Nicotto Town


ぴのぴののなんでも日記


『どうする家康』三方ヶ原合戦の視聴記録です!!




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 予想どおりのGW明けブルーな月曜日でした。今夜は巡回パスして、これ書いたら寝まーす。
 では「三方ヶ原合戦」の考察です。
・前後しますが、次週タイトル「真・三方ヶ原合戦」ってなめられてんなあ。シン・ヱヴァンゲリヲンの真似かい。必死で観てきてやっぱ次週に続くのかあ。
・あの金の甲冑はと首は影武者なのでしょう。武田信玄は直接面識もあるしな。
・CGの乗馬シーンはこれまでよりましになってた。しかし合戦シーンはまたまた省略・・・。行軍は蛇行、惨敗惨状だけかい。しかし、武田は「大騎馬軍団」が売りだったのでは??CGでは無理かあー。
・武田信玄の病死のタイミングがわからないので、どこので信玄は進むのか?甲斐の後ろを突く大名はいなかったのだろうか?
・うさぎの木彫りは最期の時の伏線ツールになるんだろうな。
・結局、信長は助けに来ると宣言しときながら来ない?ということが、今後、根底の遺恨になるのでは?

 併行して、浅井が滅亡し、お市救出の頃ということ?足利義昭は来週、追放?大阪のあの商人はそろそろ出番か?それにしても四国・九州はどうなってんだろう?
 
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2023/05/11 23:45
 ユーミさん
 !!!!ショック。
 再来年も武将もの無し・・・ですか・・・。
 日曜日の夜はジムかスイミングか入ろうかな・。
 でも半年は雪の中だしな・・・。

 そうですよね、だから四郎なんでした。
 今回は結構強者なので、散り方見ものです。
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2023/05/11 22:58
武田勝頼は信玄の長男ではないです。
長男で嫡男だったのは武田太郎義信でしたが、謀反の疑いで廃嫡されて幽閉され自害に追い込まれています。
次男は生まれつきの盲目で三男は早逝。
勝頼は四郎と呼ばれている様に四男で、側室諏訪御寮人との子供で元々は諏訪家の後継者でした。
それが義信の失脚で武田の世子になる訳ですが、その所為で武田の後継者とも諏訪の後継者とも認められずに、結局信玄の死の9年後に滅びる事になる運に恵まれなかった人です。
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2023/05/11 22:45
三方ヶ原後の武田軍は、惨敗したとはいえまだ6000の兵で浜松城に籠城する家康を攻めるのは困難を伴うと判断して、三河に侵攻して要衝野田城を陥落させるものの信玄の病状が悪化した事により甲斐へ撤退を始め、その途中で信玄は病死です。

浅井・朝倉はまだ健在です。
三方ヶ原合戦の頃は、朝倉勢が雪で帰国できなくなる前に織田包囲網から抜けた頃ではないかな?
ただ、信玄が病死した年の9月に浅井も朝倉も滅びますので、もうじきではありますね。

四国は長曾我部が土佐を平定する間際くらい?
九州は、大友宗麟や龍造寺隆信、島津義久などが鎬を削っている頃ではないかと思われます。


来年の大河は紫式部が主人公ですが、再来年の大河も蔦屋重三郎という文化人だそうで、完全に守備範囲外でお手上げ状態です。
紫式部はまだ分かりますが、蔦屋重三郎って誰?

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2023/05/11 22:34
ユーミさん
 早々のコメント、どうもありがとうございます。
 あっという間にもうすぐ折り返しの大河ドラマなんですねえ。
 もう「合戦シーン」ファンは諦め、史実、通説、今回の異説の堪能派に切り替えなきゃなあ――。
 さて、信玄はドラマどおりの死期秒読みを自覚していたのなら、天下取りまでたどりつくか、その先を見越して長男をどの位置で託すかの葛藤の頃と思いました。
 ドラマどおりの要人の設定とするなら、凡庸将軍への忠義より、織田・上杉の禍根だけは自分の代で切り、そこから先の攻守は勝頼に任せる。との終活でどうでしょうか?その死期の読み違いの禍根が後々の結果が物語る・・・。
 ここから山梨県民の苦渋の数週間になるんでしょうね。
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2023/05/11 22:18
それだけ気を使ったにもかかわらず、家康は今川氏真と和睦し氏真が北条領に向かうのを見逃しています。
これは武田から見れば明らかな盟約違反。
ドラマでも、信玄は怒っておる、と言ってましたよね。

今回の信玄の侵攻は、家康の武田に対する不遜な態度が招いたもの、言ってみれば家康の自業自得という訳です。

信玄は氏康の死後に再度北条と同盟を結び、謙信に対しては越中の一向宗を嗾ける事で動きを封じ、後背の憂いを無くしてから満を持して遠江に侵攻したんですよね。

ドラマでは、本多平八郎と叔父の忠実が偵察に出ていたところで武田勢と遭遇して戦いになっていましたが、実際は3000の兵を率いて家康自身が出陣しています。
三箇野川というところで武田の先発隊と遭遇してすぐに撤退したものの、武田の追撃が予想以上に速く一言坂という所で追いつかれ合戦となります。
これが三方ヶ原合戦の前哨戦になる一言坂の合戦ですね。
この時家康は、殿に本多平八郎と内藤信成を残して自身は撤退しています。
殿の二人の戦いぶりは武田方も感嘆するほどで、「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭と本多平八」という落書を残しています。
唐の頭とは内藤信成の兜の事ですので、二人を称賛した落書ですね。
ドラマで忠実と平八郎と言う叔父甥コンビになっていたのは、次回への前フリでしょう。

ラストで運ばれていた金陀美具足と首は、お察しの通り影武者…というより身代わりです。
誰なのか、は次回のお楽しみ…というか予想はつくと思いますけど。

武田の騎馬軍団は、最近では存在しなかった、という説さえありますが多分存在はしていたと思います。
ただし、当時の日本の馬は現代のサラブレットは勿論当時のアラブ馬より小型でしたので、軍馬となりえる大き目の馬を選りすぐって育て、尚且つ軍馬として訓練するのは相当に大変な事であった筈です。
なので数千の騎馬軍団というものは難しく、もう少し少数だった可能性が高いと思います。

信玄が病死するのは、1573年5月13日(旧暦では4月12日)です。
三方ヶ原合戦の4か月後くらいですね。
孫氏の兵法のお手本の様な合戦で勝利した信玄ですが、彼自身は末期の胃癌で死に体に近い状態だったのでは、と思えます。
無理な行軍で寿命を縮めたのではないでしょうか。
現代人なら終末期病棟に収容されて寝たきりになってます、きっと。
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2023/05/11 21:19
こんばんは^^
シン・ゴジタに始まりシン・ウルトラマン、シン・エヴァンゲリヲン、シン・仮面ライダー、と「シン」を付ければ良いと思っている様なタイトルが乱立するこの頃。
そのうちに、シン・自民党、シン・公明党、シン・民主党、とか政治方面に波及しはしないか、と心配しております。流石に与党は無いかな? でも、野党の方は怪しい・

それはそれとして、今回の「どうする~」は三方ヶ原合戦で次回が真・三方ヶ原合戦。
結末を先に表現してから次回にその内実を表現する、当地方的なストーリー展開が脚本の古沢氏はお好みらしいですね。生憎他作品を拝見した事が無い為、ネットでチラリと見た程度の評価ですけど。

詳細は次回に持ち越しという事ですので、今回は三方ヶ原合戦の裏事情とでもいうべき事を少々…

歴史の授業では、信玄の西上作戦は足利義昭の要請による上洛戦、と教えられた記憶がありますが、実の所現時点での義昭の要請は為されておらず、この時期は第二次織田包囲網が出来上がっていますが、信長と義昭の関係はまだ決裂してはおりません。
義昭が信長と手切れになるのは、三方ヶ原合戦で徳川惨敗の報せを受けてからの筈です。
ですので、西上作戦の目的はドラマの様な天下静謐の為の上洛とは言い切れません。違うとも言い切れないので難しい所ではありますが、個人的には上洛よりも家康を討つ事の方が主目的ではないかな、と思っております。

何故家康を討つ事が主目的になるか、と言えば有体に言って信玄は家康に対する鬱憤を溜め込んでいたから。
事の始まりは、両者が同盟を組んで今川領への侵攻を始めた時です。
信玄は駿河から、家康は遠江から各々で今川領を切り取り次第だった訳ですが、信玄配下の秋山虎繁が信濃側から遠江に侵攻した為、盟約違反であると家康が信玄に対しかなり強気に出た抗議をしています。
この時信玄は、すぐに秋山を呼び戻して家康に詫びたらしいですが、家康はネチネチとしつこく文句をつけたのだとか。
今川領に侵攻した事で相模の北条氏康を敵に廻してしまった信玄は、氏康が越後の上杉謙信と和睦た為、謙信に後背を脅かされる事になりました。その上家康迄敵に回すと、三方から攻められる事になって武田が滅びかねない危機に陥りかねない為、格下の家康からの信玄の足元を見た無礼な抗議に対し、相当に気を使った対応をしています。




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