Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー77

3時間あまり列車に揺られ、犬飼は東京駅に着いていた。

10日ぶりである。
冷房の効いた電車からムッとするホームへ降りると犬飼は素早く公衆電話を探した。
神戸から昼過ぎには東京へ着くと電話を入れた際には編集長は昼頃まで出かけていると言っていた。
もう事務所にいるだろうかと思い、東京に着いて真っ先に電話したのだが、電話に出た編集員からは生憎まだ戻っていないとの返事である。
「昼飯に一体何時間かけていやがる・・・」
犬飼は舌打ちしながら、今度はおっしょはんの電話番号をまわした。
ひょっとしてまたひろみから電話が入っているかもしれない。
「もぅ~しもし、あら犬飼さん?今、何処なの?」
相変わらずのおっしょはんらしい、のんびりした口調が応答した。
「今東京についたんだけど、ひろみからは連絡はありませんか?」
「ああ、昼前にあったわよ。元気にしてるって言ってた。」
「それだけ?」
少しばかりがっかりしながら犬飼が聞くと、
「残念ながら、それだけだったわねぇ。」
と、犬飼の落胆ぶりに小声で笑いながら、
「でも、場所は神戸だって言ってたわよ。」
「ほんとですか?」
犬飼は聞きなおした。
「ええ、はっきり神戸に居るって言ったわよ。」
おっしょさんは肯定した。
多分、そうだと感じていたがやはりまだ神戸に居るのだ。
しかし、やつらがひろみが居場所を漏らすのを止めなかったのが不思議ではある。
「それとね、ひろみさんの電話で、彼女に変わって、男の人が電話に出てね・・・」
「え?男?」
犬飼はびっくりしてオウム返しに聞いた。
「そう、えっと、名前は名乗らなかったんだけど犬飼さんに情報を買って欲しいって。」
「何歳くらいの人?」
「そうねぇ、声は40代かな。犬飼さんよりは高い声だったな。」
「うーん・・・」
ひろみの電話に出たというなら彼女を拉致しているグループの一人だろう。
犬飼が心当たりを考えていると、
「それと、標準語だったわ。」
と、おっしょさんが付け足した。
「標準語・・・東京の人間か・・・」
神戸にいることから、関西人かと思っていたが・・・
「一体誰なんだ・・・」
それに、情報を買えというのも腑に落ちない。
犬飼が黙りこむと、おっしょはんが思い出したように続けた。
「えっとね、ひろみさんの部屋の郵便受けに何か入れてあるって言ってたわ。」
「わざわざひろみの部屋の郵便受けにね・・・」
「そうね、何でもそれを見てから値段を決めてくれって。」
「不思議なことを言う奴だな・・・まっいいや ありがとう。」
狐につままれた気分だが、取り合えず、犬飼はおっしょさんに礼を言った。
「あっ、この間言ってたワイン楽しみにしてるわね。」
「あ、ああ。楽しみにしていくださいよ」
犬飼はにやりと笑いながら答えた。

「・・・、どうも、踊らされているようで気に入らない・・・」
電話を切ってから犬飼は考え込んだ。
急に登場してきた得体の知れない男。
そいつは、ひろみをさらったやつらの仲間なのだ。そんなやつからの情報を信用できるのか?
「おい、守護天使さんよ、何とか言えよ・・・」
犬飼は恨めしそうに空を睨んだ。
10日前、ひろみの部屋に向かう途中で手を切って以来、犬飼の守護天使はなりを潜めている。
今は自分の勘に頼るしかない。敵か味方か・・・今朝から自問し続けている問題だ。
ひろみを拉致している敵であるはずなのに、犬飼にはなぜかこの男の一味に今のところ悪意が感じられない。
第一に犬飼は、この一味は横浜のクラブとは別物だと考えていた。
有無を言わさず証人の口をふさぐ情け容赦のない横浜のやつらとは手口が違うからだ。
ひろみが元気そうで、おっしょはんに連絡をする事を許されているのもその理由の一つだ。
といって警戒しなくてよいと言う保障はどこにもないのも事実なのだが・・・。
「俺らしくもない・・・」
犬飼は頭を振った。
俺の勘が電話の男に従えと言っているのだ。悩む必要はない。
犬飼は編集長を後回しにしてひろみのマンションへ行ってみることにした。
駅前でタクシーに乗り込んで住所を告げる。
本能的に犬飼は後ろに気をつけたが、どうやら尾行はないようだ。

もちろんそうだからと言って安心は出来ない。ひろみが拳銃で撃たれる事件があってからまだ5日だ。
部屋にはまだ見張りがついているかもしれないからだ。程なくタクシーはひろみの部屋の少し手前の公園の前で止まった。タクシーを降りた犬飼は周りに忙しく視線を走らせながらひろみの部屋のある建物の裏手に回った。郵便受けは一階の入り口脇にある。周りに注意しながら裏口から入り、入り口脇の郵便受けを開けた。
確かに封筒が一通入っている。
明るい方にかざすと鍵と便箋が入っているのがわかる。封筒を内ポケットに仕舞い犬飼は裏道を経由し表通りへ出てタクシーを拾った。ドアが開くと、
「新宿までやってくれ。」
と、運転手に声をかけながら後部座席に納まる。
タクシーが動き始めてしばらくの間後ろを気にしていた犬飼は尾行がないと判断した。
「すまんが、行き先を変更してくれ。」
と、出版社の近くにある都電の駅を告げる。
運転手が承知して左折するのを待って、おもむろに内ポケットからさっきの封筒を取り出し封を切った。
中からは案の定コインローカーの鍵と、ご丁寧に新聞から文字を切り抜いて貼り付けた便箋が出てきた。
『八重洲中央』
とだけ記されている。
「ご親切な事で・・・」
「なにか?」
運転手がミラー越しに聞いてきた。
「いや、こっちの話だ。八重洲中央口に変更だ」
「ええ、またですか?」
運転手はぶつぶつ悪態をつきながら少々乱暴にUターンした。

今まで何がなんだかわからなかった一連の事件。
謎の倶楽部の存在。暗闇を這いずり回っているように思っていたが、何か明かりが見えてきたような気がする。犬飼の中で謎を明らかにしたい衝動がむくむくと大きくなっていく。ルポライターの血だ。犬飼は不敵に笑うのだった。

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2023/05/27 22:39
こんばんは。いつもありがとう存じます。
この度は、わたくしの勝手を快く受け入れて下さり衷心より感謝申し上げます。
また、あたたかなるお言葉も頂戴致し大変忝く存じます。

途中のエピソードであるにも拘わらず、ハラハラドキドキの展開にこの後も前も気になってしまいました。
<ひろみさん>は本当に元気なのだろうか?
ここに至るまでの状況は如何様なものだったのだろうか?
と読み進めていく途上に於いて色々と思いを巡らせておりました。

「小説」というものを良く識っておられ、書き慣れていらっしゃる方だと感銘致しました。
素晴らしいですね!かなり途中からですが、この後の展開がとても気になります。

暑さと湿度が上昇してきました昨今ゆえ、どうぞ体調のケアは十二分になさって下さいませ。




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