Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー50

隠れ家のある住宅街では昨日の修羅場が嘘のように静かに夜が明けた。犬飼が戻ってきたのは夜中の2時過ぎ、そのまま、疲れにまかせて泥のように眠ってしまった彼をアキラがゆり起こした。
「ここの家の人がさっき持ってきてくれました。」
その手に持たれた盆にコーヒーと食パンの簡単な朝食が乗っている。
「う~・・・今何時だ?」
犬飼はソファーのうえで上体を起こしながら、盆からコーヒーのマグを取った。
「えっと、そろそろ、10時ですね。」
アキラが自分の腕時計を見ながら答えた。すると、犬飼は「こんな早くに起こしやがって」と言いたげに目をこする。どうやら完全な夜型人間のようだ。それでも頭をはっきりさせようと、苦いコーヒーを一口飲んで、頭を振った。カフェインで、頭の芯が徐々にほぐれていく。

犬飼はまずひろみの具合を確かめるために女医の診療所に電話を入れた。電話には昨夜の看護婦が出て、ひろみの意識が戻った事を告げた。一先ずは安心と言う事だ。会話の途中で女医が電話に出てきて、今朝一番に不審な男が急患の有無を探りに来たと言う。
「早いな・・・」
今回はうまい具合にやり過ごしたようだが、ひろみがどこにも見つからないとなるとまた戻ってくるのは必至だ。女医と犬飼はひろみを明日中に神戸の医院に移動させるのが得策と結論付けた。
続けて犬飼は編集長に電話を入れ、現状報告をした。怪我を負ったひろみを明日神戸に運ぶと言うと、編集長は彼女の為にバンを一台用意すると約束してくれた。バンなら、ヒロミを寝かせたまま移動できる。
「ああ、それと、今朝一番でお前のアカウントに当座の資金を入れておいた。」
「金も、命も、大事に使えよ。」
編集長は、釘を刺すようにそう言って電話を切った。

2件の電話が終わって、犬飼はやっと気分が落ち着いた。大きく伸びを一つすると本が乱雑に納められた本棚に向かい、流れるように指で背表紙をおっていく。やがて2冊の本を引っ張り出してきた。アキラが覗くと、一冊は紳士録、もう一冊は国会議員名鑑と表紙に書かれている。
「何か手伝いましょうか?」
アキラが聞く。
「ちょっと黙っててくれ。」
ばらばらと中に目を通しながら、所々に丸をつけ、ページの端を折る。それが終わると電話の受話器を取ってその一軒一軒に電話をし始めた。
「もしもし、わたくし、K大学ラグビー部OBの山田と申します。」
「あの、野田会長は・・・」
「今晩お会いする約束だったのですが、時間を変えていただこうと思いまして。」
「え?東北に、出ておられる?おかしいですねえ、では約束は来週だったのかな・・・」
あっけに取られるアキラを無視して、犬飼は言葉巧みに相手の所在や予定を聞きだしていく。1時間ほどのうちに十数件の事務所に探りの電話を掛けて、的を2件に絞った。犬飼はその辺の感は抜群なのだ。
「家の人にこの2ページをコピーしてもらってきてくれ。」
犬飼はアキラにそう言うと、ソファーにどっかり腰を下ろした。

アキラがコピーを手にガレージに戻ってくると、ルポライターは苦そうにタバコをくゆらしていた。
「あいつらは躍起になって俺とひろみを探しにかかっているらしい。」
「ひろみさん?」
アキラが聞く。
「俺の、大事な相棒だ。」
犬飼は持ったタバコを見つめ静かにそう応え、その目を辛そうに閉じた。アキラはそれ以上は何も聞かない。
「明朝、神戸に発つ事になった。」
ルポライターは、タバコを床で踏み消して2枚のコピーをテーブルに並べた。一枚には只野輝彦とあり、国会議員と書かれている。50代の好色そうな男の顔写真があった。もう一枚はいかにもエリート然とした樋口辰夫という銀行頭取だ。
「それで、今日一日は情報屋が言っていた代議員や財界人から探りを入れる。まずは、倶楽部の存在と、所在地を確かめなければどうしようもないからな。」
犬飼は、脈があると睨んで選んだ2人の男の顔写真とプロフィールに目を落とした。今日一日で結果が出る可能性は低い。それでも一日でも無駄にはしたく無いのだ。この二人なら隠れ家から30分圏内だし、アキラがいるので2人同時に張れるから効率的だ。続きはひろみを安全に神戸に逃がしてからすれば良い。
「多分動くのは夜だが、一日、ぴったりはり付いて離れるな。日が暮れてからめかし込んで出かけたら当たりだな。」
「おまえはこっちを見てくれ。」
犬飼がテーブルの上のコピーから一枚を選んでアキラに渡した。
「内容を覚えたら紙はここに置いておけ。例え捕まっても無関係を装える。」
アキラが頷く。
「みていろよ・・・」
「必ず、炙り出してやる」
犬飼は狩をする狼のごとく不敵な笑みを浮かべる。まさにルポライター、ゴースト・犬飼の復活だった。





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