Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー85

「梶さんがぴりぴりしてるわ。」
興津に変わって給仕をするため、タキシードに身を包み店に下りてきた要を見かけた桜が耳打ちをした。
その夜の桜は赤いイブニングドレスにダイヤのチョーカー。
髪を大人っぽくアップにしているのでとても10代には見えない。
美女揃いの店のコンパニオン達の中でも、桜の美しさは目を引くようになっていた。
愛らしくクルクルとよく動く理知的な目、それは下から上目遣いに真っ直ぐに見つめ男心をくすぐる。
去年、要に女にされて以来、本来の美しさに大人の女の魅力が加わっていた。
プライベートではご主人様である要に奉仕をする性の奴隷のスタイルを受け入れ淫らな女を演じるが、普段は可憐な恋する少女でもある。
それが彼女を神秘的な女に創り上げているのかもしれない。
店のメンバーの中で年齢が一番近いと言うこともあるが、同じ訓練を受けて育った環境から要と桜の間には恋人以上の絆が出来ていた。

「ぴりぴりしてるって、なぜ?」
梶の場合、機嫌がよい事はほとんど無いのだが、ぴりぴりというのは珍しい。
「横浜の倶楽部支配人が来るかららしいの。」
「へえ・・・」
関東から来ると聞いていた客は、倶楽部の支配人だったのか。
それにしても、何事にも動じないのが要の知っている梶である。
その梶を神経質にさせるとは、そいつはよほど大物に違いない。
「それで、今は誰をいびってるんだ?」
「さっき厨房に入っていったきり出てこないわね。」
スケープゴートにされたシェフたちには申し訳ないが、おかげでここは平和と言うものだ。
要は誰もいないのをいい事に桜の細腰に手を回しキスをしようとした。
すると、桜は身をよじって要の腕の中からすり抜けてしまった。
「朝、どこに行ってたの?」
桜と要は毎朝一緒ににジムでウォークアウトするのが日常になっている。
しかし今朝はその途中で隣のホテルから電話が入り、要はあわただしく出かけていったきり、今まで帰ってこなかったのだ。
アキラと犬飼が会いにきてくれたからなのだが、桜はその経緯を知らない。
なんとなく、デートの邪魔をされたようで、不機嫌だ。どんなに辛くても悔しくても滅多にそれを顔に出すことのない桜が要にだけは素直に感情を表す。
時折みせる彼女の感情豊かな目元は要に始めて彼女を抱きしめた4年前のあの日を思い出させる。
自分の腕の仲で泣きじゃくるこの少女をずっと守っていきたいと思ったあの日の事を。
「ごめん。昔のバイク友達が会いにきてくれてたんだ。」
ふくれた顔も可愛いなと思いながら、要が言い訳をした。
改めて桜を引き寄せる。今度は逃がさないようしっかり抱きしめてキスをした。
桜にしても、別に怒っているわけではない。
今度はおとなしく抱かれ、大きく胸元の開いたイブニングドレスから覗く白い首筋を要の唇が這うにまかせた。

しばしの愛撫の後、
「それで、ちょっと相談があるんだ。」
と、要が切り出した。
髪と化粧に崩れがないか、壁の鏡で確認していた桜が振り返った。
「相談?」
「ああ、桜。髪、ソバージュにしてくれないかな?」
桜はしばらく沈黙していたが、口をへの字に曲げた。
「ストレート、嫌いなの?」
桜の髪は真直ぐな艶のある黒髪だ。
今は仕事中なので大人っぽくアップにしているが、自然におろすと、背中の中ほどまであり美しい。
自分でも気に入っているその髪に好きな男から物言いをつけられた気がしたのだ。
「ち、ちがうんだ・・・」
要は慌てて手を振った。
少し迷ってから、ホールの隅まで桜の手を引っ張って行き周りに誰もいないことをもう一度確認する。
「今朝、尋ねてきた友達ってやつが、実は、悪いやつらに狙われてるんだ。」
声をひそめて話し始めた。
要は5年前に別れたきりだった旧友に興津の入院している病院で再会した話に始まり、ルポライターの犬飼に出会ったこと、怪我をしているその恋人の失踪、犬飼に援助を依頼された段までかいつまんで説明した。
口も挟まず、うんうんと頷いていた桜の目がどんどん輝いていく。
「ひろみさんって、犬飼さんの彼女が、ソバージュなんだよ。」
「ああ、それで、私に替え玉になってくれって言うのね?」
と、身を乗り出す。
明らかにやる気満々である。
初めから判ってはいたが、いろんな面で、おてんばな所のある女だ。
「もちろん、夜は店があるから空いてる昼間だけでいい。」
「あ、そっか。そうよね、やっぱり仕事優先よね・・・」
桜は露骨に残念そうな顔をした。
要はそれに苦笑しながら
「やってくれるよな?」
と念を押した。
「知らないわよ。おじ様方はこの髪がお気に入りなのよ・・・」
その言葉とは裏腹に、桜は満面の笑顔を恋人に向けた。





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