王将と玉将
- カテゴリ:日記
- 2023/11/15 23:39:50
昨日の日記に書いたように、将棋の駒には王将と玉将があります。
立場が上の人が王将、下の人が玉将をもつのが作法です。
しかし記録用の棋譜では、どちらも「玉」と書きます。
NHK杯などの棋譜読み上げでは、すべて「ぎょく」と発音しています。
タイトル戦の封じ手の盤面図も、両方とも「玉」と書かれています。
新聞や本に載せる盤面図も、両方とも「玉」です。
(盤面図では「王」だと上向きと下向きの区別がつかないという事情も)
歴史的には、元々は両方とも玉将だったと考えられています。
興福寺の発掘調査で、平安時代末期と推定される境内跡から
将棋の駒が15枚見つかり、そのうちの3枚が玉将でしたが、
王将は1枚もありませんでした。
また「二中歴」という鎌倉時代の百科事典に「将棋」の項目があり、
その中で「玉将八方得自在」など数か所に玉将と書かれていますが、
王将という記述は1つもありません。
これらのことから、平安時代には玉将だけだったと考えられています。
ところが、安土桃山時代に中国で書かれた「日本風土記」には、
日本の将棋の説明に「一営王将、一営玉将」という記述が出てきます。
この時代には王将と玉将があったと考えられます。
では、いつ王将が誕生したのかというと、それはまったく不明です。
秀吉が片方を王将にしたという説があるようですが、根拠はありません。
…ということで、歴史的に、日本の将棋では王様の駒は玉将です。
しかし、一般には「王」や「王様」とも呼びます。
それに玉将なのに「王手」と言うし、タイトルは玉将ではなく王将です。
玉将だけれど、その駒は王様なのです。
その辺の不統一は、日本らしい寛容性の表れかと思ったりします。
そういえば、王様のイスのことを玉座って言いますね。
ちょっと調べたら、玉座という言葉の起源は秦の始皇帝だそうです。
古代中国には1国の王というのは何人もいて、
秦の始皇帝はそれらの王の上に君臨する統一的な権力者として皇帝を名乗り、
(「皇」の文字は「王」の上に玉の輝きをのせたものだとか)
その秦の始皇帝のイスが玉座と呼ばれたと。
すると「玉」はすなわち「王の中の王」を象徴するものということになりますね。
王将と玉将ができた経緯については、「王」に点を付けてしまったのではなく、
逆に、誰かが「玉」に点を付けるのを忘れたというズッコケ説もあります。
将棋の駒の「玉、金、銀、桂、香」はいずれも昔の宝物です(桂は肉桂、香は香木)。
その中でも玉は最上位の宝物だったわけですが、
秦の始皇帝の話を知ると、玉将の方が王将より上位なのでは…と思ってしまいます。
でも昔から「玉」は「王」の意味も帯びていたと考えて、間違いなさそうですね。
そうそう、平安時代以降、日本では今の9×9マスの将棋だけでなく、
15×15マスとか、盤の広さの違う何通りかの将棋が実際に遊ばれていて、
それらは駒の数と種類も多く、銅将、鉄将、石将という駒があったりしたんですよ。
(日本人は昔からそういうアレンジが好きなんですね)
駒の動きを覚えるのも大変だし、遊ぶのにすごく時間がかかりそうですが、
今でもそういう将棋で遊んでいる物好きな人たちがいるらしいです。
将棋の謎の最たるものは、やっぱり、
取った駒を自分の駒として使えるようにした経緯ですね。
チェスなどは敵味方で駒の色が違うから絶対にできないわけで、
日本の将棋の駒が今のような形になり、敵も味方も同じ駒になって、
その後で、取った駒を使える遊び方が出てきたのだろうと思いますが、
それによって複雑さ、面白さが格段に増し、ゲームとしてほとんど別物になりました。
私はてっきり、王って書いた駒にうっかり墨を落として「てん」が付いてしまったのかと、
子供の頃ずっと思ってました(笑)
そそ、玉座って言いますよね。
玉は、優れたもの的な意味でつかわれたのでしょうかね。
そういえば、昔から不思議に思ってたのが、金と銀。
他の駒は「桂馬」やら「歩」やらと、戦陣から想像できる名前なのに、金と銀ってなに?(^^;
…なんか一つ分かるとまた次の疑問が出てきてしまいますね。
将棋って、奥が深いなぁ。。。って感心する所が違うか(^^;
関係あるのかな?