしてみたら。
「エホバの証人」にしろ原理主義者と言われる人たちも含めて其の為に周りにまで迷惑をかけられるのは信者も含めてそれらの国の人達も気の毒な事と言うのと怒りも感想になります。
イランに日本のタンカーが攻撃されて穴をあけられたと知った時は怒りで切れまくりました。
シリアのトルコ地震による犠牲者も惨い事だと思いますよ。
過去の時の権力者等によって書き換えられたり、
ゴッソリ省かれたりしている箇所があると聞いています。
なので、実は真の意味を理解するのが困難なのだとか・・・。
それがエホバの曲解に繋がるかどうかは別のお話しになるのでしょうけど。
日本語にも「血」を使った言葉がありますが其れは何をさしているのでしょうか?
例えば「血が騒ぐ」と言うの言葉の「血」は何をさしているのでしょう。
「血が彼女を欲するのだ」と言う言葉の「血」は何をさしているのでしょうか?
これらの「血」は「本能の様な物」でしょうか?
その様に聖書の中の「血」も「血液」とは別の物を「比喩」して使っているのではないでしょうか?
其の前後なりかなり読み込ま事と時代背景や其の時代の文化の知識も必要なようですね。
そう言う教えからきているのですか?
どういう解釈をすればよいのでしょうねぇ?
私も其の「血をむさぼってはならない」と言う教えが其れが書かれた時代になかった「輸血禁止」と言う解釈になるのは理解不可能ですねぇ。
私がアイヌのお爺さんに聞いた「血」の意味は日本で言う「血縁」と言う言葉の「血」と同じ様な意味合いでした。
今で言えば「DNA]と言う事でしょうか?
日本語でも「血は争えない」と言う様な言葉で「血」を使います。
まぜてはいけない「血」があるという事は「結婚して血縁関係にしては行けない「血=民族」の様な或いは「DNA」があると言った方が近いと思います。
今は「DNA]と言う言葉がありますが結婚する時に昔は相手の家の「血縁関係」を書いた紙をお見合いの話の時から渡します。所謂「身上書」の様なものです。
「親戚関係から3親族までの職業や学歴や現在の状態」をお見合い写真と一緒に渡します。
そう言った意味での「血」と言うのを調べます。
その様な形で日本では「血」と言う言葉が使われてましたが今は「DNA]でしょう。
将来は結婚の条件に「DNA]を調べられるかもしれませんねぇ。
殆どが解明されてますから。
話はもどしますが「聖書」が書かれた時代に「血」と言う言葉の意味は何だったのかと言う所から解明していかなければなりません。
少なくとも「生血」を飲む文化があったとは思えないし或いは「殺生」をどん欲にしてはならないという意味なのかも。
少なくとも「輸血禁止」ではないと思いますよ。
まあ、日本でそれを言ってもとでしょうが日本のエホバの証人の幹部がアメリカを含めて上層部に其れを言って言った方が良いと思いますよ。
何でも最初の「教祖様」の教えを盲目的に信仰する事だけが本当の信仰では無いのです。
まさか羊飼い時代に戻って星を頼りに生活する生活に戻る訳じゃあるまいし、
其れをするのなら「完璧」に此の社会との断絶して其れを他の人達に迷惑をかけないで欲しい。
今のシリアをみているとつくづくそう思いますよ。
たまたま色々な思想の反アサド派の支配する地域に住んでいただけでがれきの下で数日間苦しんで死んだ大勢の人達や飢えて凍えて苦しんで死んだ人達は彼らの犠牲者ですよ。
勿論各国から来る援助の上にじんどって美酒を飲んで高笑いしているアサド政権は許せないですけどね。