Nicotto Town


ぴのぴののなんでも日記


『どうする家康 さらば三河家臣団』の考察します。


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 今週も連ドラのはざまの平和な日曜日。前日のサザンオールスターズ茅ヶ崎ライブ劇場配信の余韻の中、湯上りゆっくり観れました。ついに出た途端の北条氏が滅亡しちまった。

 では、涙の「さらば三河家臣団」の考察します。

  • ・先週のアリスちゃん逝去から、突然の阿茶局松本若菜
  • にチェンジかよーー。なまら切れ者だし、軍議しちゃって
  • るし。何者なんだあ。
  • ・「関東のツレション」じゃないじゃん。松潤配慮かいーー。これは変えたらダメだよな。茶々は本当に来てたの
  • かな。
  • ・ここまで「築山構想」を引っ張るか。それにしては側室、次々変わってるのに。
  • ・織田信雄は当初ムカついたのが、後段、配置換えで、ざっまみー。
  • ・北条攻めは水攻め+一夜城と勘違いしていたあ。
  • ・領地配分シーンはよかったねえ。大久保がここでスポット浴びるのか。服部半蔵は今後、江戸での伏線なのか??
  • 坂の陣ってことなのかあ。

 また予告編では波乱ありそう。朝鮮出兵でボロボロシーン連発か。また北川景子活躍??残回数がもう気になって来た~。
                      かな?
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2023/10/08 00:08
はじめまして♪
ひーもドラマをここ数年たくさん見るようになりました。
もちろん 大河ドラマも観ています。
ユーミさんの解説 ものすごくためになります!
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2023/10/07 17:13
小田原征伐で水攻めを受けたのは忍城です。
映画「のぼうの城」で有名ですね。萬斎様主演でした。

忍城攻めの主将が石田三成で、結局小田原本城が開城するまで落とせなかった事で、後の関ケ原の敗戦も合わさって三成は戦下手、という印象を残してしまいましたが、そもそも忍城は地形的に水攻めに向いていませんでした。
そこで三成は、水攻めではなく力攻めで落とすべき、と秀吉に意見を具申していますが、秀吉が水攻めを譲らず細々と指示を送ってきた為にそれに従っただけです。
成功体験(備中高松城)に固執した秀吉の指示ミスであり。三成が戦下手というわけでは無いと思います。
官僚型の人物であり、実戦指揮官よりそちらに適性があったのは確かだと思いますけどね。

北条氏政まで築山殿の戦国EU構想に被れていたのは驚きでした。
実際は、そんな平和主義の人物ではありませんけどね。
名胡桃城を奪ったのも、氏政の命令だったのでは、という説もありますし。
築山殿の戦国EU構想は、個人的には今作最大の汚点と思っていますので、長々と引きずられると何とも言えない気持ちです。
むしろ名胡桃城奪取は開戦の口実を作る為の真田昌幸の計略で、北条はまんまとそれに乗せられた、だったら説得力を感じたかも?
秀吉の前に伺候した昌幸がニヤリと笑ってくれたら私的には最高でした。妄想ですけど。

服部半蔵は、今後活躍はほぼ無いと思います。
関ケ原以前に病死しますし。
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2023/10/07 16:52
関東が持つポテンシャルは、秀吉も家康も気づいていたと思います。
唯一の欠点は、政治・文化の中心地である京・大阪から遠い事くらいですが、それが致命的なものではなかった事はその後の江戸、そして現在の東京の繁栄を見れば明らか。

また転封で三河武士達を地縁のある土地から引き離す事によって、中途半端だった兵農分離を一気に推し進められるという利点もあります。

これらの事から、私的には関東転封は家康優遇だった説を推したいです。

関東転封後は、ドラマではチラッとしか出てこなかった伊那忠次とその一族が活躍します。
元々は家康の嫡男信康に仕えていた人物で、信康切腹後は出奔していましたが家康の伊賀越えの際に助力しており、その功績で家康家臣として復帰。
転封後は、関東代官頭としてドラマにあった様に神田山を崩して日比谷入り江を埋め立て、利根川東遷・荒川西遷事業、新田開発等功績は数え切れません。新田開発で240万石から300万石に増加した筈。
江戸の基盤、ひいては現在の東京の基盤を築いた人と言っても過言ではないかもしれません。
ドラマではチョイ役でしたけど…


今回から登場の阿茶局は、武田旧臣の娘で武芸に優れた才女です。
於愛の方の死後の側室の様にドラマでは見えましたが、実際はもっと以前(於愛の方の側室入りの一年後くらい)に側室になっています。
小牧・長久手の戦いの際にも戦場に同行していましたが、その際に流産しており、その後子供を望めなくなったと言いますが、家康からの信頼は絶大で後の大坂の陣の際には大坂方との交渉担当を任された程です。

ところで、阿茶局役の松本若菜さん、どこか見覚えがあると思っていたのですが、仮面ライダー電王の主人公野上良太郎の姉野上愛理役の方ですね。
キリっとした阿茶局とぽやぽや~な愛理お姉さんとの落差に驚いています。まぁ、作品の年数が開いてはいますけど。
調べたら、「麒麟が~」で於大の方も演じられていました。今作「どうする~」の於大とは違い、淑やかで儚げな、私が従来抱いていた於大のイメージそのものでした。まぁ実像は今作の於大の方が近いだろうとは思いますが。

秀吉と家康の連れ小便は、江戸時代中期の創作の筈ですのでやらなければならない訳では無いと思います。
松本潤氏のイメージ保全の為の忖度は大いにあったと思いますが、それはそれ。
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2023/10/07 16:11
そして、北条側の抵抗心を完全にへし折ったのが、石垣山一夜城です。
実際は80日くらいかけて築城したらしいですが、ドラマ中で言っていた様に山の樹々に隠れて築城し、完成後一気に木を切り倒して一夜にして城が現れた様に演出して、北条側に心理的圧迫を加えた訳です。
秀吉はこういう演出が得意ですね。
石垣山城は、それまで関東には無かった石垣や櫓を備えた近世城郭で、小田原城を見下ろす位置に建てられました。しかも直線距離にして僅か3キロという至近距離。
結局、石垣山城完成の翌月、北条家当主の氏直が滝川雄利(元は織田信雄の家老だった人の筈)の陣地に直接出向いて投降します。ドラマでは家康の陣地だった様ですが、これはドラマならではのご都合主義。
氏直は、自身の首と引き換えに将兵の助命を嘆願。
秀吉は氏直の意気に感じ入ってか氏直を助命しますが、北条側の主戦派だった前当主氏政、その弟氏照及び宿老達には切腹を命じます。
氏直は元々豊臣宥和派でしたし家康の娘婿でもありますので、そのあたりの事情を忖度しての助命かもしれません。
他にも、氏政の弟氏規も助命されております。
氏直はその後高野山に蟄居しますが、一年程で許され1万石を与えられて大名として復帰します。ただ、更にその一年後くらいに病死してしまうんですけどね。北条宗家は叔父氏規の子氏盛(氏直の従兄弟)が継ぎ、狭山藩として幕末まで存続しますが。

小田原征伐後は徳川の関東転封。
当初家康は小田原に入るつもりだったものを、秀吉の意見で江戸に入る事になったのはドラマと同様です。
ただし、ドラマでは冷遇人事の様に描かれていましたが(以前は冷遇説・左遷説が主流)、実際はかなりの優遇で秀吉が家康を信頼していればこその関東転封ではないか、というのが最近の主流になりつつあると思います。
実際石高だけを見れば関東八州で240万石、それまでの三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の120万石から倍化しています。
利根川や荒川が江戸湾(現東京湾。但し、当時江戸湾という名称があったわけではありません)に流れ込んでいた為、洪水が多く湿地帯が拡がっていたのは確かですが、川を制する事さえ出来れば濃尾平野を上回る広さの関東平野を手中に出来ます。川が多いという事は水利に恵まれていて水運に期待できるという事にもなりますし。
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2023/10/07 15:28
北条も戦は想定していたので、百以上ある支城を強化したり、小田原の本城は城のみならず城下町全てを土塁で囲む総構えで守る体制を整え、武器・兵糧も充実させ、と準備は万端。総構えによって、籠城中も自給自足が可能でした。
海外の城郭都市の様なもの。パルマノーヴァとかゲッティンゲンとか。特にパルマノーヴァは非常に美しい星型城郭都市です。
元々北条は籠城戦が得意ですしね。
上杉謙信、武田信玄という名だたる武将に攻められても耐え抜いて落ちる事がなかった、堅城小田原城に対する絶大な信頼もあったでしょう。

ただ、謙信や信玄に攻められた頃は兵と言えば農民兵でしたので城攻めに時間をかけられず、農繁期になれば兵を退くしかなかったのですが、信長以降の所謂織豊時代は兵農分離が進んでいて年単位の布陣が可能になっていた事に気づけなかった事が北条の最大の敗因。
もっとも、豊臣配下の大名の全てで兵農分離が進んでいた訳では無く、徳川などはまだまだ中途半端だった模様。

さて、こうして始まった小田原征伐ですが、実は華々しい合戦というものは殆どありませんでした。
百以上の支城は次々落とされ(最後まで落ちなかったのは韮山城と忍城くらい? 最も力を入れていた支城の山中城は数時間で落ちました)、そこでは激しい戦いもあったらしいのですが、小田原本城は基本的に最後まで包囲しただけです。

その為、秀吉は参陣している大名達の屋敷を作らせたり、遊郭を作らせたり、舞台を作らせたりしましたし、宴会を開いたり、千利休を呼び寄せて茶会を開いたり、各大名に妻女を呼び寄せさせたりしました。
自らも側室の茶々を呼び寄せています。
これは書面が残っているので事実です。
北政所への手紙で「一番大切なのはお前(寧々様のこと)だが一番大切だから呼べない。かわりに二番目に大切な茶々を寄こしてくれ」という意味合いの内容です。

ちなみに、包囲されている側の北条も流石に宴会までは開けなかった様ですが、茶会や連歌会を開くなどしていたそうです。
戦と言うには、双方とも些か緊張感に欠けていたかもしれません。死闘を繰り広げた支城の立場が…
勿論、城から打って出て包囲している豊臣側の陣地の一部に痛打を与えた者もいるにはいた様ですが、形勢をはねのけられる様なものではありません。
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2023/10/07 14:42
こんにちは^^

今回は小田原征伐と徳川の関東転封でした。
今作では最初から北条討伐ありきの小田原征伐でしたが、実際はそのような事は多分無く、秀吉の構想では北条家を滅ぼすことな屈服させ、そのまま東北の抑えに用いるつもりだったのではないか、と個人的には思っております。

小田原征伐のそもそもの切っ掛けは、九州征伐後に秀吉が関東の諸将に出した惣無事令にあります。
これは大名同士の私戦を禁じる命令で、秀吉が出していますが形式上は天皇の勅令と言って良いものです。
大名同士の私戦とは、基本的には領地を巡る戦で日本全国大小様々な武士達が百年以上繰り広げて来たっものですが、それを止めるべし、と命じたんですね。

北条としてはその様な命令は不服で、兵糧を集め、武具を集め、城を改修し、と徹底抗戦する気満々だったのですが、娘を嫁がせている家康が相当必死に恭順する様に説得し、最後は娘を離縁して返せ(要するに同盟破棄です)という最後通牒迄出したため、抗戦派筆頭で頑なだった北条氏政も折れ、弟北条氏規(うじのり)を秀吉への挨拶に向かわせる事で一旦は事が納まります。

北条が真田と争っていた沼田領に関しては、領が内を流れる利根川を境界として3分の2が北条(沼田城は北条のもの)、3分の1が真田(名胡桃城が真田のもの)という裁定が下され(名胡桃城辺りが真田氏先祖墳墓の地らしい)、沼田領の過半以上を喪う真田に対しては、家康が代替地を与える事で一応決着がついたのですが…

沼田領の3分の2を北条領として認める、というのは秀吉としては自身に反抗的な北条に対し最大限の配慮をして天下人としての器量を見せつける意図があったのではないかと思うのですが、沼田城代になった猪俣邦憲が謀略を用いて真田の名胡桃城を奪取する事件を起こしてしまいます。
あの真田が、謀略で遅れをとるのか? と個人的には非常に疑問です。
ともあれ、この事件は秀吉を激怒させますが、それでも即開戦とはならず事件を引き起こした者を処罰する迄北条家を赦免しない、と真田に伝えたと言います。逆に言えば、事件の首謀者を処断もしくは引き渡せば北条を許す、という事なので秀吉は北条に最後の逃げ道を用意したのですが、北条氏政はこれを拒否。
事此処に至り、秀吉は北条の惣無事令違反を理由として北条討伐を各地の大名に命令、此処に小田原征伐が始まります。





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