Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー67

弁当屋の袋を下げてアキラが所在無げにロビーのベンチに座っていた。

医院では患者の夕食給仕のばたばたが一段落したところだ。
休憩に入った若いナースが一人ロビーを通りかかり
「あ・・・103号室のひろみさんとこの、えっと、アキラ君でしょ?」
とアキラに声をかけてきた。
アキラが先週犬飼たちと共にここに来た時から彼女はアキラの精悍な感じが気になっていたのだ。
アキラはナースにペコっと頭を下げ、社交辞令で微笑んだ。ナースは断りもせず、アキラの横に腰を下ろす。
「どうしたの?なんか楽しそうね。」
と話しかける。
「あ、いや、別になんでもないです。」
アキラはどぎまぎしながら目を足元に落とした。実はさっき弁当を持って帰ってきたアキラが勢いよくひろみの部屋のドアを開けると
「バカヤロウ、もう少し気を利かせろ。大人の時間だ!」
と、ひろみを愛撫中の犬飼に怒鳴られ、
「す、すみません!」
と、顔を真っ赤にして逃げてきたのだ。
しかたなくロビーで時間を潰していたのだが、さっきの犬飼のなんともいえない顔を思い出して、思わず笑いがこみあげてきていた。
まさかナースにこれこれしかじかで、ニヤケていますとも言えない。
無口に視線をつけっぱなしのテレビに向けた。
赤くなって目をそらすアキラをナースは勘違いした様子で、アキラのほうににじり寄ってくる。
そうしておいて、あれやこれやと話しかけてくるのだ。仕方なく話をあわせて頷いていると、急に思い出したように彼女が立ち上がった。
「ああ、そうそう、詰所にね、ひろみさん宛にお花が届いてたわ。」
「花?」
身体が触れ合わんばかりに迫ってきた彼女が離れてくれてホッとしたアキラはひろみに見舞いが届くのは不思議だと思いながら、自分も立ち上がった。
ナースが先に立ってナースステーションに向かう。
中に入って奥から赤い花の豪華な花籠を持って戻ってきた。
「5時前に来てたんだけどね、丁度夕食時のばたばたで置きっぱなしになってたのよ。」
と申し訳なさそうに言う。
時計を見るともう7時だ。
「誰からだろう」
受け取ったアキラはメッセージカードを見た。
『103号室、田中ひろみ様』と書かれている。
送り主の名はない。田中ひろみというのはこの病院で使っているひろみの偽名であるし、もしかしたら犬飼がオーダーしたものかも知れないと思いながら
「ありがとう。」
とナースに礼を言い、アキラは弁当と花籠を持ってひろみの部屋に向かった。
さっき怒鳴られてから小一時間たっている。いくらなんでももういいだろうと、それでもいきなりドアを開けずにノックした。
中からドアが開いて犬飼が顔を出して
「なんだ、遅いじゃないか。腹減ったなあ。」
と理不尽な文句を言う。
「う・・・もう弁当も冷めましたよ!」
口答えするアキラを無視して
「で、その花は何だ?彼女を引っ掛けたか?」
と犬飼がアキラに聞く。
「これ、犬飼さんからじゃないんですか?」
アキラが首をかしげた。
「送り主の名前が無いんですよ。」
そう言って籠を机の上に置いた。赤い大輪の薔薇とカーネーションの花籠で、大きなリボンがついている。
これには、犬飼も腑に落ちない顔つきになった。ここにひろみがいる事は、ごく一部の人間しか知らないはずだ。
犬飼はその一人一人の顔を思い浮かべていった。
「ナースは何か言ってなかったか?」
とアキラに聞く。
「5時ごろに届いたって以外はなにも・・・」
もう一度聞いてこようかとアキラが立ち上がったその時、やはり、花籠をまじまじと見ていたひろみがヒステリックに籠の中の一つの花を指差した。
「この花!」
言われるとおり、犬飼が改めて籠を見てみると、薔薇とカーネーションに交じって、花かごには珍しい赤いキョウチクトウが一枝刺してある。
「キョウチクトウの花言葉は危険と警戒よ。」
ひろみが震えながら呟く。
「なにをばかな・・・」
女は何で、こういう事に無駄に詳しいのだろう?花言葉など知りもしない犬飼は、恨めしく思った。
「大方、犯人は編集長か高円寺のセンセだろ。」
と笑いながら、それでも籠を詳しく調べ始めた。
「おや?」
よく見るとキョウチクトウの花軸に何か結び付けられているのだ。
そっと花を籠から抜く。それは細く畳んだ緑色の紙片だった。広げると
「倶楽部が医院を嗅ぎつけた。追っ手は横浜を出た。すぐに逃げろ。」
と、書かれている。メモを見つめたまま犬飼が呟くように言った。
「花は5時前に届いたと言ったな・・・」
時計は7時5分を指している。横浜から神戸は車で5時間、新幹線なら新神戸まで3時間前後、飛行機なら・・・犬飼の顔つきが見る見る険しく変わっていった。
メモを握りつぶすとアキラを向いて低く怒鳴った。
「アキラ、荷物をまとめろ。動くぞ。」
誰からの警告なのか、わからない。しかしそれがここに5時に届いてから既に2時間以上経っているのだ。
今動かなければまずい事になる。犬飼の直感だ。一刻も早く・・・。

ナースステーションの前は通れない。
幸い病室は一階なので、犬飼は窓から抜け出る事にした。
車椅子を窓の下におろし、アキラと二人がかりでひろみを窓から外に出した。周りの様子をうかがいながら駐車場のバンまでそろそろと移動する。
「しまった、花籠!」
犬飼が歩を止めた。誰からのものか解らないが奴らが来るなら、証拠を残すのは賢明ではない。
「俺、取ってきます。」
アキラがすぐにUターンして病室に向かって駆け出した。部屋に戻ると花かごと、丸められた緑の紙を回収する。最後に病室をぐるっと見渡してほかに何も残されて無いと確認すると窓から外に飛び出し、犬飼たちが待つバンまで一気に走った。
駐車場に白いバンが見えてくる。サイドドアが開いてルームライトが点灯している。
「え?」
なにかおかしい。暗い中でライトを点灯させたまま犬飼がぐずぐずしているのが変なのだ。近づくアキラの目に地面にうずくまる影が映った。
「犬飼さん!」
「ううう」
後頭部を押さえながら犬飼がうめいた。
「どうしたんですか?」
「・・・急に後ろからなぐられた・・・」
犬飼が苦しげに言う。
「ひ、ひろみは・・・?」
素早くあたりを見渡すが、空の車椅子が転がっているだけで、ひろみの姿はどこにもなかった。





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