Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー72

鈴木は医院の建物沿いに、犬飼のバンへ向かって小走りに歩いていた。

左手10メートルほど離れて同じポイントを目指している川崎が見える。
うずくまった犬飼が僅かに動いた。どうやら死んではいないようだ。
「犬飼さん!」
鈴木の目の前を若い男がそう叫びながら横切った。
さっき病院に戻っていった若者のようだ。
『よし、一網打尽に出来るぞ。』
鈴木は向こう側から忍び寄る川崎に後ろにまわれと合図を送った。
鈴木はヒップホルダーの拳銃のにぎりに手を掛けた。
若い男はこちらに背を向けて、犬飼を介抱しようとしている。
後ろから殴って気絶させ、車に押し込んでしまえばこっちのものだ。
自分が捕らえるのがひろみではなく、犬飼のほうだというのが残念だが、この際仕方がない。
鈴木がまさに拳銃を抜こうとしたその時、医院の方から
「どうかしましたか~?」
と、大きな声がした。見ると、男が一人こちらに歩いてくる。建物の明かりが逆光になって顔は見えないが、パジャマ姿から、入院患者のようだ。
「ちっ・・・」
男の大声を聞きつけて見舞い客の多い時間帯の駐車場に野次馬が集りだした。
『今はまずい。』
鈴木と川崎は視線を交わし、集まる野次馬の中に紛れ込んだ。
犬飼を助け起こしたアキラはパニック状態だった。
ひろみさんがいない、犬飼さんは怪我をしてるみたいだ。
ここに居るのは危険だと思うのに、どうすればいいのか考えが浮ばない。
思わず犬飼の両肩を揺さぶろうとするアキラを、野次馬の中から小柄な男が進み出てきて止めた。
「その人、転んで頭を打ったんじゃないのか?」
のんびりした調子で聞いてきた。興津だ。
「え?・・・ああ」
アキラが上の空で答える。
「じゃあ、中で診て貰った方がいいんじゃないか。」
興津の言葉に、近くの野次馬が気をきかせて近くに転がっていたひろみの車椅子を押してきた。
アキラを手伝って犬飼を座らせる。
「どいてくれ!」
興津が言うと、人垣が崩れた。促され、アキラは犬飼を乗せた車椅子を押して医院に向かう。
「こけて頭を打ったんやて、どんくさいなあ」
「ここの駐車場、暗すぎやで」
背中で野次馬達が口々にそういいながら四散していくのが聞こえる。振り向こうとするアキラに
「振り向くな。まだ監視されているぞ」
と興津がつぶやく。
アキラは自分よりかなり小柄なこの男を横目でうかがった。どこかで会った顔だ。どこでだったか・・・。
興津は、
「隣の部屋でえらくばたばたしてくれると思っていたが・・・」
「どうやら暇つぶしが出来たな」
と、伸びをしようとして、
「いててっ」
と顔をしかめながら前かがみになる。
受付まで来ると興津は先生を呼んでくれとナースに頼んだ。
「興津さん、まだうろうろしちゃだめじゃないですか!」
応対したナースは、この不良患者をそう非難しながらも、館内放送で井上医師を呼び出してくれた。
食堂でやっと遅い晩飯にありついていた井上医師は渋い顔をして箸を置いた。
内線で受付まで連絡を取る。
「興津さんが患者さんを連れてきています」
「あん?何かの間違いじゃないのか?患者は興津だ」
「それが、駐車場で倒れた男を見つけたそうです。」
「何で興津が駐車場にいるんだ?」
押し問答である。ナースの方が先にさじを投げた。
「とにかく受付に来てください!」
返事も待たずに内線を切る。
「あいつはいつも人の幸せを邪魔する・・・」
振り返った井上医師は恨めしげに
「晩飯は置いといてくれ!」
そういい残すと受付に向かった。

「どうもおまえには、患者としての自覚が足りないようだな。」
受付前の興津たち三人を前に井上医師が開口一番文句を言った。
「まだ今朝縫ったところなんだぞ。」
「先生、患者を連れてきたんだ。」
「患者はお前だろうが!?」
医師は眉間に手をやる。
「非常事態だ。病院の駐車場で人が倒れていたら問題だろう?」
「いっぱしの理屈を言うようになったな・・・」
井上は梶の依頼を聞き、この男を急患として受け入れたのは大きな間違いたったと思い始めていた。
諦めたように、車椅子の中でぐったりしている犬飼に目を移した。
「診察室までお連れしなさい。」
車椅子を押して廊下を進むアキラについて行こうとするとする興津に
「おまえの行き先は病室だ!」
井上が怒鳴る。
「乗りかかった船なんでね。」
興津がさらりと流した。井上は興津と争うのを諦め、先にたって診察室へ入った。

「外傷はなく脳震盪だけのようだ。しばらく安静にして、様子をみよう。」
犬飼の怪我が大した事がなかったことを他の誰よりも井上医師が喜んだようだ。
これで夕食に戻れる。ナースに、ここでしばらく寝かせておくように指示をだし
「それと、この男はベッドに縛り付けておけ。」
と、興津を指差した。
指示を受けたナースは意味ありげに興津に微笑みかけた。
「ひでえな、先生。」
と不平を言う興津たちを残して、井上は食堂に戻っていった。
ナースがその後を追うように部屋を出て行くと、
「あ、あんた、もしかして要の知り合いの興津さん?」
アキラはやっと思い出したという感じで興津に声をかけた。
要が5年前この病院に入院した時、原田と見舞いに来ていた小柄な男だ。
興津はそれには答えずに、アキラを見つめた。
「おまえらを狙っている男が2人駐車場にいた。」
まじめな顔だ。
「お前らが中に入っちまったから一旦手を引いたが、今は外から隙を窺ってるってとこだろう」
アキラはじっと興津の話を聞いた。
「そっちの兄ちゃんが歩けるようになったら見舞い客に紛れて抜け出せ。」
「俺はもう大丈夫だ。」
犬飼が後頭部をさすりながら上体を起こした。
アキラがベッドのそばへ飛んで行った。
「犬飼さん!」
ちょっと焦点が合っていなかった目がすぐに光を取り戻した。
「世話になったみたいです。すみません。」
と、興津に頭を下げる。
「追われてるみたいだな?」
説明を促すように興津が口をつぐんだ。
「助けてもらっておいて、申し訳ないが、聞かないほうがいい。」
犬飼が興津の目を真直ぐ見ていった。
「そうだな、それでは出来るだけ首を突っ込まないようにしよう。」
興津は椅子から立ち上がると、目を細めて凄みのある顔で笑った。そのまま自分はドアに向かう。
「で、行くあてはあるか?」
ドアの前で振り返って興津が聞いた。アキラが少し考えて、
「あるとおもいます。」
と答える。
「あの、よくも知らない俺たちを助けてくれて本当にありがとうございます」
アキラが深く頭を下げた。興津はにっと笑いながら、
「おまえには前に要が世話になった。あいつの友達だからな」
と、言い残し、診療室を出て行った。





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