Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー96

「あれっ タクシーですか?」
2週間ぶりに車屋に顔を出した犬飼をいつもの従業員が迎えてくれた。貸したバンで来るものと思っていたらしい。
「いや、今日は俺のブルーバードをとりに来たんだ。」
従業員が犬飼の車のキーを取りに事務所に走っていった。犬飼も続いて事務所に入り
「バンはもう少し借りておくよ、色をつけるからよろしくな。」
まさか神戸に置いてきたとは言いにくい。
「へこんじゃいないでしょうね?」
従業員は心配そうな顔で聞いた。
「へっ 俺がそんなヘマをするか!」
ホッとした従業員は
「そうですよねー」
どうも関西のノリにはほど遠い返事だ。犬飼は顔に苦笑を浮かべながら、ブルーバードに乗り込んでエンジンをかけた。
「お・・・」
エンジンの回転がいやに滑らかなのだ。
「なんだ?」
説明を求めて窓から従業員の顔を見る。すると、従業員は得意そうに
「ちょいとね、技を へへっ」
と頭をかく。
「こりゃ高くつきそうだなあ・・・」
「大丈夫ですよ、911のいけ好かない客に上乗せしますから・・・」
従業員がガレージの奥に停められているスポーツカーを顎でしゃくった。
「そうつぁいいや。」
二人は大笑いをした。犬飼はクラクションを鳴らして車屋のガレージから車をだした。
「いつも、すまないな。また来る。」
頭を下げる従業員を尻目にセーフハウスへ車を走らせた。従業員が自慢するだけあって中古のブルーバードは生まれ変わったようだ。
「こいつ 良くまわるな・・・」
車のエンジンが暖まった頃、車はセーフハウスの前を通り過ぎた。犬飼は家から少し離れた路地に駐車して車を降りた。歩いて遠めに安全をチェックする。
『無茶と慢心は慎め』
それが身に染み付いて徹底しているのだ。
「アキラ達は俺の撤退命令に従うだろうか・・・」
犬飼は今朝三宮で別れたときのきらきらしたアキラの目を思い出していた。あいつの性格からして、手を引けといわれておとなしく言う事を聞くとは思えない。犬飼はそれが心配だった。プロの殺し屋部隊に素人のアキラたちが敵うわけがないのだ。
「直接俺が電話を入れたほうがいいかもしれん・・・」

アキラは井上医院か環の家にいるはずだ。犬飼はまず環の方に連絡してみた。呼び出し音が何度もなり、ようやく女が電話に出た。
「みなと酒店です。」
「あ、環君は、いらっしゃいます?」
「・・・環に、なんの用です?」
いきなりいらいらした返事が返ってきた。どうやら、出たのは母親らしい。後ろから忙しそうな店の様子が伝わってくる。犬飼は感を働かせて、急に関西弁で話しはじめた。
「環君、若いのによう知っとってやから、この頃、酒は環君にさがしてもろてますねん。」
と、客の振りをすることにした。案の定、母親はころりと態度を変え、
「あ、ああ。いつもお世話になってます。環のやつ、今出てますねん。」
と申し訳なさそうに言う。犬飼はさも残念そうに、
「配達ですか?すぐ帰ってきはります?」
「手伝いで出てるんやったらええんですけどねぇ。ふらふら、どこにいった事やら・・・」
母親は愚痴をこぼし始めた。諸悪の根源が自分にあると察し犬飼はまたかけなおしますと断って、そそくさと電話を切った。

次に犬飼は井上医院の受付に電話した。犬飼が何度か言葉を交わしたことのある若い受付嬢が電話に出た。
「田中ひろみの付添い人の石川アキラがまだそちらにいるはずなんですが、呼びだしてはもらえませんかね?」
と聞く。
「申し訳ありませんが、付き添いの方をお呼びする事は出来ません。」
受付嬢が断った。それが当然だろう。犬飼ががっくりきていると、
「伝言はお聞きしますよ。担当のナースに渡してもらえますから。」
と、電話の向こうから助け舟が出た。
「それはありがたい。」
犬飼は心からそう言った。
「では、東京にすぐに連絡するよう伝言してください。」
「わかりましたわ。お名前をどうぞ。」
受付嬢が聞く。偽名を使う理由もなく、犬飼が本名を名乗ると、電話の相手が『え?』と、聞き返した。
「いやだ、犬飼さんって211号室に入院している犬飼さん?」
今度は犬飼が『え?』と聞き返す番だった。
「犬飼が入院してるんですか?」
と言ってしまってから、しまったと口をつぐんだ。受付嬢はやはり不審に思ったようで、
「本当に犬飼さん?」
と探るように聞く。どうやらアキラが病院でなにやら工作をしているようだ。
「・・・ア、アキラと一緒にいる犬飼は俺の・・・兄なんです。・・・兄が入院したんですか?」
「お兄さん?」
受付嬢は少し考えていたが、
「そう言えば声がにてるわ。」
と、納得したようだ。
「アキラくん、今日は何度もロビーに出てきてるから、すぐに伝えておくわ。」
と気さくに言った。犬飼は礼を言って電話を切った。
これでアキラはすぐにおっしょはんに連絡してくるだろう。直接話が出来ないのが残念だが、病院にいるのなら、向こうも簡単には手出しが出来まい。それに、今のところはこれ以上やっている時間はないのだ。





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