刻の流れー118
- カテゴリ:自作小説
- 2023/08/13 22:27:24
エレベーターのドアがしまると、犬飼はまず、ストップボタンを押した。
シェフコートを脱ぎタキシード姿になる。
コートは素早くたたんで、上着の下の背中に挟んだ。
次に髪の乱れを櫛で整え、タキシードのしわや、埃を除く。
瞬く間に厨房の下働きから、紳士に変身を遂げると、犬飼は、ストップボタンを解除して、大広間のある3階のボタンを押した。
『チーン』
ドアが開く。
犬飼は無人のエレベーターホールに踏み出した。
ホールから伸びる短い廊下の突き当りのカーテンから光が漏れている。
カーテンに近づいてそっと覗くと人々のざわめきが漏れてきた。
目の前を客が3人ほど横切るのを利用して犬飼はその最後尾に付いて大ホールに紛れこんだ。
ホールの天井は高く、ロココ調の調度が品よく置かれてある。
タキシードを着た紳士達が露出度の高いナイトドレスの美女達を連れて談笑しながら歩いている。
時々紳士同士が話をしている場合もあるがそれは少ない。
この部屋にはどうやら客は30人くらいはいるらしいが、これではただのフォーマル・パーティーだ。
犬飼はカーテンで仕切られた隣の部屋のほうへ移動した。
その部屋は葉巻の煙が漂いルーレットのカラカラと言う音が聞こえる。
『カラカラ、カラン』
「黒の18」
「おお~~」
どよめきが起こった。
どうやら当てた客がいたようだ。
人だかりのできているテーブルに近づくと、美女を両脇に、50がらみの客が、御満悦の体で笑っていた。
客の前にはかなりのチップが色分けされて積まれている。
その小太りの客は黒いチップを一枚とって隣の美女に渡し何か耳打ちをする。
女がにこっと頷いて、部屋を出るのと入れ替わりに、新しい客が一人、空いている椅子に座わった。
百万円の束を5つテーブルに置き
「黒をくれ」
横柄に注文する。
ディーラーが頷いて金をうけとり、黒いチップを客の前に積んだ。
黒いチップには100と書き込まれている。どうやらチップの枚数から見て一枚が10万円のようだ。
システム的にはラスベガスを踏襲しているようで赤チップに5、緑が25そして黒が100紫は500とそれぞれ書き込まれている。
先ほどの男の前にはオレンジの1000と茶色の5000が十数枚積まれている。
「なるほど機嫌がいいわけだ」
犬飼は内ポケットからタバコを出す振りをしてカメラを手のひらに隠す。
部屋の様子を、何枚かの写真に収めた。
そこに、さっきの女が、マルボロを一箱持って戻ってきた。
もちろん、つりを渡すわけでもない。
「はは、10万円のタバコか・・・」
テーブルは3台、立ち見の客も入れて30人くらいの客の数だ。
女達がかいがいしくドリンクサービスをしている。
負けている客もいるはずなのだが、誰も彼も、それを気にしている風がない。
「一晩でいくら動くことやら・・・」
犬飼はちょっと呆れ顔になり、ゆっくりと次の部屋へ向かった。
カーテンの脇にサーバーらしい男が立っていて礼をしながらカーテンを引いてくれた。
犬飼は右手を上げて何食わぬ顔で中に入り込んだ。
『パンッ』
「あうっ」
異様な音と共に悲鳴とも違う甘えた声が聞こえてきた。
そこは舞台の照明だけで薄暗い部屋だった。
舞台では2本のポールが床から立ち上がり天井へと伸びている。
両手を鎖でポールつながれた全裸の女が鞭打たれていた。鞭を持つのは黒い皮のマスクをかぶった筋骨隆々とした男だ。
『パシッ』と言う音と共に、全裸の女が髪を振り乱し、腰をくねらせる。
半開きの口の端から涎が筋を引く。
女の白肌には赤い筋が幾条にも入り扇情的だ。
舞台の周りには椅子にゆったりと腰を下ろして美女を侍らして見ている客がいるが、中には首を伸ばして食い入るように覗き込んでいる男達もいる。
「初心者か・・・」
ゴクリ生唾を飲む音までが聞こえそうだ。
しかしこの部屋も大した事は無い。歌舞伎町に行けばこんなショーをやっている店はいくらでもある。
「まあ、お忍びのお年寄りにはこれくらいが相当なのだろう・・・」
犬飼は変に納得した。
ここでも数枚写真を写して犬飼はルーレットの部屋に戻ってきた。
「う~ん・・・」
犬飼は、首を傾げた。
この階の部屋は大体見回り、繰り広げられている乱痴気騒ぎをカメラに収めたが、これだけでは週刊誌沙汰にしかならない。
倶楽部の所業の確固とした証拠がほしい。
そのためには、地下にある倶楽部の心臓部に忍び込まなければならないのだ。
見取り図によると地下に降りるエレベーターが大広間のこの辺りにあるはずなのだ。
「どこだ・・・」
潜り込んでからそろそろ半時間、所在無げにうろうろしているのは危険なのだが、下へ通じる通路が一向に見つからず、犬飼は焦り始めていた。
「まさか、あの見取り図自体がトラップだったのか・・・」
そんな不安が思わず頭をよぎったとき、犬飼は後ろに気配を感じて振り返った。