Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー74

体のあちこちが痛い。頭がズキズキする。

板の間で毛布をかぶって寝ていた犬飼は朝の冷え込みの中で目が覚めた。
周りを見渡すと、そこは薄暗い見慣れない部屋で、どこからともなくかすかな酒のにおいが漂ってくる。
痛む頭で記憶を辿る。
そうだ、昨夜ひろみの病室の窓から外に脱出したんだ・・・。
「確か車椅子を押して・・・」
アキラが花籠を取りに戻って行った。
「俺がバンのドアを開けたとたん、目の前が暗くなった。」
そこで記憶がぷっつり途切れている。
後頭部の痛みから誰かに殴られたらしいことはわかる。もう追っ手が来たのか?誰かに連れられて、ふらふら歩いたような気がするが・・・そこまで考えたとき横の毛布が動き、犬飼は反射的に身構えた。
「おはようございます!」
アキラが相変わらずの屈託の無い笑顔で笑いかけてきた。
「アキラ、ここは何処だ?何でここにいる?」
構えを解きながら犬飼が聞く。アキラは少し不安な顔になって
「覚えてないんですか?昨晩、駐車場で頭を殴られてしばらく病院のベッドで寝てたんですよ。」
「・・・」
「そのあと、先生に上着を借りて見舞い客達に紛れ込んで逃げ出したんですよ。」
「・・・そういえば・・・」
だんだんと記憶がよみがえってきた。
入院患者らしい男と、アキラに助けられたこと、治療が終わってタクシー乗り場まで歩いたこと・・・
「ここはダチの店の倉庫です。あ、ダチは親の酒屋を手伝ってるんです。」
後頭部に手を当てながら犬飼は
「そうか、世話を掛けたんだな・・・」
と力なく笑った。が、急に真顔になって、
「ひろみは?」
と辺りを見回す。
「それが・・・」
アキラが言い難そうな顔になった。
「・・・わからないんです。俺が車に戻ったときには犬飼さんだけが駐車場で倒れていました。」
「卑怯なやつらめ・・・」
「俺が殺れないものだから、ひろみを人質にしやがった・・・」
犬飼は唇をかんだ。
あいつの事を必ず守ってやると硬く自分に誓ったのに・・・
「くそっくそっ、またか・・・」
犬飼は自分の左手に右こぶしを叩きつけながら自分のふがいなさを呪った。
しかし深く落ち込んでいる暇はない。
頭を上げると、
「電話は?」
と、早口で聞く。
「えっと、倉庫を出てすぐ右に公衆電話がありました」
「とにかく先ずは情報収集と整理だ。」
そう言うと犬飼はやおら立ち上がり身だしなみを整えて腕時間を見た。
7時だ。編集長はまだ寝ているだろう。
どうする・・・?
「そうか、おっしょはん!」
彼女のところに編集長から何か情報がはいっているかもしれない。犬飼は
「アキラ、朝飯を何か買って来てくれ。」
と、金を渡し、
「俺はちょっと電話をしてくる。」
と自分は倉庫の外に出た。

アキラの言ったとおり、倉庫を出てすぐに公衆電話があった。犬飼はポケットを探り硬貨を取り出すと電話の上に置いた。
100円玉を数枚放り込みダイヤルを回す。
1コールでおっしょはんが出た。
「0101。」
「も~しもし、あら 犬飼さん、待ってたのよ。」
いつもの、のんびりした声が返ってくる。
「おっ それはいいニュースかな、それとも悪いニュースかな?」
「きっといいニュースだね。ひろみちゃんからの伝言だから・・・」
「なんだって?」
犬飼は思わず叫んだ。
「いつ、あいつから連絡があったんですか?」
「えっと・・・昨日の夜遅かったわねえ。11時ごろかしら。ちょっと待ってね。」
おっしょはんは、ごそごそメモ帳を繰っているようだ。ああ、これだと言って、
「ああ、やっぱり11時5分だね。読むわよ。」
『私は無事だから、安心して。東京に帰って横浜の倶楽部を探ってちょうだい。』
と、読み上げる。
「・・・で、ひろみはどんな感じでした?」
「そうねぇ、差し迫った危険はないけど、自由もなさそうって感じかな。」
犬飼はしばらく考えた。
昨夜11時に無事だと連絡してきたひろみ。
本当に無事なのか?佐竹や情報屋を問答無用で殺したあいつらが、掌中に納めた彼女を生かしておくのは信じがたい。
『ひろみをおとりに俺を誘い出すつもりなのか?』
俺がやつらに殺されそうになったのは佐竹の店に送り込んだ自分のせいだと涙を流したひろみ。
あいつが2度までもやつらに騙されるだろうか・・・
「俺は、とんでもない勘違いをしているのかもしれない・・・」
犬飼はつぶやいた。
ひろみは横浜の手の者にさらわれたと信じて疑わなかったが、違うのかもしれない。
「・・・ひろみちゃん、いつもどおりで元気そうだったよ。」
いつまでも無言の相手に気を使っておっしょはんが言う。犬飼は頷いた。
どうも彼女の口調には乱れた心が落ち着いてしまう。
ひろみの身は気がかりだが、おっしょはんの勘を信じるしか無いのかもしれない。
「あ、それから夜景がきらきらしててきれいだって言ってた。」
「夜景?」
犬飼は聞き返した。夜景など何処ででも見れるものだが、ひろみがまだ神戸にいる気がしたのだ。
「おっしょはん、ありがとうございます」
少し元気を取り戻したように、犬飼が言った。
「今度埋め合わせをしますよ、特上のワインでね」
「あら~ 楽しみね うふっ」

倉庫に戻った犬飼は状況を順序だてて整理した。
ひろみは拉致されたが当面の命の危険はなさそうだ。
ひろみをさらったやつらは、横浜の倶楽部とは別物の可能性が高い。
駐車場で俺を襲った時も、そのまま殴り殺す事が出来たのに、軽い脳震盪に抑えようと手加減した感がある。
誘拐の手際のよさ、どうやらひろみを神戸のどこかに監禁しているところから、素人の仕業とは思えない。
「組織力を感じるな・・・」
倶楽部探索を示唆したひろみの言葉から判断すれば、そいつらも倶楽部と敵対しているのかもしれない。
いや、もしかしたら組織内で仲間割れをしているとも考えられる。
「敵の敵は味方か・・・」
もちろん相手の正体が解らない以上、手放しで信用は出来ない。
状況によっていつ敵に変るかわからないからだ。が・・・
「今はおっしょはんとひろみの勘を信じるか・・・」
今のところ敵か味方かわからない謎の組織より確実に俺たちの命を狙っている横浜の倶楽部の実体を探るのが先だ。
東京へ戻ってそっちを突いて見るしかない。
そう決断をしたときパン屋のポリ袋を持って帰ってきたアキラを見て犬飼の頭にひとつのアイデアが浮かんだ。





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