Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー116

「おっと ノクトビジョンがいる。」
仮眠から覚め、潜入の装備を最終点検をしていた犬飼の手が止まった。
今夜は懐中電灯は使えない。
彼は右手を棚の上に伸ばし、カメラのレンズのようなものが付いたゴーグルを出してきた。
これはイスラエル軍の払い下げで、灯りの少ない暗闇でも見える代物だ。
最倶楽部が催すフォーマル・パーティーに紛れ込むつもりの犬飼は黒いタキシードを着た。
上着の内ポケットにカメラを2台滑り込ませる。
「今度のカメラはコンタックスとミノックスだな。」
昨日までとちがって、かさばるカメラは持てない。
小さいが解像度のいいコンタックスなら大雑把に撮ってもあとで伸ばせる。
隠し撮りにはミノックスが欠かせない。
机の上には、長い紐の付いた黒い厚手の布袋と不織布もあった。
絵を入れるためである。「今夜が天気で助かった・・・」
荷物を持ってフロアをうろつけない限り、窓から絵だけ先に外に出てもらおうと言う計画なのだ。
風もない絶好の天気だが、あおられないように、念のために錘も入れておく。
黒いタキシードの上に白いシェフスーツの上着をはおる。
犬飼は、鬘と付け髭で変装する事にした。倶楽部の中には犬飼の顔を知っている人間が当然いると考えられるからだ。
「次は、犬の餌・・・」
犬飼は冷蔵庫を開けて、肉の塊を引っ張り出してきた。偵察では大型犬が3頭いるらしいことが解っている。
大食漢の犬どもに上等の肉をタラフク食わせることを想像すると馬鹿馬鹿しくなる。
「俺とアキラが食ってもまだ余るだろうなあ・・・」
犬飼は苦笑しながらナイフで肉を6つの塊に切り分け、それぞれに穴を開け慎重に睡眠薬を埋め込んだ。

外は秋らしい月夜である。
今夜はタキシードの上に、シェフ・スーツ、さらにその上にウェーダーを履くという重武装だ。
気温が下がっているのはありがたかった。
犬飼は地下水道に入る前に倶楽部の前を車で流した。
大広間のある階の窓には煌々と明かりがついている。
「今夜も大繁盛のようだな。 待ってろよ!」
不敵にゆるむ口元から独り言が漏れる。
程なくして地下水道近くの暗い路地に車を止め、周りを窺った。
まだ、宵の口である。
どの家の明かりも平和そうに灯り、テレビの音や、笑い声が、どこからともなく聞こえてくる。
えらくかさばる装備を持って車から降りると車のショックが伸びた。
「この重さは、肉のせいだな・・・」
忌々しげに首を振りながら犬飼は重い荷物を担いで車を後にした。
入り口まで来るとノクトビジョンを装着し、電源を入れて動作を確認してから、あらかじめ仕掛けをしてある南京錠を確かめる。
自分以外の誰かがこの入り口を使ったかどうかわかるように錠の角度を少し横にずらして目印にしてあったのだが、どうやら誰も入っていないようだ。
「いい子だ」
南京錠を開けるとスルリと入り込み内側から閉め直した。水音を立てないように気を使って、目的地に進む。幸いここ数日天気だった分水嵩が減っており、かなり早くマンホールの下に着く事ができた。
梯子の途中で犬飼はS字フックを使って梯子に荷物をいったんひっかけ自分はマンホールの蓋下まで上がっていった。
穴から潜望鏡で外を覗いてみてる。上手い具合に辺りには誰もいない。
この時間帯は、客や従業員の建物への出入りがほとんどないのは解っている。
「しめたっ、犬も見えない」
大急ぎで肉の袋を取りに戻るとそれを抱えてもう一度潜望鏡を覗く。
「よし、いいぞ」
今度はマンホールの蓋を押し上げて横にずらす。
犬飼は次々に肉を袋から取り出しマンホールから離れた塀側の、木の陰になるように放り投げた。
肉がザザッと小枝に当たり、次にどさっと地面におちる音が数回して後はまた静かになった。
肉を全て投げ終わると、犬飼はそっとマンホールの蓋を元に戻して、息を殺した。
「フッフッ」
「チャッチャ」
犬が石畳を歩くときに爪が当たると鳴る音が聞こえる。人の足音は聞こえてこないから放し飼いのようだ。
「がう、がう」
「ぴちゃ、ぴちゃ」
何匹かの犬が餌を奪い合ううなり声と、肉にかぶりつく音がしばらくしていたが、やがて、鼾が聞こえてきた。蓋をもう一度ずらして肉を投げた辺りをうかがった。
黒い大型犬が3匹うずくまっている。
「ピッ」
犬飼は小さく口笛を吹いた。犬はピクリともしない。完全にお休みのようだ。
「高い肉だからな。さぞ旨かっただろう、いい夢を見ろよ」
犬飼が梯子につかまったままで、ウェーダーを脱ぎ、漸くマンホールから這い出た時、
『ガチャーン』
建物の方から皿の割れる音が響いてきた。はっとして身を伏せる
「すいません!」
甲高い声と共に、男が外に飛び出してきた。





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