Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー87 (1)

丁度その頃、ホールを挟んだ別の小部屋のカーテンの向こうで、石橋は勝見議員と密談をしていた。

勝見議員が米国第3海兵遠征軍司令官ロバート・シュルツをラ・パルフェ・タムールへ接待したいと申し入れてきたのだ。
これは折からシュルツに渡りをつけようと策を練っていた石橋にとっては願ってもないことであった。
常より担当のコンパニオンに含んで、司令官の来店をねだらせたりしていたのだが、そんなことはおくびにも出さず上客のわがままに耳を傾けるクラブ経営者を装っている。
「左様でございますな、勝見先生のご要望とあればお聞きせぬわけにはいきますまい。」
石橋は自分の鼓動の高鳴りを抑えつつ、そう静かに応えた。
ようやく憎むべき仇に手が届くかもしれない。
神を信じた事は無いが今回ばかりはこの幸運を授けたもうた神の存在を信じたい石橋だった。
石橋は、踊る内心を悟られないように一言一言を区切ってゆっくりと話した。
「それで勝見先生のお役に立てるということであれば、お受けいたしましょう。」
「快諾してくれるか。感謝するぞ。」
勝見議員は手放しで喜んだ。

その時カーテンの向こうでいやに自分に似た笑い声があがり、勝見は、はっとした。
そして、その直後に別の声が聞こえてきた。
それは勝見の知っている声だ。
「これは勝見様、お久しぶりでございます。東京の田中でございます。」
勝見はびくっとした表情で石橋を見つめた。
石橋はニコリと笑って口に人差し指を当てた。
勝見議員は声のトーンを落とし
「紐育クラブの田中が来ているのか?」
石橋は頷きながらカーテンの外の様子に聞き耳を立てた。
しばらくして、カーテンの外に人の気配がし、
「梶です。」
と、声がした。
「はいれ」
石橋の応えで、梶は分厚いビロードのカーテンを僅かに左右に分けて部屋に入り一礼した。
「仕込んでいた替え玉に田中殿が食いつきました。」
石橋の耳元で囁く。
先ほどの高田は、勝見に声が似ているということで石橋が雇った目くらましだったのだ。
「そうか。」
満足そうにうなずいて、石橋は椅子から立ち上がり身だしなみを整えた。
どうやら田中に会いに行くようだ。
「お気を煩わせました。田中殿のことは、当方にお任せください。」
「勝見様はどうぞ、こころおきなくお楽しみを・・・」
勝見は左手を侍る女の膝に這わせ、にやりとした。
「相変わらずここのサービスは天下一品だな。」
部屋に両者の納得した笑いが静かに響いた。

石橋は梶を引き連れて田中のいる部屋へ赴いた。
「これは三代目、わざわざお越し頂くとは・・・・」
先ほどの不手際をごまかそうとしてか、田中は自分でワインを継ぎ足ししきりに口に運んでいた。
「久しぶりだな石橋、社交辞令はいい。」
田中の口調がいつもより尖っている。
「店もかなり流行っている様だが、もう何年になる?」
これは世辞でも、質問でもない。
石橋は田中が言わんとしている事を悟った。
石橋の今の地位、未来への恫喝、その全てが田中の援助の上に成り立っているという意味合いがこの一言に含まれている。
『お前を拾って此処まで育てあげ、今の地位に据えた。この私に忠誠を尽くすのであればその地位は安泰だが、くだらぬ野望を抱くのであれば、容赦はしない』
田中はお前の殺生与奪権は私にあると言いたいのだ。
「もう15年になりますか・・・」
「まあ、座れ。そんな話をしに来たのではない。」
田中が空いている椅子を目で示した。
「恐れ入ります。」
神妙な面持ちで石橋が一礼し、腰を下ろすのを待って、
「単刀直入に言おう。」
と、田中が切り出した。
『相変わらずせっかちなお方だ』と石橋は田中の次の台詞を待った。
「勝見議員の方はどうなっている?」
石橋は田中をまっすぐ見かえして、
「ここしばらく、ご来店がございません。」
と言い切った。
「それは聞いておる。」
つい今しがた人違いをして恥をかいた手前、それ以上は追求せず矛先を変えて、
「しかし、来ないから報告出来ないとは、お前らしくもない・・・」
田中は責めるように石橋を睨んだ。
「・・・確かにおっしゃるとおりです・・・。」
石橋の頭の中は米国第3海兵遠征軍司令官ロバート・シュルツの事で一杯だった。
千歳一隅のチャンスだ、これを逃したら二度とこんな幸運は訪れない。
石橋が答えあぐねていると、
「ただ今、ある情報の裏を取っております。」
後ろに控えていた梶が口を開いた。
「ほお、裏を、か・・・」
田中は一言挟んだがそこで言葉を切った。
「不確実な情報で、横浜にご迷惑はかけられません。」
梶は無表情でつづける。
「次回の報告は必ずや三代目のご要望に沿えるよう努めましょう。」
「うむ、そうあってほしいものだ。」

「それにしても、勝見議員一人の為に、あなたともあろうお方が、わざわざ神戸までお越しとは、解せませんな。」
石橋が探るように、田中を見る。
「横浜が逃したネズミが一匹、この辺りを這いまわっていると聞いたのでな。」
田中は梶をちらりと見たが、梶は何も言わない。
「ほう、ネズミですか?ますます、解せませんな。」
倶楽部が口封じに刺客を送るのは珍しくないが、それに田中がかかわるなど、前代未聞だからだ。





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