Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー61

 その夜、客のテーブルを片付けながら興津は体の不調を感じていた。 どうも腹具合がおかしい。 胃薬を飲んで床についたが一向に痛みは治まらず、それどころか酷くなる一方だ。 

夜明け前になって全身に汗をビッショリかいてベッドの上をのたうち回っている興津に原田が気が付き騒ぎになった。
尋常では無い苦しみ方から判断すると、すぐにでも病院に連れて行くしかなさそうなのだが、連絡を受けた梶は
「救急車はまずい。」
と、渋面と作った。周りには隠れているとは言え、レストランから腹痛患者を出すのは嬉しい事ではない。
それに加えて昨晩横浜から客人があり、表のホテルに滞在している。
どうという事は無いだろうが要らぬ事で目立ちたくない心理が働くのだ。しばらく考えていた梶は
「井上医院まで運んでやれ。」
と、原田に告げた。
井上医院は三宮にある。腕の良い医師が経営している小規模な病院で丁度5年前骨折した要が入院した病院でもあった。
院長の井上はもともと関東の病院に勤めていて、梶たちはその頃からこの医師をよく知っていた。
やはり医師であった前院長の父親と折り合いが悪く、東京で医者になったが、父親の死後、気弱になった母親の望みで神戸に戻り、実家の病院を継いだらしい。
救急病院ではないが、ラ・パルフェ・タムールの興津といえば,無理を通してくれるだろう。

「というわけで、例によって井上先生の世話になるらしいぜ。」
戻ってきた原田が興津に言った。興津は脂汗を浮かべたまま頷く。
「じゃあ、お姫様をお城からお連れ申そうか。」
原田は、大げさにお辞儀をすると、自分に比べてかなり小柄な興津を抱き上げようとした。
「ばかやろう、きもちわるい!」
興津が慌ててベッドから起き上がったが痛みにうなりながら前かがみになる。
「なあんだ、まだ随分元気じゃないか。じゃあ、歩きな。」
笑いながら、原田は、それでも興津に肩を貸して、エレベーターホールまで連れて行く。エレベーターで下に下りると、要が車を回してきて興津たちを待っていた。
シートをいっぱいまで後ろに倒し興津を助手席に乗せた原田は後ろのシートに滑り込んだ。
「要、井上医院だ。そっと走ってやれよ。」
同僚をいたわって一言付け加える。
「ああ、早いとこやってくれ、運転手君。」
興津もうめきながらそう言った。

井上病院に着いたのは午前6時、外はもう明るくなっていた。
原田が病院の玄関に駆け寄ると、既に梶から連絡が入っていたとみえ、看護婦が一人車椅子を用意して待っていた。
興津を座らせて診察室へ向かう。
そこには井上医師その人が興津を待ち受けていた。
「先生、夜中から腹が痛いんだ。」
興津が訴える。触診していた井上医師は、
「どうやら、急性虫垂炎だな。」
「切ればすぐに治まる。」
とこともなげに言う。
「おい先生、薬で散らせないのか?俺はメスを体に入れた事は無いんだ。」
珍しく泣き言を言う興津を井上医師は睨んだ。
「吐き気がし始めたのは夜中だったといったな?ほうっておくと穿孔を起こして腹膜までやられるぞ。」
脅すように言う。看護婦を振り返って、
「レントゲン室へお連れしなさい。それと、至急手術室の準備をするように。」
と、淡々と指示をだす。
興津が情けない顔をして井上医師の横顔を恨めしげに睨んだ。
要は診察室で横に控えて医者と患者のやり取りを聞いていた。
盲腸かと一安心すると同時に、今まで知らなかった興津の一面を目の当たりにし、こみ上げてくる笑いを必至で堪えていた。
看護婦とドアの向こうに興津が消えると、井上医師は、ニヤニヤと笑いながら、
「何年も前からの知り合いだが、変なところで臆病だから困る。」
「レントゲンで、あいつの腹黒いのが証明されそうだな。」
と独り言を言う。要も釣られて笑いながら、医師に一礼した。
井上は、要の方を向いて、
「おお、要君か。久しぶりだな。」
と、相好を崩した。5年前に骨折した時、執刀したのも、この井上医師だったのだ。
「見た感じでは、君の足は完治したみたいだな。」
「本当に、お世話になりました。」
要は心からそう言った。
リハビリの成果ももちろんあったが、後遺症が全く残らなかったのは井上医師の腕に大きく要因する。
この診察室にも何度も足を運んだものだった。
要は医師に向かってもう一度深く頭を下げ、原田に合流すべく待合室に戻っていった。

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2023/04/26 09:36
~~ヾ(^∇^)おはよー♪
今日も元気にれっつごー!!
2,500皿達成、ありがとうございました。




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