Nicotto Town


ぴのぴののなんでも日記


『どうする家康 唐入り』の考察して寝まーす!!


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 録画消化でフラフラ~。長距離運転の後なので、体がまだ
揺れてます。大河と月9で頭もパンク。

 では、「唐入り」の考察を残します。

  • ・もう今週、朝鮮攻めている―。名護屋城、大船団が1週
  • で完成して攻め入っていた。確か2回攻めるはず。秀頼が
  • 生まれて、またトチ狂うってことか。
  • ・それにしても、朝鮮戦闘シーンは一切無し。大消耗戦組
  • がかわいそう。現代時局の隣国へのNHKの忖度じゃん。
  • ・「関白」譲って「太閤」とは、関白以上の官職ってこと
  •  か?改めて気が付いたけど、これもググらねば・・。
  • ・浅野長政はまたノーケア・・・。お市の浅野??赤穂
  • 士の浅野??あー、これもまたググんなきゃあ。
  • ・阿茶局松本若菜が、月9の準主役の刑事かようーー!!
  • なぜか立て膝だけどかっこいいーっ。
  • 年末まで、「日曜」「月曜」の切り替え、なんまらきつい
  • っしょやあ。どっちもいいポジションなんだよな。
  • ・足利義昭の使い方はこうくるか。この時点での将軍職は
  • どうなってんだっけえ?家康まで空席だったか・・・。
  • ・前田利家の影、うすーーー・・・・。
  • ・北川景子ひとり劇場に松本若菜の乱入はいいなあー。

 またまた予告編で、秀頼の父問題にいきなり突っ込んで
きたねえ。
                      かな?
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2023/10/15 16:54
浅野長政は、北政所寧々の妹祢々(やや)の婿で秀吉とは相婿同士となります。
茶々の父浅井長政とは一字違いですが、まったく関係ありません。
「赤穂浪士」での浅野内匠頭は子孫にあたりますが、赤穂浅野家は本家である広島浅野家の分家相当です。

太閤は、関白を引退した人が自身の子に関白職を継がせた場合もしくは内覧(天皇に見せる書類を予め見られる)の宣旨を受けた場合の尊称です。
近衛前久は自身は関白を解任されすぐには子である信尹に継がせられなかったので太閤とは呼ばれていないと思います。彼の父近衛 稙家は前久に継がせているので太閤と呼ばれました。
太閤は秀吉限定ではありませんが、太閤記などによって太閤=秀吉というイメージが強くなりすぎていますね。

片膝立ては、この時代の正式な座り方です。
ですから、上位者がいる所では片膝立てが正式な作法。
「麒麟が~」の時も、帰蝶がこの座り方をしてましたよね。
阿茶局は家康の側室なので、家康の前に出る時はこの座り方だった訳です。

足利義昭の再登場は驚きでしたが、良い味を出していましたね。
この時の義昭は将軍位を返上していますので、この時点では将軍職は空位。というか、そのそも征夷大将軍は令外官で常設ではないですし。

次回は、秀頼の父親問題。
今迄の作品では匂わせる事はあってもストレートには描いてこなかった、割とデリケートな問題です。
父親候補は色々と取り沙汰されていますけど。
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2023/10/15 16:12
朝鮮水軍が特別優れていた訳ではない、という事ですね。
李舜臣は確かに名将と言われた人ではありますが。

日本軍の朝鮮上陸から三か月後、明の援軍が到着。
朝鮮が日本に服属した、という宗氏や小西行長の嘘に惑わされ朝鮮を疑った結果援軍が遅れたらしいです。
彼らの嘘が功を奏した事になるんでしょうか?
明軍は日本軍が占領していた平壌(現ピョンヤン)を急襲したものの小西行長によって撃退されます。
それでも日本軍は、遂に明軍が出てきたことで進撃を一旦停止し防御を固めることにします。
その日本軍に対し、明軍は講和を提案し日本軍もそれを了承。

休戦状態で迎えた翌年、明の李如松将軍が4万3千を率いて平壌に到着。
明が正式に講和を認め(明軍からの提案では?)明朝廷から使者が来る、と小西行長に通達するのですが、実はこれは李如松の罠。
李如松の言を信用した行長は20人の使者を送り出しますが、罠なので使者は皆捕らえられます。その後は殺されたかも?
一人だけ脱出に成功して行長に報告し、両軍は戦闘開始。但し、明朝連合軍が5万1千に対し行長軍は1万5千だった為行長は敗走。李如松の激しい追撃を受けながら辛くも逃げ延び、日本軍は漢城に集まって対応を協議し迎撃を決定。
この迎撃戦は日本軍の圧勝で、明軍戦死者6千に対し日本軍は120だったとか。
この戦いで李如松は危うく戦死しかけ戦意を喪失し講和交渉に入る事になります。
これが、ドラマでは石田三成が明の使者を連れて帰ったシーンに繋がるのでしょうかね?
とりあえず、文禄の役は一応これで終了し、忖度だらけの講和交渉に突入する訳ですがそんなものがうまく行く筈もなく、次の慶長の役に繋がります。

こういうわけで、戦いそのものは一部を除いて日本軍がほぼ終始優勢でした。
日本軍を苦しめたのは、日本とは異なる気候風土でしょうね。
良質の水が手に入りやすい日本と違って、朝鮮の水はあまり良いとは言えなかったらしいですし。
寒さや非衛生的環境(現代人からすれば当時の日本の衛生環境は非常に悪い筈なんですが、当時の人をして朝鮮の環境は酷かったらしいです)、質の良くない水等が原因で体調不良を起こす者が多かった模様。
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2023/10/15 15:34
文禄・慶長の役で動員されたのは20万~30万、実際に朝鮮に渡ったのは16万~20万と言われています。

4月12日に日本軍は釜山に上陸。
翌朝から釜山の城を攻め、昼頃にはこれを陥落させたといいます。釜山を陥としたのは宗義智。小西行長は別の城または砦を攻め、こちらは一日かけて陥落させてます。
日本軍を阻むべき朝鮮水軍は、自分たちの城があっという間に陥とされた事で逃亡したり撤退したり、で後続の日本軍の上陸を全く阻止できません。
この際、朝鮮の名将李舜臣も出撃を要請されていますが要請を拒否。管轄違いとか何とか。朝鮮軍にも複雑な内部事情がおありだった様子。

釜山を補給拠点として確保した後、日本軍は快進撃を続けます。
ドラマで加藤清正から連戦連勝の報告が入った、とありましたが嘘ではありません。
実際陸上の戦闘は、その殆どで日本軍が勝利した筈。
朝鮮軍の鉄砲より日本軍の鉄砲の方が射程が長く命中精度も上で遠距離戦で朝鮮軍を圧倒。
近接戦でも、斬るに特化した日本刀が猛威を奮い、遠距離戦以上に勝負にならなかったとか。
どれだけ化け物だったんでしょうか、日本の戦国武士達。
流石は戦国以前から戦い続けて来た戦闘民族です(現代は平和ボケしてますけど)。

4月末には朝鮮王は首都漢城(現ソウル)から脱出して都落ち。
日本軍が漢城に入った時、宮城は完全に焼け落ちていたと言います。
王に見捨てられる漢城の民衆が火をつけたのかも?

王が脱出した翌月、遂に李舜臣が動き出します。
藤堂高虎が守る輸送船団を奇襲してこれを撃破。
李舜臣に対するべく、脇坂安治(賤ヶ岳の七本槍の一人)、九鬼嘉隆(九鬼水軍の頭領)、加藤嘉明(賤ヶ岳の七本槍の一人)が水軍を編成しますが、朝鮮近海の地理や潮流について無知だった為、潮流が激し海域に誘い込まれ敗北を喫します。この際、船を73隻失ってますのでかなりの大敗です。
しかしその後は日本軍が対策をとった為、李舜臣も戦果をあげられなくなります。
日本軍の対策とは、非武装だった輸送船にも大鉄砲を装備し、陸上の要所に大筒・大鉄砲を設置して水陸併進する様にした事です。

李舜臣は釜山が日本軍の補給の要だとして総力戦を仕掛けますが撃退され撤退。釜山は戦争終結まで日本軍の補給拠点として機能し続ける事になります。

日本軍の海戦での敗北は、油断と潮流等の知識不足が原因であって、
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2023/10/15 14:33
宗氏が秀吉に真実を告白すればまた事情は変わったと思われますが、宗氏は自身の体面を維持するために嘘に嘘を重ねて、秀吉の国書を偽造してまで朝鮮王に通信使を派遣して貰い、その通信使を朝鮮の関白だと偽り、朝鮮王からの国書は内容を書き換えて秀吉に渡します。もう、滅茶苦茶です。

宗氏の嘘に騙された秀吉は上機嫌で、朝鮮の領土を安堵する、という内容の国書を通信使に渡します。
朝鮮側からすれば非常に無礼な内容なので、当然機嫌を悪くするのですが、宗氏としてはこれで丸く収まった、と考えた模様。というか、収まったと考えたかったのだろう、と推測します。どう考えても朝鮮に対して不信感を植え付けただけで、丸く収まっている筈が無いんですけどね。


ただし、宗氏の願いも虚しく1591年に秀吉は唐入りを諸侯に伝え、肥前名護屋城を建設。
前回の紀行で触れられていた様に半年程で城は完成し、召集された諸侯の陣屋が建てられ、城の周りには城下町が築かれ、最盛期は人口十万を超えていました。
歴史探偵によれば、肥前滞在中の家康は色々な大名、特に畿内や西国の武士たちから軽視されがちな東国の大名達と交流を深め信頼関係を築いていったらしいです。
秀吉は大坂城から移築した黄金の茶室で諸侯を歓待したらしいですが、家康も自身の陣屋に簡素な茶室を作って東国の大名達を招いて気取らない茶会を開いたとか。

さて、秀吉は朝鮮が服属したので、唐入りの際には朝鮮の協力があると思い込んでいますが、事実は全く異なるので困ったのが嘘八百を並べて表面だけ取り繕った宗氏、および小西行長です。
小西行長は宗氏の当時の当主宗義智(よしとし)に娘を嫁がせた舅にあたる為、義智と共に対朝鮮工作にあたっていました。もしかしたら、宗氏の小賢しい嘘の数々は行長の入れ知恵の可能性もありかも? 証拠はありませんが、イメージ的に何となく。

秀吉の唐入りを断念させる事は不可能なので、両者は朝鮮の意思を確認する為、と出兵に猶予を貰い、その間に交渉するフリをして実際は何もせず、最終的には朝鮮が心変わりをして裏切った、と秀吉に報告。
交渉失敗の責任をとって自分が出兵の先陣になる、と行長は秀吉に進言して認められます。

これが文禄・慶長の役の酷すぎる・しょうもなさすぎる裏事情です。
空いた口が塞がらないようなしょうもなさ…と思いませんか?

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2023/10/15 13:08
それが無くなると困る、ということでしょうかね?
鎌倉時代、元寇の時に奮戦した御家人たちに与える恩賞が無く、御家人たちの不満をかってしまった事が後々の北条氏滅亡の遠因とも言えましたし。
ただ、信長時代から領地以外の高価な茶器や官位などで功績に報いる様になってきていましたし、そもそも諸侯が海外領土を欲していたかどうかは疑問。
朝鮮出兵時の毛利輝元は、こんな土地(朝鮮の何処か?)を貰っても困る、と不満を漏らしていたそうですし。

諸侯を消耗させ~説も、秀吉子飼いの諸将が出兵している反面、潜在的ライバルである徳川は結局半島には出兵してませんから、今一つ説得力がありません。

キリシタン諸侯排斥説は、宣教師達によって主張された説ですが、これは伴天連追放令で日本から追放された事が不満な宣教師たちの言なので信頼出来かねます。
フランシスコ・カブラルなど下種の極みの様な輩で、秀吉に論破された際にスペイン艦隊で潰してやる、などと言ったらしいですし。
そもそもキリシタン諸侯は排斥されていない筈。…多分。

侵略対策説もねぇ…
侵略対策に逆侵攻ですか?
秀吉時代の侵略国家と言えばスペインで、丁度フェリペ2世の時代。
スペイン全盛期の国王ですが、無敵艦隊はイギリス海軍に敗北しましたし、財政は4回も破綻しましたし、ペストも大流行しましたし、とても日本を侵攻する余裕など無かったのではないですかね。
フェリペ2世の死は秀吉と同年ですが、彼の死と共にスペインの世紀は終わったとされます。

この様に、諸説あるものの決定的なものは無いんですよね。

さて、九州平定後の1587年に秀吉は対馬領主の宗氏に対し、朝鮮王を入朝させよ、と命じます。唐入りの為の前準備。
朝鮮は明の冊封国(属国)だった訳ですが、秀吉は李氏朝鮮は宗氏に従属している、という事実誤認をしていたんですね。
対馬は平地が少ない島ですので米の収穫はあまり期待できません。宗氏が朝鮮との貿易(多分朝貢貿易)によって富を得ていたのですが、秀吉に対してというか日の本に対しては朝鮮を従えている、と装っていた様です。
誤認していたのは秀吉だけでなく、ルイス・フロイスも自身の著書に「朝鮮は貢物として毎年米一万俵を対馬国主(宗氏)に納めていた」と書いています。
実際は宗氏に下賜された米だったんですけどね。
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2023/10/15 12:04
こんにちは^^

秀吉の挑戦出兵は2回、文禄・慶長の役ですね。
今回は文禄の役の方です。

この戦いは、16世紀当時としては、実は世界最大と言って良い戦争でした。
スペインやポルトガルが海外領土を増やしている時代なので意外に思えますが、ポルトガルから伝来し日本で洗練された鉄砲は、その数も爆発的に増やしていて多分ヨーロッパでの総数より日本での総数の方が多かったのではないかな? と思うくらいで、その鉄砲がつぎ込まれたのが文禄・慶長の役なんですよね。

さて、ドラマでは嫡男鶴松を喪った秀吉の暴走、その裏には茶々の唆しも大いにあり、という感じで描かれていましたが、唐入りの動機については諸説あって、これぞ真相という説は決まっていません。
唐入りの計画自体は、九州平定後には既に立てられていたと思われますので、弟・秀長の死や嫡男・鶴松の死は、背中を押したかもしれませんが直接の要因とは言い難いです。
他の説としては、功名心説、天下統一の延長説、配下への恩賞が必要説、諸大名を消耗させ中央集権を進める説、キリシタン諸侯排斥説、侵略対策説等がありますが、いずれも決め手に欠けるんですよね。

功名心説は、そもそも唐入りは信長が構想していたもので、信長がやれなかった事をやりとげたい、という功名心から、という事らしいです。
無くはない説とは思いますが、主動機としては弱い気がしますね。

天下統一の延長説は、割とあり得るかも、と思っています。
21世紀の現代日本人は、日本国の領土は基本的に日本列島(+島嶼)と考えていると思いますが、戦国の人間は多分違います。
三英傑を例にすれば、彼らの元々の国は尾張や三河という小さなものだった訳です。それを少しづつ他国を攻めて切り取って領土を増やして行き日の本を統一したのですが、彼等(といううより秀吉ですが)の認識では日の本の外にも広大な土地があり、戦って切り取れば日の本の領土が拡がる、というものが考えがあったのではないかと。
現代人とは根本的に考え方が違っていたと思いますので。
日の本の次は明を征服、その次は天竺(インド)、更には南蛮を征服し支配する、と少なくとも秀吉自身は信じていたかもしれませんね。
誇大妄想もいいところだとは思いますけど。

恩賞が必要説は、領地を与えそれを安堵(保障)する事で天下人である自身の権威が確立しているので、
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2023/10/10 17:13
「なんうま」
やっと終わりましたね
公文さんって飄々として無色透明な仕事人かと思ったら
色々家庭の事情があって一番問題を抱えてる人だったのね
今頃明かされてもね~
彼のお話を掘り下げたらもっと面白いドラマになった気もします
ところでぴのぴのさんはなんうまですか?




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