Nicotto Town


ぴのぴののなんでも日記


『どうする家康 太閤、くたばる』の考察しまーすっ


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 月9「ONE DAY」を見終わった直後。週末の紅葉ドラ
ブのため、秋ドラマ消化と備忘録メモとでパンパンの
月曜日。二度、見直したどうする家康は先に書いてから
寝ます。

 では、「太閤、くたばる」の考察を残します。

  • ・朝鮮出兵前半戦を「偽造講和文書」なんて作っちまって
  • 、小西行長はなんで処罰じゃないんだあ。外交条約を書き
  • ?? これ極刑でしょ。

  • ・家康対秀吉のセリフの中でサラリと出たけど、関白秀次
  • 惨殺事件は有名じゃなかったのか?秀吉ご乱心事件のひと
  • つで験にもでたような?

  • ・酒井忠次がここで逝ってしまったあーー。壁に「えび」
  • の掛かってたよね。あの奥さんも泣かせるー。

  • ・それにしても石川数正は再開のシーンも無く、もうこの
  • 時点ではこの世にいない。あの感動の別れをしたんだから、
  • 会わせてあげたっていいじゃん。うーーん、後日墓前に報
  • 告なのかあ。淡々とナレーションは続いてるし。

  • ・あとは鳥居元忠の最後が残ってるんだよなあー。

  • ・北川景子劇場にまたやられる。最近の民放であるある
  • の「予告編」での視聴者だましをついにNHKまで始めた。
  • ジェンダーは入れるけど、不倫は結局ダメなのか・・・。

  • ・ムロツヨシ劇場はこれでついに終了。ここまで視聴者に
  • 憎まれるのはやはりウマい役者の証拠。歴代大河秀吉の
  • なかでは一番むごい最期では・・。東海地方は怒ってるの
  • だろうなあ。

 ううむ。記憶では石田三成が追われて、家康邸に駆け込
んで匿われる事件ってなかったっけ。予告編で家康解任!
って叫んでいたけど・・・。
 朝鮮帰国後の関ヶ原西軍主要組の様子が知りたいなあ。

                      かな?
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2023/10/22 17:13
ありました。

五大老と五奉行のシステムも、秀吉が秀頼の為に作り上げたシステムだと思っていましたが、ドラマでは秀吉上人の下で三成が作ったものになっていました。
秀吉の死後、早々に機能不全に陥るシステムだけに、今作の理想主義的な三成が些か気の毒になって来ます。

ところで、秀吉の死の原因にも幾つかの説がありますが、こちらも決定的な説はありません。
言われている説は、梅毒・大腸がん・痢病・腎虚・結核などです。
亡くなる前にしきりに咳をしていたというので、結核が有力とは言われてますね。
ドラマでも咳と吐血をしてましたので、結核説を採用したのかもしれません。

秀吉の有名な醍醐の花見(これもドラマではスルーされてましたが)の後から体調が急速に悪化し、5か月後くらいに亡くなっています。
結核にしては少々急激すぎる容態変化な気もします。

秀吉と対照的だったのが、酒井忠次の静謐な死です。
多分幻聴で戦の陣触れを聞いて、鎧を着て駆けつけようとした様に泣かされました。老いて指先も覚束なくなってしまった忠次を手伝う奥方も素敵でした。
最後の最後まで徳川(松平)の為というより大切な殿(家康)の為に在った宿老忠次、お見事でした。
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2023/10/22 16:41
真田信繁も、淀殿の密通相手として名が挙がります。
当時信繁は人質として大坂城に送られていました。
淀殿が秀頼を懐妊した時期は、人質として大阪城にいた筈です・

とはいえ、信繁も秀吉の怖さは十分に自覚していると思われますので。大野治長の場合と同じく淀殿と関係を持つとは考え難いです。

名古屋山三郎という人物も、淀殿と関係を持った相手として名が挙がります。
母親が織田信長の縁者(姪という話も有り)で、美少年の誉れ高かったと言います。
蒲生氏郷が初見で美少女と勘違いし、嫁とりの為に身元を調べた、という逸話があるくらいです。
遊芸に秀で女性のみならず男性にももてまくったとか。
その分スキャンダラスな噂も絶えなかったそうなので、淀殿との話もその一環でしょう。

最後は、名前も伝わらない謎の陰陽師です。
現代ではとても考えられないのですが、当時の日本ではどうしても子が産まれない場合の救済策として、子が授かるように神仏に願掛けし、一種のトランス状態となる儀式の特殊な場で、神仏と一体となった男女が自由な交渉を行う、というものがあったそうです。
儀式の結果授かった子供は神仏の申し子として、特に嫌悪感などなく育てられたと言います。DNAは? Y遺伝子は? と現代人ならパニックですが、当時の日本人の価値観としては有りだったんでしょうね。

淀が産んだ子のうち2歳で夭折した鶴松は、上記と同様の儀式を秀吉の監修の元に行った結果授かった、と言います。
トランス状態を作り出したのが、大阪城に仕えていた陰陽師であった、という説なんですね。

秀頼も、このトランス状態における儀式の結果授かったのではないか、と考えられる訳です。
ただし、秀頼を授かった二度目の儀式は、淀殿が独断で行ったことであり、秀吉は関与していなかった、といわれています。

あまりにも作り話っぽく信憑性に欠ける話なのですが、先に挙げた男性諸氏が父親であるとするより現実味がありそうな説ではあります。

さて、今回遂に秀吉が亡くなりました。
ドラマでは、秀吉が家康に後事(秀頼の事、天下の事、朝鮮出兵の後始末他色々)を託した様に描かれていましたが、実際は家康他の有力大名達に秀頼を支える様に誓詞を出させ、ひたすら秀頼を頼む、と繰り返した亡くなった、と記録が残っています。
ただドラマとして、家康と秀吉の最期の対峙、そのやり取りは見応えが
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2023/10/22 15:42
秀頼の父については諸説ありますが、いずれも資料の裏付けはなく憶測の意気を出ないものです。
それを言い切る訳にはいきませんので、なんとなく匂わせる程度に留めたのでしょう。

そもそも、何故秀頼が秀吉の実子では無い、という説が流布するのか、幾つか理由があります。
・数いる側室の中淀殿(茶々)だけが二人も子が出来るのは不自然。
  秀吉の側室は十人以上いたにもかかわらず、懐妊したのは淀殿のみ。
  長浜時代に石松丸秀勝が側室南殿との間に出来ていると言われていますが、実在を疑問視されている子です。

・秀頼と秀吉の体格が違い過ぎ。
  秀吉の身長は140センチくらいだったらしいです。
  対して秀頼は、195センチ(体重161キロ)という関取か?と言いたいくらいの巨漢。
  母親の淀殿が長身なのでその遺伝と考えられるとしても、親子関係を疑うには十分すぎる体格差です。

・そもそも淀殿の懐妊時期、両者は一緒にいなかった。
  秀吉は肥前名護屋城にいましたし、淀殿は大坂城にいました。
  ドラマの様に肥前名護屋城に呼び寄せた事も無いらしいです。

・秀頼が産まれた時秀吉は高齢。
  秀頼が産まれた時、秀吉は57歳。当時は既に老齢の域に入っています。
  とはいえ、これは理由としては少々弱いです。
  出産する女性が若ければ、男性が高齢であっても不可能とまでは言えないでしょう。

これらの事(高齢は些か苦しすぎですが)から、秀頼の生物学的父親は秀吉以外の人間ではないか、と実は出産時から色々と噂が立ったらしいです。

もし秀吉が秀頼の実父でないなら、その実父は誰なのか、についても諸説あります。
まずは大野治長です。
治長は淀殿の乳母大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね)の息子で淀殿とは近しい関係です。
大坂の陣では淀殿と秀頼に最後まで付き従って亡くなっており、その為か密通相手として名が挙がり、秀頼の父候補大本命です。
ただし、秀吉の目を盗んで不義を働くことが果たして可能だったのか?と疑問に感じますし、秀吉の怖さを十分に知っていると思われるので、危険を覚悟で密通するとは思い難いです。

次の候補は、石田三成です。
彼は淀殿が懐妊した時期には朝鮮に出兵しているので、距離的な問題で不可能なのですが、江戸時代に流布した噂で密通相手として 名が挙がる様になったのではないか、と思われます。


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2023/10/22 14:35
こんにちは^^

前回は文禄の役でしたが、今回は慶長の役です。
石田三成や小西行長が連れ帰って来た明からの講和の使者はが偽物だった、という話は本当の事で、明側の交渉担当者が自分の部下を勅使と偽って日本に派遣したんですね。
多分三成や行長も承知の上だったのではないかな、と思います。

秀吉が提示した講和条件は、到底明も朝鮮も受け入れられるものではないものでしたので、石田・小西は内容を書き換えて(またも偽造です)明・朝鮮に送っています。
要するに、明側には秀吉が降伏した、秀吉には明が降伏した、と互いに誤認させた訳です。
まともに交渉して纏まる筈もないので、現場担当者がお互いに丸く納める為に四苦八苦した、というところでしょう。
ちなみに、ドラマで秀吉が謁見していた明の使節は、秀吉に日本国王の称号と金印(漢委奴国王印と同様のものかと。卑弥呼に贈られたものは未発見ですが)を贈ってます。
秀吉は自分の要求がまったく受け入れられていない事を知って激怒。使節を追い返し再出兵を決定。これが慶長の役です。
ちなみに、明側の講和交渉担当者は帰国後処刑されています。
出鱈目な交渉でしたので、その責任をとらされたのかも?
というか、これが当然でしょう。
日本側の交渉主導者は小西行長で、こちらは一旦は秀吉から死を命じられたものの前田利家や淀殿(茶々)らがとりなしたことで(ドラマでは家康が説得してましたが)助命されました。
処刑が当然の帰結ですので、助命させた利家や淀殿の外交に関する認識が甘すぎた、としか言えないですね。

文禄から慶長に変わっているのは、ドラマでは全く触れられていませんが慶長伊予地震と慶長伏見地震という大地震が続けて起きたためです。
天災が続くと改元するのが、あの時代の常ですので。

さて、前回の次回予告で思わせぶりだった「秀頼はあなたの子だとお思い?」というセリフは、今回「秀頼は私の子」と続きました。
はぐらかされた気がしないでもありませんが、これはこれで納得です。
これは、不倫が駄目という訳では無く(駄目ですけどね、不倫は。道義的に完全アウトです。ただし、第三者が四の五の口を挟む問題でも無いというのが私的見解)、秀頼の生物学的な父親が誰なのかは歴史学者の間でも見解が割れていて、これぞ真相、というものがありません。

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2023/10/17 20:57
最期の描写 凄かったですねぇ
北川景子があそこで泣くとは思わなかったわぁ。




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