Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー86

その夜エレベーターホールで黒のタキシードに身を包んだ梶が勝見議員を迎えていた。
「いらっしゃいませ、勝見様。」
「出迎えご苦労。」
勝見議員の声は特徴がある。

通りのいいテノールで演説向きだ。
「お部屋へご案内いたします。」
勝見議員は、うむ、とうなずいてから梶の耳元へ小声で話しかけた。
「あの娘の手配は付いたのか?」
勝見議員はこのところ毎回担当している白人と混血の女にご執心なのだが、梶はそれを承知でワンクッション置き、いつも『調整してみます』とだけ言ってある。
その事の確認だ。梶は口元に薄く笑いを浮かべ
「もちろんでございます。どうぞこちらへ。」
「そうか、そうか。」
満足そうに頷くと勝見議員は長い夜のことに思いを巡らせながら破顔して案内する梶の後ろを歩いていく。
踵がすっかり沈んでしまう毛足の長い絨毯を敷き詰めた廊下を通って小部屋に着くと女が椅子をひいて待っている。
金髪に近い茶髪に抜けるように色の白い美女を見て勝見議員は相好を崩した。
「よっしゃよっしゃ、相変わらず可愛いのう。」
女も笑顔で応える。
梶は勝見議員にその日のコースを手短に説明し、食前酒を選んで勧め、飲み始めるのを待って指を鳴らした。
病床の興津の代わりに要が前菜を運んでくる。
ポタージュ、ポアソン、アントレとフルコースが次々とワゴンで運ばれ、その皿をコンパニオンが勝見議員の前に優雅に置く。
お気に入りの女がそばにいると食欲が進むようだ。
いや、それより後のお楽しみが待ち遠しいのだろう。
がつがつと言うに相応しい様子で、勝見は料理を平らげていった。

勝見の部屋を辞した梶は時計に目を落とした。
そろそろ田中が店に着く頃だ。
原田がロールスロイスで新神戸まで迎えに出たのは半時間ほど前だった。
桜にリセプションを預け、梶はエレベーターホールで田中を待つことにした。
田中は時間通り若い秘書を一人従えてエレベーターで上がってきた。
「遠路、お疲れ様でございます」
「梶、随分久しぶりだな。元気そうだ。」
「ありがとうございます。支配人もおかわりないご様子で何よりです。」
「ところで石橋はいるだろうな?」
梶はそれに頷き、
「先にお食事の方を用意いたしましたので、ご案内申し上げます。」
と、カーテンの空いた小部屋を手で指し示した。
田中は辺りを見回しながらどの部屋にも重くカーテンが下ろされているのを見て
「神戸の店も繁盛しているようだな。」
と、梶の顔をうかがった。
梶はそれには答えず田中を部屋まで案内し、
「こちらでございます。」
と頭を下げた。
部屋へ通すと要がワインを持って入ってきた。
「支配人の為に、今夜はこのワインをチョイスいたしました。」
フランスの有名なシャトーのラベルが貼られたその瓶を見て田中はにんまりした。
「えらく張り込んだな、しかしまだ若いのではないのか?」
梶がテイスティングの為に少量注ぐと田中はグラスを取り上げて香りを楽しみ、口をつけた。
「ほう、もう飲み頃になっているようだな。」
「恐れ入ります。」
梶はそう一言礼を言い要に目配せをした。
要がビロードのカーテンを開けて出て行きかけると、どこかの部屋から大きな笑い声が聞こえてきた。
特徴のあるよく通る声だ。
「たしか勝見の声に似ているが?」
梶は表情も変えずに
「ここしばらく、お見えになりません。」
と答える。
田中は梶の目を覗き込みながら
「本当にそうなんだな?」
その目に疑いの色が濃く浮んでいた。

その時笑い声の主が部屋から出てきたようで一際その声が大きく聞こえてきた。
テノールの通りのよい声。
2年前まで、田中が毎日のように耳にした声だ。
それは、聞き違いようがない、勝見議員の声だ。
田中は椅子を押し倒して立ち上がった。
その顔が怒りで歪んでいる。
「梶、お粗末だな。」
田中はまとわりつくビロードのカーテンを乱暴に左右にはらいながら、ホールに歩み出た。
薄暗い照明のもと奥の廊下へと男と女が腕を組んで歩いていく。
その後姿が紛れもなく勝見議員だ。
自分を追って小部屋から出てきた梶が止めようとするのを振り切って田中は動かぬ証拠を見つけたとばかりに勝見議員のほうへ大股で歩いて行く。
そして後ろから声をかけた。
「これは勝見様、お久しぶりでございます。東京の田中でございます。」
「うん?」
声をかけられた男が、ゆっくりと振り向いた。

「東京の田中はん?」
男は怪訝そうな顔をした。
「・・・・・」
田中は絶句した。
勝見議員は40代半ば、柔道の有段者で鍛えられた締まった体つきをしている。
四角ばった顔に、鋭い目、短く刈った髪。
それが田中の知っている勝見だった。会うのは2年ぶりでも、報道される勝見の顔は見知っている
後姿は似ていたが、今田中を振り返った男は、かなり腹が出ている50代後半の脂ぎった男だ。全くの人違いだった。
「こ・・これは失礼いたしました。」
田中はあわてて謝罪し頭を下げた。
「あんさん、ここは世俗を忘れて楽しむところでっせ。無粋なまねはあきまへんな。」
男がなじるように言う。
声は確かに勝見に酷似している。
しかし、よく聞くとどことなく違う。
「高田様、失礼いたしました。」
田中に追いついてきた梶が男に頭を下げた。
「高田様のお声がこちらのご友人によく似ておいでだそうです。」
すると、男は不機嫌そうに田中と梶を睨みつけ、横に控える女を振り返った。
「おもろない男やな。興醒めや。もっかい飲み直すで。」
そう言うと、男は、今出てきた部屋へ戻っていった。
田中は頭を下げたまま男が部屋へ入るのを見送った。横で梶が
「高田様は大阪で、金融業をしておられる常連のお客様です。」
と、小声で言う。
「・・・」
「ここは東京とは違います。」
田中は返す言葉もなく自分のいた小部屋へと足早に戻っていった。
入り口で様子を伺っていた秘書が慌ててカーテンを開ける。
梶は小部屋に消えるその後姿をホールから見つめていた。





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