Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー84

アキラの心配を他所に、要はなかなかうまく医院内をうろつき、犬飼の存在を内外にアピールしてくれたようだった。
その要が4時過ぎに帰ってしまうと、アキラは病室に残って一人二役に精を出した。
6時過ぎに誰かが病室のドアをノックした。
アキラは窓に寄ってブラインドをきっちりと閉めなおしてからドアへ近づく。
「YZR」
アキラが小声で言う。
「GPZ」
ドアの外からやはり小声で返事が返ってきた。
決められていた合言葉だ。
アキラがドアの鍵を中からあけると環が入ってきた。アキラはすぐにドアを閉めて鍵を掛けなおしベッドへ戻って椅子を環に勧める。
「ごめん、少し遅れた。」
環が詫びた
「いいよ 夜の店が始まる時間だから配達が多いんやろ?」
「そうなんよ、今日に限って何であんなに多いねん・・・」
環は腹立たしげに言った。
「慌てへんで。俺はここにおるんが仕事やから。」
環の親に気を使ってアキラはそう言った。
「そやねんけど、気になって仕事にならんし・・・」
「ははっ そうやなあ。でも今日だけちゃうし・・・」
こいつの事だから、親と喧嘩して出てきたぐらいの事は想像がつく。意気込むあまり無理を通して親がへそを曲げ、結果、環が店を出られなくなるのは目に見えていた。
2人で芝居をする方が都合はいいが、替え玉は病院を出てからのも必要なのだ。
「遅なってもええから、今日は仕事が終わってからきてくれたらええ。」
無理にでも残ろうとする環に、アキラが譲歩案を出した。
「・・・そやなあ・・・わかった。」
環が肩を落とした。
「明日から出られんようになっても弱るもんなあ・・・」
アキラの憂慮はやはり図星のようで、環はうなだれた。
「じゃぁ、もうちょい営業してくるわ。」
そういって環が帰ろうとしたその時
「トントン・・・」
軽いノックの音がした。

アキラと環は顔を見合わせた。
要は仕事中のはずだし、食事は来ないように頼んである。アキラはドアの方へ音を立てずに忍び寄り、環はベッドの陰に身を潜める。
「YZR」
アキラが小声で言う。
「ア・キ・ラ・く~~ん。」
外からは合言葉ではなく甘えた声が返ってきた。とたんにアキラの顔が赤くなった。慌ててドアをあけ、戸口に佇んでいる華里奈の腕を掴んで中に引きずり込む。
「か、華里奈ちゃん、こんなとこでなにしてんねん。」
後ろ手に戸を閉めつつ、アキラがどもった。
「なにって・・・仕事おわってんもん。」
華里奈はまた私服に着替えている。 
「なんや、おどかしないな。」
「なんよー。来たらあかんの?」
華里奈は咎められたと思って頬を膨らませた。そのしぐさが可愛い。
「犬飼さんは?たばこ?」
空のベッドを見て、聞く。
環はベッドの陰から様子を見ようと出していた頭をまた下げた。
アキラが黙っていると華里奈が突然抱きついてきた。
「カタ・・・」
隠れている環が後ろから押したのでベッドが音を立てて動いた。華里奈が飛び上がる。
「ヤダ、犬飼さんいてはるの?」
環が、あきらめてベッドの陰から出てきた。
「なーんや そないな事やったんかいな。」
照れ隠しに環は大げさな動作で肩をすくめ、
「ほな いってくるわ。アキラ、また後でな。」
そう言い残して後ろも振り向かず部屋をそそくさと出て行った。

環を見て悲鳴を上げそうになった華里奈はアキラに口を押さえられてもごもご言っていたが環の後ろでドアが閉まるとやっと落ち着いたようだ。アキラが手を離すと
「もう、あの子一体なんやのん?」
と、文句を言う。
「えっと、ちょっと秘密の話をしてたんや。」
「秘密って?」
華里奈はアキラの顔を下から覗き込むようにして聞いた。
「企業秘密や。それをゆうたら、秘密やなくなるやんか・・・」
アキラは思わず目をそらしながら適当な事を言った。
「へえ?あやしいなあ・・・」
「そんなこと無いよ。」
とアキラが視線を華里奈に戻すと、彼女のネコのような目が誘っている。
「ここはどうも騒がしいな。もっと静かなところあれへん?」
その目に魅了されるようにアキラが聞いた。華里奈はニッと笑ってアキラの胸に顔をうずめた。
「あるわよ。とっても静かな誰にも邪魔されへん所。」
つぶやくように言う。
「行く?」
夕食の作業でばたついている病棟の廊下を華里奈とアキラは小走りに通り抜け人影のまばらな一角へと消えていった。





Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.