Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー54

一方昼過ぎにガレージから出た犬飼はブルーバードでアキラとは反対側へ走り出した。
情報屋は一昨夜、犬飼に10人余りの政界、財界人の名前を伝えた。

紳士クラブの詳しい情報は金と引き換えに明日渡すと言って別れたのだ。
犬飼は記憶力が抜群にいい。
情報屋の残した名前から、今朝、13人を特定、電話で今夜の予定の探りを入れた。
現在首都圏に居ない人物、明らかに夜まで予定のある人間を削除して残ったのがアキラが追っている只野議員と、この樋口頭取だった。
銀行頭取、樋口辰夫は、今日は一日中都内支店長たちとの会議があって本社7階の会議室に缶詰らしい。
ただ、それは6時ごろまでの予定で、その後の予定がどうもはっきりしない。
犬飼は本社ビルの正面玄関が見える公園の傍にブルーバードを駐車してシートを倒しながら慣れた手つきでバックミラーを調整した。
いつも待ちは長いので、できるだけ楽な姿勢で張り込みを続ける。車は目立たないよう、半時間ごとに移動させた。5時の退社時間が来てビルの正面玄関からは従業員達が吐き出されるようにぞろぞろ出てくる。
さらに時間がたち、辺りが薄暗くなってくると、明かりの点いていない窓がかなり目立ち始めた。しかし7階の窓はいつまでも煌々と電気がついている。
「もう7時だな・・・」
徐々に明るさを失っていく空の色を眺めた時、2台の車がビルの前に停まり、数人のビジネススーツの男達があわただしく本社に駆け込んでいった。どうも、会議は終わりそうに無い。
「こっちはどうも外れだな・・・」
犬飼は車の中で大きく伸びをし、外に出て、公園内の電話ボックスに入った。
こちらに動く気配が無いとなると、アキラのほうが気になる。ダイヤルを回してしばらくすると 
「も~しも~し。」
犬飼が連絡の中継を頼んでいる中年の女性が電話に出た。
彼女は自宅で一日中和裁をしながら生計を立てている女性であった。
このころは携帯電話がまだまだ普及していない時代で、彼女は犬飼が外回りの仲間と連絡を取り合うために雇っている、なくてはならない中継地点なのだ。
「もしもし、こちら0101。あ~ おっしょはん、いつもすみませんね。」
「あらあ、犬飼さん?今日も一日暑いわねえ。」
いつもながらのんびりした調子で応対してくる。
「えっとね、ちょっと待ってね・・・」
どうやらメモを見ているようだ。
「2701って男の子からね、ついさっき電話があったよ。ええと、保土ヶ谷の郵便局の裏手で明神台、むっちゃ広い洋館だって。」
おっしょさんはアキラの言葉をそのままメモったようだ。それに苦笑しながら
「助かります。」
犬飼は礼を言った。
「それともう一個なんか言ってたわねえ・・・」
「え?」
「う~ん。」
記憶をたどっているらしく、ぶつぶつ口の中でつぶやいていた彼女が
「あ、リンゴ?いや、ギンコ?かな?」
どうも、自信がなさそうにそうである。犬飼はしばらく考えていたが、はっとして、
「・・・ああ、もしかして、『ビンゴ』ですか?」
「そう、それそれ。何か知らないけどそう言ってたよ。わかる?」
ルポライターは吹きそうになるのを必至で押さえながら、もう一度礼を言った。
「いいのよ、暇だしね。で、今度の子は随分かわいい声をしてるのねえ。上ずってたわよ。」
「ははっ新人でね。じゃあ、またよろしく。」
犬飼は笑いながら受話器をフックに掛けた。なぜかこのおっしょ(お師匠)さんの声を聞くとささくれだった気持ちがいつも落ち着くのだ。
「横浜でビンゴか・・・」
どうせ一日では大した事は解らないだろうと高をくくっていたのだが、これは期待以上にペースが速い。
犬飼は考え込んだ。もう8時前だ。たった今横浜からおっしょうさんに電話をしてきたというならアキラは当分セーフハウスには、戻ってこれないだろう。
「今のうちに明日使うバンを取りに行っとくか。」
明日の朝と思っていたが、一分でも時間は無駄にしたくない。この時間なら出版社で編集長をまだ捕まえられるかもしれない。
犬飼は再び受話器を取って今度は出版社に電話をした。
「犬飼です。」
「おおっやっとかかって来たか。バンの準備はできてるぞ。」
犬飼の電話を待ち構えていた口ぶりである。
「ガソリンは満タンですよね?経費で落としてくださいよ。」
「はっはっ 相変わらず抜け目が無いな。」
「こっちは空っケツですからね。」
「おいおい、今朝渡したばっかりだぞ。」
編集長が笑う。
「そんなモンとっくに無いですよ、ビールの泡と消えちまった。」
犬飼も釣られて笑った。思いのほか好転している事態が彼に漸く余裕を持たせてきていた。
「ははっ いつもの車屋「R」に頼んである。ガレージはもう少し開けておいて貰うから早く取りに行ってやれ。」
「ほい。」
相変わらず段取りがいい編集長だと感謝しつつ犬飼はブルーバードに乗り込み、公園を後にした。

いつもの車屋「R」に付くと事務所で犬飼も顔見知りの若い修理工が手持ち無沙汰な様子でTVを観ていた。デートの約束でもしていたのだろうか、誰とは言えない客のわがままで居残りさせられ腐っている。犬飼は財布から5千円札を一枚抜いて事務所のドアを開けた。犬飼に気がついた修理工は慌てて椅子から立ち上がりながら
「あっ、こんばんは。」
と、頭を下げる。デートがふいになりそうな事はおくびにも出さない。
「遅くまですまねえな。タバコでも買ってくれ」
バンのキーを受け取り、犬飼いはさっきの札を修理工に握らせた。
用意されたバンはよく町で見かけるボックス型の白いやつで、後部側面に窓はない。犬飼は早速乗り込んでエンジンをかけてみた。結構な馬力を感じる。
「ほう、こいつぁ いいや。」
「でしょう? へへっ」
若い修理工は犬飼に車を認められたのがうれしいのかニコニコしながら答えた。どうやら、この青年が調整してくれたようだ。
「じゃあな。」
手を上げて犬飼は車を発進させた。
「いってらっしゃい。」
修理工は、ガレージの外まで出てきて、頭を下げた。犬飼のバンが視野から消えると、犬飼の残した中古のブルーバードをガレージの中に入れる。明かりを落とし、そそくさと帰り支度にかかった。





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