Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー58

三代目田中が支配人として采配を振るう紐育倶楽部には政治家、財界人たちからあらゆる情報がもたらされて来る。

田中はそれらの情報を利用して政界、財界に圧力をかけ、巨額の富を得ていた。
富だけではない、田中は時には政治家たちや、企業トップの決断の方向をそうとは知られず思いのままに変えることさえやってのける男だった。
その田中が何年も前からある情報に注目していた。
日本が何時までもアメリカの庇護に甘んじている現実を打開せんと、防衛族が極秘裏になにやら企てているという。
もともと国粋主義色の濃い田中は、その成り行きに期待を掛け見守っていた。
そして5年前、京都が基盤の代議士、勝見隆一郎が倶楽部に客として来るようになってから、いろんな意味で田中の興味は一層と軍事関係に偏りだしていた。

アメリカは、巨大な産軍複合体を経済基盤としている。したがって日本を従属国としておく事はアメリカにとって重要な戦略的狙いがあるからだ。
日本はアジア大陸に睨みを利かせる為に絶妙の位置にある。しかも自国の防衛力が極端に弱い日本は安全保障面でいやおうなくアメリカに依存せざるを得ない。
基地のために土地を提供し、駐屯兵を迎える。アメリカは、それだけでは飽き足らず、自国製の武器購入も日本に押し付けてきている。
しかしながら日本も損な役割だけを担っているわけではない。膨大な軍事費に財政を圧迫される事なく第二次世界大戦後、その国力のほとんどを復興と経済成長に注ぎ込む事が可能となり、結果わずか数十年で世界に誇る経済大国の地位を確立したのだ。
日本とアメリカの国益の思惑の違いがこんなところに出てきている。
日本が外国から武器を売りつけられるのは何もアメリカが初めてではない。
幕末にもイギリス、フランスなどが死の商人として日本に武器を売りつけている。お蝶夫人で知られるグラバーはその最たるものであった。
グラバーの背後にひかえるヨーロッパの武器商人にとって、アヘン戦争終了後の国際市場は日本だった。
それは今も大して変わらない、売り手がイギリス、フランスからアメリカに変わっただけだ。
何億という金をつぎ込んで、武器や戦闘機を買う。武器はともかく、なぜ日本は戦闘機はおろか民間航空機でさえこんなに輸入に頼るのだろう。
近代史、自動車産業、造船業などでは急速に欧米と肩を並べ、追い越していった日本だが、航空機産業では欧米との格差は縮まらない。
それは太平洋戦争終結後、GHQは日本に航空機の製作、研究、運航までも禁じ、既存の航空産業各社はことごとく解体されたことに端を発している。
その後、1957年に航空機開発再開が認められるまでの長い年月は日本から航空技術を奪い去るには十分だった。
しかも当時航空技術開発は過渡期にあった。ジェットエンジンと大型機の時代への転換期に日本企業は完全に出遅れることとなったのだ。
結局日本企業はアメリカ製航空機の機体をライセンス生産することにより、技術を再取得しなければならなかった。

田中にもたらされた情報によると、大戦後解体されたはずの旧日本国誇る航空機会社のひとつが何十年もの長きに渡りアメリカの目を盗んで密かに開発を続けていたと言う。
しかも今や技術も追いつき日本製戦闘機の青写真まで用意されているらしいのだ。
これが本当であれば、航空機業界全体、さらには日米関係にまで及ぶ国際問題になるだろう。
しかし三代目田中は日本が自国製の武器で自国を守るのが本来だと強く信じていた。
夢にまで見てきた日本製戦闘機が手の届くところにあるという情報を彼は有頂天に受け止めた。
これが実現すれば倶楽部が、いや田中自身が最も望んでいる強い日本の将来が、現実のものとなるのだ。
「この芽は、なんとしても形にしてみせる。」
出来ぬことではない。
田中はこれまでも倶楽部が握る情報を利用してあらゆる方面に圧力をかけ金をばら撒き、能無しの政治家や、財界人ども、ひいては日本国を裏から操ってきた。自分にはその能力も財力もあるのだ。

田中は、愛知に研究所を持つ航空機会社に足しげく通う防衛族議員たちに注目し情報収集に専念した。その中の一人が勝見議員だった。当時40代の勝見は、代議士としては若手ながら、行動力にあふれ、防衛族の中でリーダー格だった。そして田中が一番期待を置いた人物でもあった。金、権力、人脈。田中はあらゆる手段を講じて、勝見を後押しした。
一介の地方議員であった勝見を有力代議士に育て上げたのは田中であったといってもいい。が、その彼が1年ほど前から急に倶楽部を訪れなくなり、打って変わって神戸のラ・パルフェ・タムールの常連となったのである。はじめのうち田中はこれを特に問題とは思わなかった。神戸は表面上では倶楽部から独立しているとは言え、今でも倶楽部の一部と言っても良い。
少なくとも、田中はそう考えていた。田中は早速、石橋に対し議員をマークし、細部にわたるまでの報告を要求した。そして、石橋もこれに応え当初は集めた情報を逐一報告してきていた。それが・・・
今まで良好だった情報の流入がここ数ヶ月、目に見えて減ってきている。
情報室も神戸が勝見に関してマトモな情報を寄越さないとボヤいている。
石橋は、勝見が来ないと言い張るが、それでも神戸に全く情報が入っていないはずはない。
「石橋め、何をしているんだ・・・。」
神戸の店を与えることで、石橋を自分の下に付けたつもりの田中だったが、石橋は近頃東京と神戸を同格だと考えている節がある。この、三代目田中をないがしろにしていると感じられるのだった。





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