Nicotto Town



自作小説倶楽部4月投稿

『忘れ物』


あ、ここだ。
コンビニの帰り道、家主を失った祖母の家にまっすぐ戻る気にはなれず、遠回りして、堤防にたどり着いた。堤防の上から川を見下ろすと長い草に覆われた河川敷が広がっている。ちょうど十年前の一年間だけ祖母の家に預けられていた私の遊び場だった。
こんな場所でよく遊んだな。
交通量の多い表通りを避けた結果、子供の遊び場として定着したのだろう。もちろん雨が降ればしばらく封鎖される。根暗な転校生だった私を唯一相手にしてくれた女子グループがここへ私を導いてくれ、それから遊び相手がいなくてもここで時間を潰すようになった。
ふいに河川敷で転んで、祖母が買ってくれたピンクのスニーカーの片方を失くしたことを思い出す。あの後、どうやって帰ったのだろう。
あれ?
草の間でピンク色のものが動いたような気がした。目を凝らすがふたたびそれらしきものをとらえることはできない。不安が胸の内に湧き上がる。今、見渡せる場所に人の姿は無い。
こんな時に一人で泥に足を取られて転んで動けなくなった子供がいたとしたら、
断片的な記憶が浮かび上がる。ざらざらした砂の混じった泥の感触、そして頭上を覆う暗い草むら。私は泣きながらしゃくりあげることしかできない。
恐怖の記憶を振り払い、河川敷へと降りる階段に向かうとそこには『河川敷工事のため立入禁止』と赤い文字が書かれた看板と黒とオレンジの縞模様のフェンスでふさがれていた。
それらに威圧されて足が止まる。同時に自分が見たものが子供なのか自信が持てなくなった。階段以外の斜面を降りるのも、フェンスを越えるのも子供には一苦労だ。
「カスミちゃん」
その時、道路側から名前を呼ばれて振り向くと小柄なお婆さんが私を見上げていた。少し祖母に似ている。昔、この町が村だったころは皆親戚だったと聞いたから、このお婆さんもそうした親類の一人なのかもしれない。
「おばあちゃんの死に目に会えなくて残念だったね」
「はい。でも、看護婦さんが良くしてくれたようですし、眠るように亡くなったそうです」
「砂和子さんは?」
「仕事があるので東京に戻りました」
砂和子は私の母の名前だ。答えてから相手の反応を伺う。両親の離婚から母の身勝手さで一番の迷惑を被っているのは娘の私なのに世間はそれを理解してくれないことが多い。今だって大学生の私に祖母の家の片づけを押し付けているのだ。
しかし、お婆さんの反応は予想外のものだった。
「ちゃんと悲しんでいる?」
「ええ?」
悲しいに決まっているではないか?
大好きだった祖母の死、頼りにならない母、しかし反論は喉に詰まって出てこなかった。病院で遺体に対面しても漠然とした不安を感じただけで涙は出なかった。大体、私は過去2回、「可愛げが無い」と彼氏に振られるような女なのだ。浮気された時も振られた時も泣くことはなかった。
「おばあちゃんはね。カスミちゃんのことをずっと心配していたよ。本当は泣き虫なのに泣けなくなった。いじめられた時も離婚の時も、おばあちゃん、助けられなくてごめんね」
「そんなことない」
祖母に謝られることなんて何もない。強くあろうとしたのは私の意思だ。祖母のように謝るこのお婆さんは何者なのか。
泥の中で転んだ小さな自分を思い出す。惨めで弱い女の子は泣くことしかできない。しかし草むらに光を阻まれ、ここに永遠に閉じ込められるという恐怖を覚えた時に悲鳴を上げた。
泣くことは何の役にも立たない。
ああ、そうだ。
私はまた河川敷を見下ろした。汚れたピンク色のTシャツに青いキュロットを履いた女の子が見上げていた。
それは私が捨てた『悲しみ』だった。

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2023/05/21 23:42
ドッペルベンガーのようで、
ちょっとシュールが感じがいいですね。
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2023/05/05 02:36
デジャヴュ系の作品。
ヒロインがトラウマを乗り越えるために、向き合う姿勢が素敵です。
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2023/05/03 11:51
ポエムな情景が浮かんでよかったお♬



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