Nicotto Town


ぴのぴののなんでも日記


ひさびさ『どうする家康 欲望の怪物』考察です!


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 2週間空くと前回がどう終わったかをわっすれてるー。
VIVANT最終回の直前のいそがしいなかで、前回録画
見直さなきゃならなかったあ。あと3か月を切ったのか―
「家康」のどこまでが最終回なんだろうな。

 では、「欲望の怪物」の考察しますっ。

  •  ・ ムロツヨシのいやらしさが読めてきました。あのシーン
  • の寝たふりは、見破ったあ。
  • ・前に気になっていた「陣羽織」がまた出て来ました!本物も本当にあんなふうにケバケバだったのか、検索必要。
  • ・今回の大坂城セットは豪華でした。しばらく何度も使うんだろうな。今の再建大坂城も原寸大で観られるんだろうか
  • ・しかし、あのシーンには実際、「石川数正」は居たんじゃないんだろうか。きっと居たはず。そうじゃなくても、今回のドラマ展開では、絶対に接触シーンがあれば盛り上がったのになーーーっ。
  • ・徳川四天王の井伊直政は、初登場シーンとおんなじに「美少年キャラ」で使われるのか。役者の身長もちっちゃいし。
  • ・それにしても「北条」「上杉」「毛利」が出て来ないよなあ。ほんの少しでいいので、同時期の様子を見せてもいいじゃん。
  • ・くやしいけど大河連チャンなのに佐藤浩市の真田はすごい。山崎努とか、役所広司でも良かったかも・・・。
  • ・またまた無警戒の「稲姫」出た!!しかも父親名をずっと伏せて、最後に本多忠勝かいっ!!もうこんな娘の父親??
  • 年数カウントがズレたーー。さて真田の狭間でどんな生涯なんだろう。
  •  石田三成登場で新章突入。豊臣の名将も段々と登場でしょう。朝鮮出兵も予告出たし、関ヶ原合戦に向けて、どれだけ事件があるんだろう。於愛の方にも暗雲フラグ出てたよな。

                      かな?
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2023/09/22 17:07
ちょっと書き忘れ。

現在の再建された大坂城は、秀吉時代の大坂城とは違っていますので多分映さないと思われます。
秀吉時代の城って、黒いんですよね。
秀吉が黒い城を好んでいたので。
ですから、当時の大坂城は外壁等に黒漆を塗った黒い城だった筈。
徳川時代の白漆喰を使用した白い城(代表格が姫路城、別名白鷺城)とは対照的です。
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2023/09/22 17:00
石田三成も初登場でした。
まさか家康に対して、どちらのご家中の方か? と尋ねるとは思いませんでしたが。
家康が宿泊したのは秀長邸ですが、色々な段取りに光成も関わっている筈なので、家康の顔を知らないとは想定していませんでした。
星の話で盛り上がる家康と光成の図、というのは過去に例の無い斬新なものでしたが、今作の家康なら有りだな、とは思います。
実際最近の説では、家康と光成の関係はそれほど悪く無かったのではないか、とされておりますし。

秀吉の死後に家康への弾劾状を出したのは三奉行(本来は五奉行ですが、当時は光成を含めて二人が欠員)で光成は関わっていませんし、関ケ原の合戦すら光成はむしろ引き摺り込まれた側では? という説さえ出てきております。
そういう説がある、と目にしただけなので詳細や信憑性がどの程度あるのかは不明ですけど。

朝鮮出兵も匂わせていましたし(その前に小田原征伐もありますが)、いよいよ物語も大詰めに近づいてきました。
家康の臨終迄描く予定の筈なので、今後物語は加速していくと思われます。
とはいえ、小田原征伐、関東移封、朝鮮出兵(出兵自体はしないものの肥前名護屋城には出向する筈?)、関ケ原の合戦、大坂冬夏の陣、と結構盛沢山。・
まぁ、小田原本城は包囲するだけで支城をポツポツ攻略するくらいで、徳川軍もあまり戦いませんけどね、小田原征伐は。
むしろ関東移封と関東開発の方に時間を割くかも。
坂東太郎(利根川)を制して大湿地帯を何とかしないと、現在の東京に繋がりませんからねぇ。
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2023/09/22 16:32
無かったのではないでしょうか?

ドラマでは、口では罵りながら実際は感謝していた徳川家臣団ですが、実際は腹に据えかねていたと思われます。
家康が無事領国に帰還するので入れ替わりに人質として下向していた大政所は大坂に帰還しますが、大政所を大坂迄送って行ったのが井伊直政で、大坂城で秀吉に茶席に招かれるのですが、その席に数正が同席していた為、非常に気分を害した、というエピソードがありますので。

大政所と言えば、直政が殿に万が一の事があればあの婆の焼き殺す、と庭に薪を積み重ねてましたが、このエピソードは有名です。
ただし実行したのは直政ではなく、鬼作左こと本多作左衛門重次です。
「どうする~」には登場していないので、直政にその役割がシフトしたのでしょうね。
大河ドラマは登場人物が非常に多いので、こういう工夫も必要でしょう。
本多作左はこの行為の所為で秀吉から嫌われて、徳川四天王達が万石越えの所領を貰っているのに対し、三千石程度で終わったとか。
秀吉の手前、家康も加増は出来なかったのかもしれません。

井伊直政が大政所に気に入られたのは事実。
井伊の赤鬼と恐れられた反面、非常に美男子として知られ、また心優しかったそうですので。
大政所に対しても物柔らかに丁寧に対応したとあります。
大政所だけでなく、付いて来た侍女たちも直政に惚れ込んだらしいですね。

真田昌幸は貫禄でしたね。
流石、佐藤浩市さんです。
ただし、初登場から思っている事ですが、何故あんなに老けメイクなんでしょうか?
昌幸の年齢は家康より下なんですが…
60台の佐藤さんが演じるのは大河あるあるですが、せめて髪の毛は黒くしておいて欲しかったかも。
あの白髪頭では、九度山に蟄居する晩年の様です。
それとも小領主としての苦労を表しているんでしょうか?

その真田昌幸の嫡男信幸に嫁ぐことになる本多稲(いな)が初お目見えでした。
あそこまで女子力が低い女性だったかどうかはわかりませんが、本田忠勝の娘らしく勇気ある女性だったと伝わっています。
小松姫と称され、甲冑を身に着けた肖像画が残っていますし、勝ち気で武芸に優れていた、というのも多分事実でしょう。
ただ後世に捏造された逸話が多いのは残念。
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2023/09/22 15:52
家康を電撃訪問した秀吉は、宿舎である秀長邸の奥座敷に家康を招き入れ、二人は所謂胸襟を開いて語り合った様です。
ドラマでは北政所(寧々)まで伴った大人数での訪問でどんちゃん騒ぎになってましたが、実際は実際は単独(お供は当然いたでしょうが)でやってきた模様。
多分秀長が急遽用意させたと思われる酒を、お互い手酌で指しつ指されつ酌み交わした様ですね。

ちなみに陣羽織云々の件は、家忠日記には無い様です。
これはもっと後の文書に出てくるので、もしかして後世の作り話である可能性があります。
謁見日時や秀吉の電撃訪問日時に食い違いもありますし、舞台が大坂ではなく京都になっていたりもして、同時代の一級資料である家忠日記と比較すると後の時代に書かれた文書は二次資料と言うべきですので、信頼性が劣るんですよね。

まぁ、その後の文書には居並ぶ諸将の前で謁見する時に、秀吉に遜って敬意を表して欲しい、と懇ろに頼んで帰って行った、とあるんですが。
当時の家康は戦の強さでは一目も二目も置かれる存在だったらしく(全面敗北は三方ヶ原くらい? 対真田の上田合戦も負けてますが、こちらは主力を使わない局地戦)、戦国時代は戦に強い武将が尊敬される風潮が強いので、「あの徳川殿がひれ伏すとは関白殿下は凄い」というアピールになるんですね。

陣羽織の件も、この後の文書に書かれた逸話です。
家康が秀吉の陣羽織を所望し(ドラマでは陣羽織は脇に飾られてましたが、文書では秀吉が着用している状態です)、一度は拒んだ秀吉に、家康が馳せ参じたからには殿下に二度と陣羽織は着せません、と言ったというドラマ通りの逸話ですね。
それに対し、このような婿(妹婿ですね)を得た秀吉は果報者である、と秀吉が返したとあります。
ドラマでは、この部分で下手糞な芝居をする秀吉を演じるムロさんが上手かったですね。

秀吉のド派手な陣羽織は、ドラマで登場しているものはドラマオリジナルだと思いますが、実際非常に派手なものでした。
京都高台寺に伝わる鳥獣文様陣羽織とか、非常に派手です。
他にも木瓜桐文緋羅紗陣羽織があり、こちら真っ赤に金模様で、やはりド派手。

謁見の場に石川数正がいたかどうかですが、多分いなかったと思います。
あの場にいたのは、毛利や宇喜多、長曾我部などの大名達ばかりの筈です。数正は河内の一部を領しただけですので、あの場にいる資格は
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2023/09/22 14:58
こんにちは^^

今回の「どうする家康」は家康上洛編でした。
こちらは当代記や本願寺顕如の日記にも記録があります。
同時期に正親町天皇が退位し後陽成天皇が即位する、所謂譲位が行われています。
秀吉はこの朝廷の一連の儀式に家康を列席させたくて、正にあれやこれややった訳ですね。
ちなみに正親町天皇は信長時代から譲位の意向を持っておりまして、やっと念願適って譲位出来た様です。
譲位ってお金がかかるんですよね。
秀吉は気前よく出した様ですが、信長はどうも出し渋って正親町天皇の退位に難色を示していたらしいです。自分に有利な状況で譲位を行いたかったのか何なのか? そのあたりは分かりません。

上洛に伴い、家康は秀吉に黄金100枚・縮(ちじみ(多分縮緬(ちりめん)?ではないかと。絹織物の一種ですね)100反を献上したそうです。
また家康の上洛を秀吉は殊の外喜び、刀・脇差・数寄道具(茶道具)を与えました。いずれも値千金の品である、と当代記にはあります。
顕如の日記には、鷹・三好郷という刀(銘は則重、鎌倉末期の刀工?)。政宗の脇差・白雲の葉茶壷、と書かれてますね。
当代記には鷹の事は書かれていませんが、他は同じなので多分正確でしょう。顕如日記の方が銘まで書かれていて詳しいですが。

この上洛により家康と秀吉が入魂の間柄になった事で、小田原の北条父子(氏政と氏直)は心底不快になったらしいです。

家康の上洛は10月26日大坂着で、豊臣秀長(当時は美濃守)の館に宿泊したのはドラマ通り。
28日には秀長主催の振舞能が催されたとあります。家康が能好きだった様で。演者は金春大夫とあります。

さて、ドラマでは秀吉が正式な謁見が行われる前夜に、いきなり家康に会いにやってきて家康のみならず秀長迄驚かせていましたね。
これは過去の大河ドラマ「徳川家康」でも描かれていたもので、非常に作り話っぽいのですが事実の様です。
松平家忠日記にその記述があります。
家忠自身は上洛に同行していませんが、同行者から微に入り細に入り聞き出したのか、割と細かく記載されています。
対照的なのが三河物語で、上洛時の出来事はほぼ書かれておりません。
大久保一族が関わらない事にはとことん無視を決め込んだのでsっほうか? 作者大久保彦左衛門は。









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