Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー59

18年前、石橋と神戸に来るまでは、梶もまた紐育倶楽部で働いていた。

無表情でつかみ所が無いが、何をさせても如才なくこなす。
何事も冷静に理論立てて考える事の出来る男で、感性に優れ度胸も据わり物事に動じない。
その力量に加え、ワイン、高級料理、チャイナ、美術品、装飾品などの広域にわたって詳しい知識を持つ彼は田中の信頼を得、フロアマネージャーを務めていた。
芸術品だけを愛し、その他には興味が無いと皆が信じて疑わなかった彼が一度だけ愛した女がいた。
梶は彼女を最高の芸術品のようだと言った。
しかし、この恋のために命を狙われ、結局は東京を追われる事になったのだ。
田中は普段から部下をチェスの駒と考え、そう扱ってきた。
それ以上でも、以下でもない。利用価値の無い人間は容赦なく切り捨てるし、有能な部下であっても必要とあれば利益のために犠牲にするのを厭わない。
外からの敵に追われる梶は倶楽部にとって今や厄介者でしかない。
しかし、田中は窮地に落ちいった梶にはまだ利用価値があると考えた。
丁度折から関西圏の情報を手に入れるために神戸に店を出すという計画が進んでおり、その支配人には一癖も二癖もある石橋をと田中は考えていた。
石橋は野心溢れる男だ。梶は使い方によっては石橋の首を横浜に繋ぐ恰好の鎖になるだろう。

ラ・パルフェ・タムールの執務室で、その日の客のリストに目を通しながら梶が電話を受けていた。相手は横浜の三代目だ。
「今日そっちに斉藤をやった。着くのは夜だが、迎えに行ってやれ。」
梶の眉がピクッと上がった。
「左様ですか。解りました。」
情報室のナンバー・ツーが直々に神戸を訪れるのは異例である。
「勝見議員の資料をまとめておいてくれ。」
「承知いたしました。」
電話を切ろうとする梶に田中が
「石橋に変わりは無いか?」
と聞く。田中の声の裏には明らかにイライラした感情が隠されていた。
「お忙しくされてます。」
抑揚の無い声で当たり障りの無い返事をする。田中はその言葉の意味を探るように一呼吸おいてから、
「おまえを石橋に付けた理由は分かっているな?
と、念を押すように言う。梶は、
「承知しております。」
と無感情に繰り返した。田中はまたしばらく間をおいて、
「・・・まあ、いい。報告を怠るな。」
そう言うと一方的に電話を切った。
受話器を置いた後、梶は思いを巡らせた。
田中が勝見議員を陥れるが為、情報収集に躍起になっているのは梶も承知している。
そして石橋がそれを知りながらのらりくらりと情報を流さないのもわかっていた。
何時まで横浜の我慢が続くかと思っていたが、そろそろ支配人本人が痺れを切らしたようだ。どうするか?
「まだ、材料が少なすぎる・・・」
とにかく今は、支配人ご要望の資料をまとめねばならない。それから開店の準備だ。梶は忙しげに執務室を後にした。





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