Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー57

犬飼の運転するバンが高円寺の診療所に着いたのは9時を30分ほど回っていた。

バックで玄関に乗り付ける。
二人は帽子を目深にかぶり直し、外に出てきた。
犬飼が素早く辺りに目を走らせると、いつもは見かけない黒っぽいセダンが蓮向かいの路肩に停められていた。シートが下げられているが、明らかに中に誰かいる。
それだけ確認した犬飼はバンの後ろを開けて荷台に乗り込んだ。
アキラはメモ用紙を数枚挟んだクリップボードを受領書のようにもって、診療所の玄関へ元気よく歩いていった。
ドアホンを押し配送屋風に、
「おはようございます。田中電気です。ご注文のテレビをお届けに参りましたぁ。」
と、大声で言った。
しばらくすると、いつもの看護婦が診療所のドアを開ける。
「おはようございます。」
明るく帽子を脱いで頭を下げるアキラに看護婦がニコニコ対応した。
「先生~、昨日のテレビ、届きましたよ。」
とわざとらしく奥に向かって声をかけると、
「じゃあ、こっちに運んでもらって。」
と、女医の声が聞こえた。
バンの荷台で待っていた犬飼は戻ってきたアキラと一緒に空のダンボール箱をさも重そうに引きずり出し、玄関に運び込む。まもなくアキラだけが外に出てきて工具箱を手に取ると、バンをロックしてまた診療所にもどりとドアを閉めた。

「センセ、ひろみは?」
「ほらこっちだよ。」
奥から女医がひろみを乗せた車椅子を押しながら出てきた。犬飼がひろみに駆け寄った。
「明、ごめん・・・。」
一日ですっかりやつれた顔が歪んで涙がぼろぼろこぼれる。
犬飼は車椅子のひろみの右肩を庇いながら抱きしめた
「すまん 俺がもっと気をつけていれば・・・」
「・・・ひろみ、すまなかった。」
一言一句を区切って犬飼はひろみに詫びた。
「邪魔するつもりはないけどね・・・」
抱き合った二人を見下ろしながら、女医が腰に手を当てて言った。
「表のあの黒い車は昨日からあそこに停まってるよ。」
と説明する。
「ひろみちゃんがここに居る確証は無いが、他でも見つからないからとりあえず張ってるって感じだね。」
さすがに、こういう事に感が働く女だ。
「そうか、なら、2,3日したら諦めるだろうな。」
「おそらくはね。」
女医も同意した。ひろみが何とか見つからないでいたことが解り、犬養は胸をなでおろした。少なくとも、女医たちにこれ以上迷惑をかけずにすむ。

「さて、電気屋が何時までもテレビの配線にかかってたらおかしいよ。」
女医がせかすように言った。
玄関ではアキラがもうダンボール箱のふたを開けてひろみを待っている。
ひろみの顔色は昨日と変わらず青白いが、犬飼に手伝われて車椅子から立ち上がると、案外しっかりした足取りで、一人で箱の中に入った。
ふたを閉める手を止めて、犬飼が自分を見上げる彼女の頬を撫でた。
「すまんがここでしばらく我慢してくれ。」
「明・・・」
その頬を涙が伝わって落ち、犬飼の指を濡らした。
犬飼が閉じたふたにガムテープを張るのを待ってアキラが工具箱を提げて外に出ていった。バンの後部ドアを開けて戻ってくる。
「底に貼り付いてろよ。」
アキラと共にダンボールを持ち上げながら犬飼が箱の中に向かって囁いた。
首尾よくひろみの潜んだ箱をバンに納めドアを閉めると、アキラは女医と看護婦を振り返って帽子を脱いだ。元気よく頭を下げる。
「古いテレビはこちらで処分しておきます。どうも ありがとうございました。」
アキラが大きな声でいった。
「小芝居もしやがる、なかなか度胸の据わった奴だ。」
自分もつられるように、頭を下げ、運転席に乗り込んだ犬飼は関心しながら助手席に座ったアキラを見て車をスタートさせた。

梶がちょうど最初の客に赤ワインを出し終わり次の客を迎えるべくレセプションでスーツの襟を整えていると内ポケットのポケベルが振動した。梶はそばに控えている桜を振り返り、
「5分ほど外す。」
あとを頼むと、5階の自室へ上がって行った。
電話を取って、市外局番に掛ける。
出た相手は、梶が名のりもしないうちにしゃべり始めた。
「田中がのがしたルポライターが姿を消した。」
それだけ言って電話は切れた。
「・・・次はルポライター、犬飼 明か。」
梶は受話器を戻し口元にうっすらと笑いを浮かべながら目を閉じた。





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