Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー73

斎藤は深夜のホテルの一室で明かりも付けず電話を放心状態で見つめていた。

窓から神戸の町の明かりが僅かに差し込んでくる。
夕方田中からの命令をまさにこの電話で受けたとき、待ちに待ったチャンスが漸く手の中に転がり込んできた事を歓喜した。
それがもう何週間も前の出来事ように思える。
ルポライターと手負いの女を捕えるだけの簡単な任務。あいつらは誰に殺されるかも解らぬまま、大阪湾に沈められるはずだったのだ。
「たかが犬一匹・・・」
斎藤はこの任務を軽く見ていた自身を歯軋りして後悔したがそれはもう遅い。
内田ひろみは正体不明の男達に連れ去られ、犬飼とその連れの男もどこかに潜伏してしまった。
「どうすればいいんだ・・・」
朝になれば、田中が首尾を確認してくるだろう。どう自己弁護をしたところで、田中の逆鱗に触れる事は目に見えている。前任の室長も犬飼たちを逃した事で処分されたのだ。
「今度は私の番だ・・・」
斎藤は背中に氷水を浴びせられたように身震いした。
「私はまだ死にたくない・・・」
こんな所でぐずぐずしていてもどうしようもないと解っているのに、律儀に田中からの連絡を待っている。
逆境に弱いのだ。その時、目の前の電話が鳴った。

斎藤はけたたましくなる電話を恐ろしい怪物でも見るようにしばらく凝視した。
『死刑宣告の電話だ。』
頭の中で早鐘がなり、前身にベットリとした脂汗が浮ぶ。
「取るものか・・・」
そうつぶやきながらも、ぶるぶる震える斎藤の右手が本人の意思とは別に受話器へ伸びた。
「もしもし・・・」
斎藤が蚊の鳴くような声で言った。
「斎藤副長?」
女の声である。
田中からの電話であると決めてかかっていた斎藤は一瞬相手が誰であるか判らず、きょとんとした。
それは情報室の女秘書からの電話だった。
「あ・・ああ、君か・・・」
電話の前で珍しく汗をかいて小さくなっていた斎藤は反射的に居住まいを直し虚勢を張った。
「どうかしたか?」
と平静を装う。秘書は、
「つい先ほど本田リーダーから田中支配人へ神戸の状況報告が入りました」
と、淡々と言う。
「支配人は副長の解任を決定なさいました」
斎藤は心臓をわしづかみにされたような気がした。
倶楽部から解任されるという事は死を意味する。
支配人が不安分子を野放しにするはずがないからだ。
「う・・・」
絶句する斎藤に構わず秘書が早口に続ける。
「そのホテルは危険です。すぐに出てください。」
常日頃から斎藤のよき助手として働いてきた秘書である。
出来る女で、斎藤も信頼していた。
しかし、いくら上司とは言え、田中から刺客を差し向けられた斎藤を助けた事が発覚すれば彼女もただでは済まない筈だ。
そんな危険を冒してまでなぜ連絡をしてきたのか?
「外に出られたら、私のデスクに連絡を入れてください。」
秘書はそれだけ言って電話を切った。
斎藤は彼女の無感情な声からその真意を測り知る事が出来ない。それでも・・・
「このままむざむざ殺されてたまるか・・・」
暗闇の中に急に一条の光が差してきたように感じた。
手早く必要最低限の持ち物をかき集め部屋を抜け出ると、ホテルの非常口へ向かって駆け出した。

神戸でルポライター捕獲失敗の報告を本田から聞いていた三代目田中一郎は、思わず受話器を壁に叩き付けたい衝動にかられていた。
「まことに申し訳ありません」
本田は受話器の向こうの田中に深々と頭を下げた。
本来は斎藤が報告をするべきところなのだが、無理のないこととは言え、斎藤は臆病風に吹かれてしまい部屋に篭ってしまっている。
鈴木は小さくなって事務所の隅に所在無げに佇んでいるが、川崎はまだ犬飼たちの消えた井上医院を張っている。
仕方なく、梶に事務所を借りて本田が変わりに失敗の報告をする羽目になった。
「まったく、ろくなやつがおらん!子供の使いもできんのか!」
遂に我慢の限界に達した田中が怒鳴った。
「斉藤は解任する。そこに梶はいるか?」
本田は事務所の入り口の椅子に深々と腰を下ろしていた梶を振り返った。
「田中支配人が話されたいそうだ。」
本田は怒りの電話から開放されて、胸をなでおろしている様子だ。
梶は億劫そうに椅子から立ち上がり受話器を受け取った。
「梶か?今からお前が指揮を執れ」
田中の命令に梶は思わず目を閉じた。
支配人が犬飼を捕まえる事に躍起になるあまり、なりふりを構わないというのは困ったものだ。
ちょっと考えてから
「支配人・・・」
「・・・お怒りはもっともと存じますが・・・」
落ち着いた言葉とは裏腹に頭の中では状況を分析、整理しながら話し始めた。
「それでは、倶楽部が誇る情報室の顔が立たないでしょう」
「うむ・・・・」
梶の抑揚のない一句一句が田中の怒りを静めていくようだ。
「石橋店長の手前もあり、私が表立つわけにはまいりますまい。」
田中はだんだんと落ち着きを取り戻していった。
「・・・ああ、そうだな。」
田中が相槌をうつ。
刺客の指揮を回されるのだけは避けねばならないと言うのが梶の本音だった。
「何と言っても私は倶楽部を出た人間ですから・・・」
梶はそう畳み込んだ。
ううむ、とうなっていた田中は完全に自分を取り戻したようだ。
「本田に変わってくれ。」
いつもの落ち着いた声で言った。
梶は内心ほっとしながら、受話器を本田に返した。
「本田か、ルポライターの件はお前に任せる。」
「はっ。」
本田が短く返事をする。
「それと・・・今回の後始末を忘れるな。」
「わかりました。」
電話は切れた。本田は梶のほうに向き直り
「感謝する。」
と頭を下げた。
田中をなだめて指揮権を自分に回させた事に対する敬意を示したのだろう。そうしておいて、
「斎藤の部屋へ案内願いたい。」
と、言う。それには梶が片眉を上げた。
「資料を引き継ぐ必要がある。後は・・・」
と言葉を選ぶように息を継ぎ、
「あなたは知らない方が良い。」
と冷ややかに口の端で笑った。
「それでは私は行かないほうが良いだろう。」
梶は踵を返して壁の棚を空け、鍵を一本取り出した。
「10階の1012号室だ。絨毯は汚さないでくれ。」
と、本田に渡した。
「安心してくれ。外にお連れする。」
そう言うと、本田は鈴木を従えて事務所を出て行った。

電話がまた鳴った。それは田中だった。
「はい、梶です。」
「本田たちは行ったか?」
と、念を押す。
「先ほど斎藤の部屋へ向かいました。」
「うむ。」
と田中が頷く。
「明日、わしも神戸へ行く事にした。」
「・・・」
「勝見議員の件も、ほうっては置けん。」
梶は一瞬返答を迷ったが
「お待ちしております。」
相変わらず慇懃な対応だ。
しかし、田中が電話を切ろうとすると、梶が付け加えた。
「私が斎藤殿であれば、いつまでも部屋にはいないでしょうな」
田中は一瞬沈黙したが、
「ほお、そう思うか?」
と言い、梶の返事を待たずに電話を切った。
「とうとう重い腰を上げられたか」
田中の関心がいつまでもルポライターだけに留まっているはずはない。
いつかは自ら様子を見に来るとは解っていたが・・・。折も折、明晩は勝見議員の来店がある。
斎藤に使ったごまかしが田中に通じるとは思えない。
「石橋店長がどうなさるか・・・」
梶はため息をついた。

そのころ梶から渡された鍵で1012号室の扉を開けた本田たちが見たものは、既に主のいない散らかった部屋だった。

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2023/05/12 18:47
し~ちゃん(^^♪
いっつも有難う(⋈◍>◡<◍)。✧♡
レモン;;0からスタートで大変ですね><
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2023/05/12 18:43
いつも読んでくれてありがとう
今しばらくお楽しみくださいね~^^
アバター
2023/05/12 17:48

まだ明るいですがこんばんは。
ちょっと怖い展開になってきました。ひろみさん大丈夫でしょうか(・_・)




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