Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー52

2つのターゲットの内、アキラに課せられたのは最近野党で頭角を現してきた只野議員だった。アキラが只野議員事務所前に着いたのは昼前、ちょうど外出するところの議員を捕まえる事ができた。
『・・・いいタイミングだ。今日の俺はついている・・・』
只野はそれこそ30分ごとに次から次へと移動して過密スケジュールをこなしていく。再び事務所に戻ってきたのは既に午後6時をかなり回っていた。アキラは只野議員の事務所の近くの喫茶店に陣取る事にした。店は夕刻で結構混んでいたがアキラは首尾よく事務所の見える窓側の空席に腰を下ろす事が出来た。ウエイトレスが水を持って注文を取りにくる。
「ホット。」
彼女を見上げながらアキラが言う。ショートヘアがよく似合うボーイッシュなウエイトレスは、意味ありげに左手の人差し指と中指をピンと伸ばしてテーブルの端についた。そのままアキラの顔や黒い革ジャンをじろじろと見ながらにこっと笑いかけた。彼女はアキラのテーブルの上に指先を残したままマスターを振り向いて、
「ホット一つ。」
と声を掛けてまたアキラのほうへ向き直った。さすがにアキラもウエイトレスのあからさまな誘いに気がついて、赤くなりながら目を窓の外に泳がせた。23にもなって、この手のことには未だに晩生な男である。ハードボイルドにきまっている外観とは打って変わったアキラの初心な反応はウエイトレスをなおさら刺激したようだ。
「ねえ・・・」
彼女はテーブルに肘をつく様に、前かがみになる。大きく開いた服の胸元から谷間が見え、女の甘い香りがアキラに迫ってきた。
「4番さん、コーヒーが上がったよ。」
マスターの声がした。ウエイトレスは、残念そうに上体を起こすと、アキラにウインクをして他の席へコーヒーを運びに行った。
只野議員の事務所前にはまだ黒い大型車が停まっているのが見える。時計を見ると6時半をさしていた。犬飼の話だと、さっきの会合が議員の最後の日程だから、後は事務所に何時までいるかというところだ。
「ここで晩飯も食っておいた方がいいかな。」
テーブルのすみに立てかけられたメニューに手を伸ばそうとした時、只野議員が再び表から出てくるのが見えた。
「しまった・・・」
アキラが席を立とうとしたところにさっきのウエイトレスがコーヒーを持ってきた。
「ごめん 一寸急ぎの用事ができたんだ。」
アキラはあわててレジでコーヒー代を払い、残念そうな顔のウエイトレスを尻目に店をとび出た。

アキラがバイクにまたがると同時に、議員を乗せた黒い大型車がゆっくりと事務所を後にした。
「予定にない会合に出るのか?もしかしたら・・・」
今回外出するのが、議員だけで、秘書らしい人物が同乗していないのが気になる


アキラは東京での5年間で忘れかけていた高揚感を再び自分の中に感じていた。関西にいた頃はバイクレース界では結構速いと評判を得ていた自分だった。それが5年前、
「試しに東京で走ってみないか?」
と声をかけられ、東京へ出て来たのだ。初めの1年はスポンサーが付き、夢が叶うかと思われたのに、アキラは壁にぶつかってしまった。さすが東京は自分のような若者が全国から夢を抱えて集まってきている大都会だ。レベルが関西とは比べ物にならない。結局アキラは泣かず飛ばずのまま帰るタイミングを失ってそのままズルズルとここに居座っているのだ。このままくすぶり続けて何も出来ないままいずれ燃えカスになってしまうんだろうか?そんな焦りが彼の中で日ごとに大きくなってきていた。犬飼と共に行動し始めてアキラには失われていた心踊る緊張感が戻ってくるのを感じていた。

議員の乗った車はしばらく都内をグルグル回っていたがやがて東名に乗り西に向かって走り出した。
「どこへ向かっているんだろう・・・」
アキラは付かず離れずできるだけ距離をとって尾行した。
『いきなりビンゴはないと思え。』
『尾行のスパンは長いから無理をせず地道に追いかけろ、いいな。』
尾行するのは初めてだというアキラに犬飼はそう念を押した。車は品川を越えて川崎あたりまで来ている。
「この先は横浜だな。」
辺りはかなり暗くなってきていた。アキラは只野の車と自分のバイクの間に大形の車を一台挟むようにしてこちらのヘッドライトを目立たせないように走り続けた。





Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.