Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー70

井上医院はラ・パルフェから車で10分ほどの距離にある。

車中の斎藤は、はしゃぎすぎとも言える勢いで田中に選ばれた自慢話をしゃべりつづけ、原田には医院までの道のりが2時間にも感じられた。
医院の駐車場にクラウンを停めた原田は心底解放されたと思いつつ後部座席の斎藤に声をかけた。
「着きました」
原田の言葉で我に返った斎藤は偉そうに
「ご苦労」
とドアを開ける。
「本田たちのことを頼んだぞ」
と言い残して、途中の花屋で調達した花を片手に車を降りた。
時間は6時、医院は見舞い客で混み始める頃だ。
新神戸に客人たちを迎えに行くにはまだ少し間がある。原田は静かに車を駐車場に入れ直し遠目から斉藤を監視し始めた。
斎藤はしばらく駐車場を見回していたがやがて、医院の玄関のほうへ歩いていった。
斎藤がガラス戸の中に消えると、原田は帽子とめがねで簡単な変装をし、その後に続いた。
見舞い客に紛れて花を片手に斉藤が中に入っていく。
3階建ての井上医院は病床50ほどの小規模な病院である。
斎藤が受付で内田ひろみの名前を告げたが、応対したナースが入院患者にその名は無いと言っているようだ。
ひろみは田中という偽名で入院しているのだから当然である。
「おかしいなあ、先週からここに入院してると聞いたんだか・・・」
斎藤は特に驚く風もなく一旦建物の外に出ると別の入り口からまた中に入った。
今度は受付を素通りして、病室の方へ歩いていった。
病室を探してぶらぶら歩いている風に中庭やホールにいる見舞い客、患者達の顔を一人ずつ確かめていく。
すると、一階の病室のひとつから勢いよく飛び出してきた若い男に寸での所でぶつかりそうになった。

「バカヤロウ、もう少し気を利かせろ。大人の時間だ!」
病室の中から男の怒鳴り声が聞こえた。
その口調が、関西弁ではなく標準語なのに、斎藤は気付いた。
横によけながらそれとなしに病室を覗く。
「す、すみません。」
若い男は中の男に対してか、ぶつかりそうになった斎藤に対してかそそくさと謝りながら、慌ててドアを閉めて、ロビーの方へ走っていった。
その後姿を見送りながら、斎藤は自分の幸運が信じられないでいた。
「見つけたぞ・・・」
本当に一瞬だが、部屋の中に見た男は田中の送ってきた写真の犬飼に間違いない。
本田たちが来るまでに病室だけは確かめておかねばと思っていたのが、それが全くの偶然で簡単に明らかになってしまった。
斎藤はトイレのゴミ箱に花を投げ込み駐車場へ戻っていった。建物の外回りを歩いて、さっきの病室の窓に見当をつける。
昼間の熱気が収まり涼しくなった外気を入れるため、窓は少し開いていた。
斎藤は閉められたブラインドの隙間から中をうかがう。
そこには抱擁する男と女がいた。
目を細めて見ると、一人はルポライター犬飼、横たわっているのは間違いなくその恋人、ひろみだ。
「ターゲット確認。」
斎藤はほくそえんだ。
「しかし・・・」
と、あごに手を当てる。さっきぶつかりそうになった若い男の事を思い出したのだ。
『犬飼と恋人のほかに、未確認の若い男が同行している・・・』
斉藤は舌打ちをした。
「・・・また的が増えたな。」
時間がたつほどに消さなければならない標的が増えていく。面白くないパターンだ。そうとは言え、見舞い客の多い今はまずい。応援も来ていない。
「面会時間の終わる8時を待つしかないか。」
斎藤は腕時計で時間を確認しながら、そう思案した。

医院での出来事の一部始終を見届けた原田は、斎藤に気付かれぬよう車を駐車場から出していた。
そろそろ新神戸に向かわなければならない。
梶によると、斎藤は人探しをしているようだが、今見た感じではうまくいっているようだ。それにしても・・・
「石川 アキラ・・・」
原田はさっき1階病室の廊下の陰に隠れた自分の前を足早に通り過ぎて行った青年の事を思い出していた。
あれは確か、要の友達のアキラだ。
「珍しいやつを見かけたな・・・偶然か?」
めがねと帽子を外して変装を解いた原田は、横浜の客人たちを迎えるべく、北西に向けて車を走らせた。





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