Nicotto Town


月影左京 in Nicotto Town


祖母・祖父との思い出〜1人だけのおじいちゃん〜


祖父母の話、ですか……まず、父方の祖父母は実はあまり思い出がありません。

というのも、父方の祖母は私が物心ついた時から同居しており、私のことを「勝手に動いてしゃべる便利な着せ替え人形」扱い(※オブラートに包んだ表現です)していたので、なかなか好きになれなかったのと、父方の祖父は父がまだ小学校低学年のうちに飲酒中の急な脳不全で倒れたまま帰らぬ人となった為、会ったことすらないのです。

が、母方の祖父母は、心から尊敬に値する2人でした。2人とももう天国へ行ってしまいましたが……。

私には左手指に麻痺がありますが、母や周りの大人はただ「使いなさい」「お茶碗持ちなさい」「お行儀が悪い!そういう持ち方をしない!」……ばかり。手助けもしないのにヒステリックに怒鳴るのです。
それに対して母方の祖母は家に遊びに行くと「左京ちゃん(※本当は本名です)や、ほら、『にぎにぎ』しようね」と、程よく硬いバネがついた、ボケ防止グッズのひとつであろう握力強化の「にぎにぎ」で握ったり手を開いたりする練習をさせてくれたのです。それも怪我をしないよう、つきっきりで傍で見ていてくれて。

結婚した後も、母は私に「いい?ちゃんと義母様のお家に毎週通って家事を手伝うのよ」とやかましく告げてきましたが、その母本人はというと実家(=母方の祖父母の家)に行けば「疲れたぁ、寝る!うちの子頼むー」。
母方の祖母はそれを責めもせず、はいはい、と引き受けていたのを幼心に覚えています。

母方の祖父は、時事や英語を始め博識な人でした。
分からないことを私が母や父に尋ねても「知らない」と返れば御の字、大抵は知ったかぶりをされてきました。
でも、怪しい……と思って母方の祖父に聞けば、すぐその場で新聞や辞書の使い方を目の前で指導しながら正しい知識を解説してくれたのです。かといって母や父を貶すこともありませんでした。

本当に、「人として素晴らしい」のが、母方の祖父母でした。
私が人生のお手本にしたいのは、両親でも、父方の祖父母でもなく、母方の祖父母です。

敬老の日には少し遅れてしまいましたが、そんな苦くも甘い祖父母の思い出話でした。

#祖母・祖父との思い出





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