Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー99

高速を降りた時には、やんでいた雨が、車を降りて出版社のビルに駆け込む頃にはまたポツリポツリと降り出してきた。
空を見上げながら犬飼はポケットのフィルムを手で確かめてポンポンと叩き建物に入っていった。

「編集長は会合が終わったらすぐ帰ってくるそうです。」
顔見知りの若い編集員がそう言って犬飼を迎えた。
横浜から電話を入れたので現像のために待っていてくれたらしい。
自分で急な現像を頼んでおきながら
「はは、人使いの荒いボスだな。」
無責任に笑いながら、犬飼は10本ほどのフィルムを渡した。
編集員は常日頃こういう残業にはなれているのか、嫌な顔もせずフィルムを受取って現像室へと向かう。
犬飼も一刻も早く写り具合が見たいのと、一人で待っていても暇なのとで男に続いて赤いランプのついた現像室に入り、作業を見守った。
編集員は慣れた手つきでフィルムをパトローネから抜き取りクルクルとリールに巻きつけると現像器にはめ込んだ。
次に温度を確かめてから現像液を注ぎ入れる。
「ちょっと増感して欲しいんだ・・・」
犬飼が注文を入れた。
「わかりました。20秒足します。」
「うんうん。」
増感すると粒子は荒れるが暗いところもコントラストが付く。犬飼はわくわくしながら現像をすすめる編集員の手元を見つめた。
編集員はテキパキと作業を進めていった。
現像器に停止液を入れて画像を定着させるとネガを水洗いし次々とロープに吊るしていく。
犬飼は出来立てのネガを手に取り赤いランプにかざして一コマづつ確かめていった。
取った順番に記憶が蘇えってくる。
そうやって頭の中で撮ってきた画像と平面図と照らし合わせているのだ。
「ぴったりあいそうだな・・・」
犬飼は感じた。『3110』の資料が信用に足ると解れば後は増感したぶん明るく現像された警報装置を確認すれば倶楽部潜入に踏み出せる。
「ベタ焼きで頼む。」
そう頼んで、犬飼は現像室を後にし洗面所へ入った。
手を洗っていると、編集部のほうから靴音がした。

「くそっ 忌々しい雨だ・・・」
編集長の悪態がドア越しに聞こえてくる。どうやら現像室に居る間に本降りになった中を帰ってきたらしい。
「おやっ 随分こざっぱりと・・・」
犬飼は手をハンカチで拭きながら洗面所から出てきた。
「おおっ もう帰っていたか。で、首尾は・・・?」
「今、ベタ焼きをしてもらってますよ。」
「ちょっと待ってくれ、着替えてくる。」
そういい残して編集長は更衣室へ姿を消した。
それと入れ替わりに、半乾きのベタ焼きを編集員が持ってきてくれた。
「お、待っていたぜ。」
犬飼はすぐにルーペでコマごとにチェックを入れる。
引き伸ばしの必要なコマはフィルムナンバーのところに赤鉛筆でしるしを付けていく。
「これだけ、頼む。」
編集者は黙って頷き、今度は大きく伸ばすために再び現像室へ取って返していった。

「うちの若いもんをあんまりこき使うなよ。」
編集長がタオルで頭を拭きながら戻ってきた。
「あんたには負けますよ。」
犬飼の減らず口に軽く笑って編集長は机の上のベタ焼きに目をやった。
その目が一つのコマに留まる。
「よこせ。」
と、犬飼の手からルーペを奪い取ると、顔を近づけてまじまじと見ていたが、
「おいおい、冗談だろう!」
太い指でその一コマを指した。
「なにか?」
犬飼は編集長が指差している部分を覗き込んだ。
「これだ、これ! この奥の2人だ。」
言われるままに小さな写真をのぞきこむが、
「大きく焼かないとわかりませんね・・・」
今キャビネサイズに焼いていると犬飼が言うと、編集長は椅子に倒れこんで伸びをした。
「う~ん、与党と野党の領袖が呉越同舟とはな・・・」
さすがに餅は餅屋で政治家の顔はよく知っている。犬飼は感心した。
「撮ったときは気づきませんでしたがね。子ネズミどころじゃ無さそうだ。」
「単なる趣味のお友達か、それとも根回しかだな。」
「ははは、趣味ねぇ・・・」
犬飼は混ぜっ返そうとしたが
「嗜好と言った方がいいかもしれんな。」
編集長は歯牙にもかけなかった。





Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.