評価基準の問題
- カテゴリ:日記
- 2023/07/14 22:44:25
スポーツ界やミスコンで体が男性のトランス女性が優勝するようになりました。
それはそれで優勝とし、体が女性の元から女性が準優勝、入賞すれば
ハンデ賞として別枠で優勝カップを与えれば良いのではないでしょうか?
女性の体をハンデキャップと見下す意見が一部にありますが、世間の風潮が
残念だったねwwwというなら、男女の体の能力差は認めていいかもしれない。
それとは別にハンデがあるが男性の記録に近づいたその技術に価値があります。
白頭鷲が上空1000mを飛ぶことに価値はないが、雀が上空1000mを飛ぶ
ことには価値がある。
白頭鷲が上空1000mを飛んでも身体に障害を持つ人が自由を手にする事には
つながらない。
でも雀が1000mを飛ぶには大変な技術の向上と革新があったはずです。
それが身障者が自由を手にすることにつながる可能性があると思います。
欧米は力こそ正義という考えから抜けられないから、評価基準を間違える。
スポーツ推薦で奨学金を得させるなら、自身の努力がいかに結果に結びついたか
論文を書かせ、それがどのように技術革新につながったか説明させるべきです。
それでその内容を審査基準にすべきです。
米国で、トランス女性に優勝をかっさらわれた女子学生が、奨学金授受の
チャンスを奪われる事が問題になってますが、優勝カップを2つ用意すれば
元から女性も奨学金を得るチャンスを奪われないのでは?
記録更新のノウハウは、ハンデがある状態からの方が参考になると思うの
ですが、元から女性より筋力・体力ゲージが多いという下駄を履かせて
もらった状態での勝利では得られるものは無いのでは?