Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー88

翌日ラ・パルフェ・タムールは定休日だった。

田中支配人が芦屋で大切な客に会うと言うので、要が運転を命じられた。
朝一から井上医院のアキラ達に合流するつもりでいた要は、当てが外れて、気が気ではなかったが田中が中に消えた豪邸の前でしばらく待っていると、中から使用人が出てきた。
「田中様は主人とお食事に出られます。時間がかかるので一先ずお帰りください。」
と言う。
早くアキラたちの様子を見に行きたい要はほっとして帰路についた。
ところが、要が店に戻るとフロアはちょっとした騒ぎになっていた。

ラ・パルフェ・タムールのホールはたっぷりスペースを取った吹き抜けで、自慢のクリスタル・シャンデリアと豪華な花瓶が客を迎える。
定休日なので厨房の人間たちはいないが、5階で寝起きしているコンパニオン達が総出で人垣を作っていた。
それを押しのけるように前に出た要の目に飛び込んできたのは天井から落下したシャンデリアとその下敷きになった花瓶の残骸であった。
「・・・なにがあったの?」
要は女達の中に桜を見つけて尋ねた。
「少し前にね、すごい音がしたの。それで見に降りてきたらこのとおりなのよ。シャンデリアの鎖が切れたんだって。」
原田が何人かの男を使って床に散らばったガラスの破片を片付けていた。
反対側の壁で難しい顔をした梶が腕を組んでその作業を見ている。
原田たちを手伝おうと要が一歩前に出た時
「原田、要。」
梶は、そう声をかけて一番奥の客用小部屋の一つへ向かった。
「?」
普段から梶に対しては少なからず畏怖の念のある要は複雑な面持ちで原田と共にその背中に従った。

「明日から1週間、店を閉める。」
3人が小部屋に入ってカーテンをひくと、突然梶が言った。
鎖の切れたシャンデリアに自分は全く覚えはないのだが、もしやホールの惨事の責任を問われるのかとどきどきしていた要は狐につままれたようにぽかんとした。
「・・・そんなに休むんですか?」
要の記憶にある限りでは過去にラ・パルフェ・タムールがそんなに長期休んだ事はない。
原田は黙って聞いている。
「前から内装をやり変えようと考えていたのだが・・・」
梶が壁の絵画を眺めながら独り言のように言う。
「丁度良い機会だ。」
「・・・興津も1週間あれば復帰できるだろう?」
と、原田を振り返った。
「そうだな。」
原田は短く答える。
「あのシャンデリアは残念な事にオーストリアの特注品だ。私はすぐにヨーロッパに発つので、原田、後は頼む。」
小部屋に呼びつけておきながら、要には一言もなく梶は部屋を出て行った。
原田がにやりと笑った。
「聞いてのとおりだ。久しぶりの休暇になりそうだな。ツーリングにでも行くか?」
どうやら自分自身は最近手に入れたメカに没頭できそうなのを心底喜んでいるらしい。
事情がだんだん飲み込めてきた要は、原田の言葉ににこにこ頷きながら、頭の中では幸運とはこうゆうものかと、いろいろな思惑を駆け巡らせていた。
1週間の間にダイニングの内装を変える事になるのだが、それは工務店の仕事だ。
アキラ達とのおとり作戦には店の仕事がない昼間しか参加できないと諦めていたのが・・・
『1週間、思う存分奴等を引っ掻き回せるぞ。』
そう思うと、わくわくとした緊張感が要の中に沸いてくる。
「さて、それでは、梶殿に内装のプランを確認してくるかな。」
原田はカーテンに手を掛けた。
「・・・ツーリング、桜を誘ってみます。」
思いついたように要が顔を上げた。
原田は驚いた様子もなく
「そりゃいいな。楽しんでこいよ。」
と笑って、部屋を後にした。





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