峠の国盗り綱引き合戦
- カテゴリ:日記
- 2023/10/23 20:56:55
昨日は10月第4日曜日。
毎年、長野県と静岡県の境にある兵越(ひょうごし)峠で、
領土拡張を賭けた綱引き合戦が行われる日である。
昨日は大接戦の末に信州軍が勝利し、領土を1m拡張した。
昭和62(1987)年、長野県の旧南信濃村と静岡県の旧水窪町の
両町村の商工会青年部が始めた交流イベントである。
のち南信濃村は飯田市、水窪町は浜松市に吸収合併されたが、
このイベントは面白いからずっと続いている。
コロナ禍のため4年ぶりの開催で、通算では33回目となった。
(台風で中止になった年も1回ある)
今年まで含めた通算成績は信州軍18勝、遠州軍15勝で、
「国境」は3m静岡県側に入り込んでいる。
ところで「兵越峠」という名は、武田軍がここを通ったからだとか。
近くの国道152号青崩峠が有名な(?)通行不能区間で、
ずいぶん前から兵越峠が迂回路として使われている。
青崩峠は中央構造線沿いで地盤が脆く、工事が難しいのである。
この通行不能を解消しようと、新たに三遠南信道の工事が進行中で、
今年5月、ついに青崩峠トンネル(長さ約5㎞)が貫通した。
このトンネル工事の貫通の際に出た石の欠片(貫通石)が、
「難関突破、初志貫徹」のお守りとして人気を集めている。
「穿つトンネル二十六」までご存知とは1
祖父母さま、おそるべし…
(私は2番以降はうろ覚えです)
このトンネルは信越本線の碓氷峠越えの話で、
ヤマトタケルも難儀した山道を
汽車で寝ていても越えられるようになったという歌詞ですね。
長野県南部の生糸は江戸時代は京都の西陣へ、
明治以降はアメリカ向けに横浜港へと運ばれました。
トンネルの恩恵を受けられるようになったのはずっと遅くて、
中央道の恵那山トンネルで西に行けるようになったのが昭和50年。
今は東へまっすぐ南アルプスをぶち抜くリニアの工事が進行中ですが、
これは30年前には考えもしなかった話です。
私の兄弟やいとこは、長野県民の唱歌である、
信濃の国を教わり歌って育ちました。
歌詞の内容や意味もわからずに、歌ってましたが、
その歌の中に、トンネルと汽車が出てきます。
山だらけの長野
叔母の玄関の土間にあった、お蚕さまの棚
どこの家も養蚕をしていたんだと思います。
生糸を海外に出荷のためのトンネルだったのかな?
長野にとって、今も昔もトンネルが重要な事業ですね。