Nicotto Town


しだれ桜❧


刻の流れー125

編集長の交際範囲は広い。
それは、紳士淑女に留まらず、その世界の裏側にいる義理も恩もないが金では繋がっている輩も知人のなかにはいる。
積極的にお友達ではないが、持ちつ持たれつという関係だ。
「RRRRRR」
「はい」
ヤクザな事務所には不釣合いなほど明るい声の男が電話に出た。
「俺だ、編集長だ。長崎はいるか?」
いきなり編集長といっても相手は驚かないところを見るとどうやら初めての電話では無さそうだ。
ゴトッと受話器を置いて奥へ畳の上を歩いてく音が聞こえる。
暫くすると人が戻ってくる気配がし、受話器が持ち上げられ、どすの聞いた声の主が出てきた。
「ご無沙汰だな」
挨拶も無く、編集長はすぐに用件に入った。
「すまないが 若い衆を一人貸してくれ」
いきなり電話を掛けてきて人一人を貸してくれといわれても、電話の主は落ち着いたものだ。
「あんたがそういう言い方をするときゃあ、ろくなこたぁ考えてねぇな」
「そうだな」
「で?」
男が先を促す。
「今夜11時45分に横浜で騒ぎを起こしてほしい」
「やっぱり、そんなこったろうと思ったぜ」
「ははっ お見通しなら問題ないな?」
「あんたの頼みじゃ、無下にゃあできんところだが、今、ちょいと隣と揉めててな。」
長崎の所属する組が、近隣の組と事あるごとにいざこざを起こしているのは編集長も知っていた。
「それでも、一人ぐらい、誰かいるだろう?」
「若い奴らはおおかたが出払っちまってる。1時じゃダメか?」
その頃には組員が戻ってくると言うのだが、犬飼とは零時にコンタクトを取る手はずになっている。
「今そこにいる留守番でもいい」
編集長が食い下がった。
「ああん?」
「さっき電話に出た奴だ」
「言い出したら聞かねえ奴だな・・・」
長崎は、別に機嫌を悪くしたでもなく
「おいっ 新」
電話の向こうで、その留守番を呼んでくれた。
「言っておくが、こいつぁあまだ、見習いだからな」
男はそう言って、受話器を留守番に渡した。
「はい」
さっき聞いた明るい声が電話を変わった。
「あんたが、手伝ってくれるのか?名前は?」
編集長が聞く。
「新です」
声の感じからすると若そうだが、はきはきしている。
雰囲気がアキラに似ていると思いながら、編集長は横浜で騒ぎを起こして欲しいと繰り返した。
「了解です。」
何の為かなどと余計な事は聞かない。
その代わりに、どれくらいの騒ぎを起こせばいいかを聞いてくる。
「そうだな・・・家一軒をこかすくらいの音がすればいい」
編集長が答えた。
「音だけでいいんですか?」
「ああ、そうだ。だが、けが人は出さないでくれ」
注文をつけると、新は、少し待ってくださいとことわった。
同じ部屋にまだいる長崎に、何か聞いているようだが、受話器を手で塞いでいるて、よく聞こえない。しばらくして、
「では、11時45分きっかりに行きます」
受話器に戻ってきた新は、事も無げに言った。
「おお、助かるよ。」
編集長はほっとして、言った。
住所など、詳しい打ち合わせをする。
第一印象のとおり、てきぱきしていて、なかなか役に立ちそうな若者だ。
じゃあ、頼むぞ、と電話を切ろうとするのを新がとめた。
「・・・それと、長崎さんが、ギャラは高くつく、とおっしゃってます」
「あははは、深夜料金か?わかった、いつもの倍払うと言っておいてくれ。」
高らかに笑って、編集長は、受話器を置いた。

「細工は流々・・・」
また時計を見る。7時半だ。
「よしよし、まだ時間はあるな」
帰り支度をしながら、
「おい、後どのぐらいかかりそうだ?」
まだ現像をしている編集員に声を掛ける。
「あと2時間ぐらいですかねえ・・・」
編集員は、自分をおいて帰ろうとする上司を恨めしそうに睨んだ。編集長は
「俺はこれから『取材』だが・・・」
と言い訳をして、
「夜中に荷物が届くのを必ず受け取っておいてくれ」
さらりと言う。
「はあ?」
編集長がこんな時間に『取材』というのも驚きだが、夜中まで留守番を頼むとは呆れてものが言えない。
「店屋物でもたのめよ」
くちをぱくぱくさせている可愛そうな部下を残して、編集長は部屋を出て行った。

事務所前でタクシーを拾い、自宅へ向かう編集長の顔は、興奮で輝いていた。タクシーは、門前で待たせておいて、家の中に駆け込む。
15分ほどで出てきた彼は、黒のタキシードに身を包み、運転手が「おや?」と思うほど、見かけが変わっていた。
「恵比寿町までいってくれ。」
編集長が言う。
犬飼にはまだ明かしていない計画がこの男にはあるのだった。





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