Nicotto Town



即今 当処 自己

心をととのえるスヌーピー 5回目です。

即今当処自己
いま、ここで、自分がやる

そんな感じの意味ですかね。


そうですね。

わたしの力を発揮するところはここじゃない。
わたしとここは相性が悪い。
自分がもっと評価されるところがあるはずだ。

たぶん、どれも可能性としては正しいのだろうと思います。
適材適所ということもあるでしょうし、そもそも今いる場所がろくでもない可能性もある。
ですから、自らを効率的により効果的に活用しようとするのであれば、より適切な場所に移動することは良いことだと思います。ただし、それは確かにそうなのですが、一方でこれも確実に言えることだろうと思います。


いま、ここで出来ないことは、どこに行っても結局は出来ない。


私の力を発揮するところはここじゃない。
確かにそうかもしれませんが、しかし自分の力を発揮できるようにその場を自分が整えなかった、あるいは整えることが出来なかったことも、また事実のはずです。

わたしはここと相性が悪い。
確かにそうかもしれませんが、相性に関係なく能力が発揮されるように工夫することも出来たはずです。

自分がもっと評価されるところがあるはずだ。
確かにそうかもしれませんが、誰が見てもグウの音も出ない結果を出していれば、相応の評価や扱いはされたはずです。


もちろん、そのために無駄に遠回りをすることは良くありませんので、将来のビジョンも含めて総合的に状況判断をして動くべきですが、自分はネガを跳ね返すだけのことをやっては来られていなかったという反省は、必須でしょう。



いまここで、やれることをやる。


やれることって、なんでしょうね。
大概において、やれることは自分が付けた制約の上限までという事になります。制約を低いレベルで設定すれば、大概のことは出来ない事になります。二言目には「無理」「できない」という人は、そもそも出来るかどうか合理的に考える事すらしていないことが多いと思いますけどね。

とはいえ、上に設定しすぎれば到達できないでしょう。目標は高くと言えば聞こえはいいですが、チャレンジと無謀は違いますね。最終目標は遥か彼方で良いと思いますが、目先は出来るか否かのギリギリくらいにして、段階を踏むことも大事。。。かな。

あとは、黙々とやる、ですよね。

目標やら何やらはともかく。
先のことはともかく。
兎に角、今ある課題を黙々とこなす。
その果てしない地道さに耐えられないと、大概のことは上手くいかないですね。飛び道具の様にドカーンと何かをやって何か成し遂げられてしまうのは、一部の天才やら、特別な条件がそろった場合です。

前にも書きましたが、「やればできる」というのは大概は嘘ですから。仮にやればできるポテンシャルがあったとしても、「やれる」といのも一つの能力なので、やれないのであれば、やれば出来るという言葉は無意味です。

以前もかいたことがあるのですが。
ビリギャルとやらが流行ったことがありました。そして言うわけです。やればできる、と。

いや、できませんよ。

彼女の成績は惨憺たるものだったのかもしれませんが、しかしそもそものポテンシャルは猛烈に高かった。
そしてそのポテンシャルを短期間で爆発させてあげるための環境、親や先生、塾の講師といったものが絶妙な組み合わせで効果を最大化させた。そういう必然と偶然がバッチリと噛み合って、初めてビリギャルは生まれたのであって、世の中の99.9%はビリギャルにはなれません。



じゃあ、努力は無意味なのか。



そんなことはありません。



一瞬先のことなど、誰も分からない。
神様でもない限り、未来のことなど分からない。
だから、自分にも可能性があると信じて、やるしかない。

運も実力の内。

その通りです。
運は等しく訪れるかもしれないけれど、その僅かなチャンスを掴むことが出来るのは、その準備を怠らなかった人だけです。運を掴めるかどうかは、当人次第。
もっとも、ありもしないものを、あると誤解し続けるのもね。もう少し考えようか、という話もまた確かではあります。物事には見極めも大事です。



まあなんにしても、そんなこんなで、わたしには運も何も巡ってはこないという必然的な結果が現状ですね。言い訳ばかりして、さしたる努力もせずにダラダラと生きて来た報いでしょうw


てなことで。
ではでは。




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