月と赤い糸 第九章
- カテゴリ:自作小説
- 2023/06/14 00:55:21
第九章
彼と会う事を決心する事が出来てから、まだ1週間も経っていない頃に
私は昔の夢を良く見る様になっていた。
夢を見るのは決まって薬を飲む前の仮眠の状態だったのだが、
とても嫌な夢ばかりを見る様になっていた。
冷や汗をかいて起きては、眠れなくなる一方。
そんな悪夢ばかりを見ていた時期に、1度だけとても神秘的な夢を見る事になる。
とても美しい赤と黒の着物を着ていた男性なのか、女性なのか、私には判断の出来ない容姿をした
漆黒の髪色をした、色白のとても美しい人が曇りの夜空に現れる、そんな夢。
その方はきっと神様だったのだろう。
その方の背後には美しい満月が光っていた。
私に何かを伝える訳でもなく、ただ美しい瞳で私を見て微笑んでくれていただけの、夢だった。
人生でその方が夢に出てきたのはそれっきりになるのだが、
私は初めて見たあの神秘的な夢が忘れられずにいた。
私の判断は間違ってはいなかったのだろうか、そう思わせる様なとても不思議だが、神秘的な夢。
その日はとても心穏やかに起きたことを鮮明に覚えている。
彼が私の家に来る日になるまでは、連絡を取らないでおこうと私は伝えていた為、
会話らしい言葉は一切交わす事無く、彼と会う日を迎える事になる。
梅雨も明け、7月の月末辺りの土曜だった。
あっという間に彼と会う日になっていた。
私の家の最寄り駅で待ち合わせる事になったのだが、会うのは何せ初めての事だったが故に
私は緊張していた様に思う。
深呼吸をしながら、待ち合わせの駅を見つめている中、彼だと直ぐに分かる様な人が現れた。
彼も私を直ぐに判断出来た様子で、「あみ?」と私に声を掛けてくれていた。
私は彼を初めて目にして笑顔で「そうだよ、あみだよ」と、初めて会ったにしては
落ち着いていた私に驚いた。
「元気にしてた?」そう私は問いかけた。
彼はとても苦しそうに笑い、「元気だったよ」と少しづつお互いの声で顔を見合わせながら話をした。
彼は手土産を私に見せ、「暑いからアイスを買って来たんだ」そう言い、気丈に笑っている様だった。
「ありがとう」そう、私は答えここで長居する事の出来ないアイスという彼の手土産に、
「それじゃあ、行こうか」と伝え、ゆっくりと2人で初めて歩き始めたのだった。
最寄駅から私の家までには15分程歩く事を伝え、私の家へと向かった。
家に着くまでに、たわいもない会話をし、お互いに笑い合い、彼の「気の利かない手土産」は
すっかりと溶けてしまっている様だった。
家の鍵を取り出し、私は「どうぞ」と彼を招き入れた。
彼は慣れない様子で「お邪魔します」と言い、2人の空間が訪れたのである。
「アイス、溶けちゃったね、ごめん」と言い、私へと手渡しながら少し元気を失くしてしまっている様に見えた。
私は「また凍らせれば良いじゃない、それなら食べられる」と元気付ける様に笑って、冷凍庫へと仕舞った。
当時の彼しか知らない私は、「煙草を吸っても平気?」そう尋ね、「実は僕も吸っているんだ」と笑っていた。
「そう…意外ね」そう私は彼に伝え、一緒に吸う事となった。
当時の彼しか知らない私には本当に意外な事だったのである。
彼は煙草を嫌っていたからだ。
「煙草がないと心の安定が取れなくなってね」そう言って、「吸っても?」と私に聞き返してきた。
私は「どこで吸っても平気だよ」と伝え、お互いに煙草を1本取り出し吸い始めた。
「今はどう過ごしているの?」私は灰皿を彼の目の前に置きながら話を聞く体制に持って行ったのである。
彼は少しづつだが、私に今の現状を話し始めてくれた。
今、彼と奥さんは別居をしている様子だった。
「一緒にいると辛くてね…」そう言って泣きそうになりながら、辛いであろう「今」を一生懸命に伝えてくれたのだ。
「今はそれがベストなのかもしれないね」そう私は答え、あなたは何一つ間違ってはいないと思うよ、と
私なりに彼を肯定してあげる事しか出来なかった。
「僕は君を失った時からずっと間違って生きているのかもしれない」そんな事を言っている彼を背けようとするかの様に
私は座り込んでいた姿勢から立ち上がりこれから長い時間を掛け、話を聞くつもりで「コーヒーしかないけど、平気?」と聞いていた。
「大丈夫」そう答えを貰った私はコーヒーを入れ、彼へと手渡そうとしていた。
彼は私が差し出したコーヒーを眺め、少し時間を空け「手を握っても?」
私は彼に昔の彼を重ね、「良いよ」と答えていた。
彼はそっと私の手を握り、泣いていた。
彼の気持ちに応えてみようと思えた瞬間だった。