Nicotto Town



窓から外を眺める猫

保護犬、とか、保護猫、という言葉があります。

保護犬猫は、大雑把に言うと3種類います。

捕獲され、動物愛護センター(という名の収容所)などに収容された、いわゆる野良犬や野良猫。

②やはり捕獲されたけれど、その捕獲者が役所などではなく、保護団体などが自主的に捕獲した野良犬猫(大半は猫)。

③多頭飼い崩壊や飼育放棄による生死に関わる状況からレスキュー、ブリーダー廃業や生産能力のなくなった個体の放棄からのレスキューなどにより、保護団体などによって保護された犬猫。

なんにしても飼育者が不在もしくは飼育不能な状態のため、放置すれば殺処分、もしくは餓死や病死による自然死かの状況で、いずれにせよ先には死しかない犬猫です。


③いついては、これはもう誰かが救わない限りは、状況として死しか先がないことが明白なので、保護し新しい飼い主を探すというのは理にかなったことで、特になにもいう事はありません。

私が良くわからないのが、①と②なのです。

①は昔からあるパターンですが、そもそもなぜ野良犬や野良猫がいてはいけないのか。野良犬などは人を襲った場合に危険だし、またそういう事態が起きた際に病気を媒介するなどのリスクもある、というのはあるでしょう。糞尿垂れ流すので不衛生という話もあるかもしれません。

じゃあ、なぜ野良犬は人を襲うことがあるのか。犬も理由なく人を襲いません。少なくとも現代において、捕食行為として人が襲われる可能性は低いと思うので、だとすれば、人を敵視するからというのが妥当な答えでしょう。
ではなぜ敵視するのか。個別の理由はそれぞれなので分かりませんが、ざっくりまとめれば、攻撃されることを警戒しての防御行動ですよね。噛みつくと気持ちいから快楽のために襲うというのは、通常想定できない。

ではなぜ攻撃されることを警戒するのか。簡単です、攻撃されてきたからです。
もちろん、犬の個別の性格として荒っぽいのはいるでしょうし、そもそも犬種として闘犬などを目的として、不自然に攻撃性を高められて品種改良をされている犬もいます。そういう外れ値は一旦横に置くならば、身を守る必要のある生活をしてきたから、襲うのです。

トルコという国があります。トルコでは、野良犬猫の殺処分が法律で禁じられています。じゃあ野良犬猫はどうなるのか?どうにもなりません。野良犬猫として、街中で普通に暮らしています。
野良イノシシとか、野良カラスとか、言いませんよね。ただ単に、野生のイノシシであり、カラスです。なぜ犬猫だけは野良と呼ばれるのか。それは特定の所有者が、街中という人間との共通領域において飼育下に置くことを前提として生きていることを許される動物、と人間が決めたからです。
イノシシやカラスが放置されるのは、あくまでも山の中など人間と共通領域に居ない、直接の利害関係にないことが前提なので、畑を荒らしたりゴミ袋を食い漁ったりすれば、たちまち処分対象にされます。
じゃあ野良犬猫はなぜ生まれるのか。それは特定の所有者が、街中という共通領域において飼育下に置くこという前提を反故にしてしまい、犬猫を共通領域を侵す存在にしたからです。そしてそういう存在になった犬猫を自前で処分する羽目になったというマッチポンプ状態が、現状です。

トルコの野良犬猫は、単に野良としてウロウロしているわけではありません。公的に餌や水を与えられ、避妊手術が施され、そして市民はそのために公費が使われ、そういう状態で街中に野良犬猫がいて、そのことによって発生する諸々(道端にウンチが落ちているとか)を受け入れ、それに対して特定の誰かではなく全員が対処する、ということになっています(もちろん建前の部分も多少なりともあるでしょうが)。
つまり、あえて綺麗な言い方をするならば、野良犬猫はそもそも何故うまれたんでしたっけ?という問題の負荷を犬猫に押し付けるのではなく、人間の側が自ら落とし前をつけることにした、ということ。

家の前に犬のウンチが落ちていた。
あらあらと言いながら、拾って捨てる。

お腹空いたと犬が隣に来る。
はいはいと僅かばかりのエサを与えてあげる。

まだ食べられる生ゴミが出たら、ゴミ捨て場の脇に設けられた餌場においてやる。
餌場が汚れたら、誰がという事でもなくちょっと水で流しておく。

だから、犬は人を襲わない。だから、猫は人から逃げ出さない。誰かがではなく、見つけた人がウンチを捨てるから、道端が犬フンだらけにならない。

言ってしまえば、たったそれだけのことが出来るか否か。そこにこの施策の成否がかかっているということになります。そして、トルコでは波風もあったかもしれないが、とりあえず社会がそれを受け入れている。

そこで②。
保護団体の野良猫の扱いは、大きく二つに分かれるはずです。
ひとつは、いわゆるTNR。桜猫という言葉を聞いたことがある人もいると思いますが、片耳の先を小さくカットしてある猫で、これは保護団体とボランティアの獣医師によって、去勢手術を受けさせた猫である証拠となっています。こうして数の増加を抑える処置をして、再び街に戻します。犬が人を襲う危険性を日本は回避できていないので、犬に対してのTNRは行われていません。

ここまでは良いのですが、もうひとつの、本当に保護して飼い主をさがす、これが分かりません。保護団体の人は言うわけです。野良生活は過酷だから。それはそうでしょうが、でもそれが野生という事です。

我が家の猫は、このパターンの猫です。もらってきておいてアレコレというのもなんですが、我が家の猫は幸せなんですかね。確かに命の危険はありません。暑さ寒さに苦しむこともありません。そういう意味では楽な生活を送れることになりましたが、毎日やることもなく家の中に閉じこもり、ただ寝て起きるだけの生活。

正直、いまでも心のどこかで葛藤があります。

別に何が言いたかったわけでもありません。
とりとめもない話です。
ただ、ちょっと思ったことを書いただけです。

ではでは。

アバター
2023/05/02 01:39
>つねに猫の意思を尊重して、こちらの気持ちを押し付けすぎないの。

わたしは、彼がそれを「頑張ってやっていた」とは思えません。
彼は、それをそういうものとして、「ただやっていた」だけじゃないかと思います。それが彼の生活、大げさに言えば生き方であったというだけで、たぶん「頑張って猫を養うぞ」とは微塵も思っていなかったと思います。

以前も日記に書きましたが、「地球を守ろう」「食品ロスをなくそう」、そういうのは全部ダメなんです。そんなキャッチフレーズが有効である時点で、それはそれを言う人の生き方にはなっていない。単にスローガンでしかなく、単にイベントでしかない。

保坂さんのやってきたことはとても素敵だと、もちろん思います。でも、「え?そんなの当たり前じゃなくて?」とならなければ、駄目なんだと思います。

トルコの話は、つまりそういうことなのです。
アバター
2023/05/01 21:06
たしかにトルコの犬たちは、もえーんさんが言うとおりだったな~・・・と、トルコを旅行中にいろんな犬と出会った時のことを思い出しました。

野良猫の保護の仕方で私が心を打たれたのは、作家・保坂和志さんのやり方。
ひたすら毎日餌をあげて、見守って、やがて高齢になってきた猫のほうから「そろそろ家の中で過ごすことにするね」と猫が決心するまで辛抱強く待つんです。何年も何年も。10年以上辛抱強く見守ってあげた子もいます。つねに猫の意思を尊重して、こちらの気持ちを押し付けすぎないの。なかなか出来ることではありません。



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