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ぴのぴののなんでも日記


『どうする家康 乱世の亡霊』あと1回しかないー!


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  ついに残り1回まで来てしまった・・・。去年の『鎌倉殿』の時はどんな気分だっけなあ。いよいよ年越しの雰囲気です。年賀状はまだ手付かずだけど。

 では「乱世の亡霊」の考察します。

  • ・最初の願掛けの意味を振り返ると流し見していたな。これ、すぐわかったひとはすごい。

  • ・見終わった後でも、大蔵卿=大竹しのぶを担ぎ出す重要性が分からずじまい・・・。治長の母の同席??

  • ・それにしても今回の交渉キーはすべて女性。あの男社会時代の最重要局面であえて。

  • ・初対阿茶の即答も凄いし、女性陣の交錯するセリフの「外」に込められる二重三重の想いを推し量るのにクタクタでした。

・さて、正史上も三姉妹があの局面に揃う設定はあったのだろうか。それにしても日本史に残る三姉妹。

・問題の「茶々の願掛け」。
 本能寺の変の直後の家康の安否を願ってた??その頃って三姉妹どこに居たんだったっけ??お市ならわかるけど、なぜ、血縁でもないのに??なんか無理ないかあ?

  • ・今回の秀頼初のシーンで「顔色のメイク、暗いーー。」と思った印象は正しかったのだ。そしてラストでのまさかの秀頼のみの主戦首謀者説のどんでんがえーーし。秀頼暗君とかおこちゃま説や茶々強行説を払拭しての秀頼が最後の亡霊だったってこと。うーーーん。やられた。

  •  まさかの大阪落城が最終回持ち越し・・・。ますます散り方に注目です。15分拡大でも春日局まで盛り込むんだあ。この頃、もう家光はいるんだろう。よくぞ、その後、外様の大勢力に転覆させられなかったものだと改めて思う。
  •                      かな?
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2023/12/17 16:57
してるんですけどね。
大河ドラマの主役になってもおかしくない逸材です。

さて、茶々の願掛けですが、これは今ドラマオリジナルですね。
そもそも茶々の母親お市と家康に面識があったとは思えませんので、茶々がお市から家康について色々聞かされている筈が無く、母の兄織田信長の同盟者(もしくは配下大名)として名前を聞いたことがある程度だったのではないか、と思われます。
まぁ、ドラマとしては願掛けシーンは面白かったですけどね。
ドラマで描かれてはいませんが、母から幼少期の思い出として川で溺れて命が危うかったところを自分の身を顧みずに救ってくれた、と折に触れて聞かされてきたと思われます。
長年聞かされてきた母の思い出話を、茶々自身の中でさらに膨らませて理想化する、という乙女心も分からなくありません。
乙女心は理屈ではないですから、理性で推し量れないところがありますので。

浅井三姉妹の対面も、史実では実現していなかったと思います。
淀殿は大坂城から出ませんでしたし、二代将軍秀忠の御台所になっているお江が江戸城から出られたとも思えません。
常髙院(お初)だけが両者と面談可能でした。
ですが、ドラマであれば成人後の三姉妹が会っても良いと思いますので、多少無理矢理ながらお江を大坂城に行かせたのでしょう。
運命の三姉妹ですから。
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2023/12/17 16:23
ところで、豊臣に寄生したい牢人達はともかく肝心の豊臣はどうだったかと言うと、実は和睦派と徹底抗戦派の二つに分かれて対立していました。
和睦派は淀殿と大野治長、徹底抗戦派は治長の弟の治房と秀頼です。
冬の陣までは強硬だった淀殿も、大砲の砲弾を撃ち込まれてよほど恐ろしかったのか、条件を問わずに和睦をする、と言い出していたらしいです。治長はその淀殿に同調。
それに対して治長の弟治房はかなり強硬な抗戦派で、和睦成立後に治長は大坂城内で襲われて負傷しますが、これは治房が襲撃させたものだとも言われています。兄とは言え気に入らなければ襲う、戦国の人って怖い><
ドラマの治長は対徳川強硬派として描かれてますが、これは史実の治長ではなくむしろ弟の治房がモデルと言って良いですね。

さて、和睦は成立したものの牢人達は一向に大坂城を退去しません(するわけない)。豊臣側も十万もの牢人を追い出すだけの兵も実力もありません。
下手に追い出そうとすれば、逆上した牢人達が何をしでかすか分かりませんので。
加えて、当主の秀頼が治房ほどではなかったろうと思いますが割と抗戦派だった事も影響したと思われます。
どうも秀頼は、今でいう中二病というかヒロイズムに毒されていた様で、叶わなくても徳川に屈するのは嫌だった様なんですね。

結局和睦は、牢人達が京・大坂で働く乱暴狼藉でほぼ破綻。
牢人達の狼藉行為は治安を維持しなければならない徳川にとっては断じて許容出来ない事だったので、豊臣に対して秀頼の国替えと牢人達の召し放ち(解散・追放)を命じ、さもなくば討伐する、と最後通告を出しますが、豊臣はそれを拒否。
更に大野治房が指揮する軍が大和郡山城を陥とします。まぁ、そのころの郡山城はほぼ空城だったらしいですが。
郡山城を陥とした後は奈良に進んで街に火を点ける計画だったらしいのですが、そこにやってきた徳川軍を見て慌てて逃げ出した、という話があります。
やってきた徳川軍を率いていたのは水野勝成、家康の22歳年下の従兄弟で「倫魁不羈(飼い慣らす事が出来ないほど強い)」「鬼日向」と呼ばれた滅茶強い武将です。戦国最強の本多忠勝亡き後はこの人こそが最強かも、と個人的に思ってます(押しです)。
ドラマでは名前すら出ませんでしたけどね(T_T)
夏の陣で真田勢に本陣を二度も突き崩されて危なかった家康を、結果的に救うことになる働きも
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2023/12/17 14:58
二ノ丸・三之丸の破却も豊臣側が受諾した記録は残っており、またこの件で揉めたという記録はありません。
徳川方が外堀の埋立を終えても、豊臣側がのろのろと内堀の埋立を進めていなかったので(家康の寿命が尽きるのを待っていたとか何とか)、お手伝いしましょう、とさっさと埋めてしまったのは事実。此処でもドラマの様な揉め事が起きたという記録はありません。

うまく行かなかったのは、牢人達の大坂城からの退去です。
牢人達の出自は、殆どが関ケ原の合戦で西軍に属して改易された大名やその家臣たちで、その後容易に徳川や東軍に属した大名家への再雇用が叶わなかった者達です。
優秀な人材は再雇用された筈ですし、立花宗茂のように旧領を回復して大名に返り咲いた者もいるのですが、やはりそれらは少数派。大多数は牢人として食い詰めるしかありませんでした。
また、牢人達には切支丹が多かったと言います。
秀吉は伴天連追放はしたものの個々の信仰は放置だったのですが、徳川はこの頃切支丹排斥に方針転換していて、家中の切支丹は改宗させてますから(改宗出来ない者は国外退去要するに追放)、切支丹の牢人は特に再雇用は厳しかった筈。切支丹牢人の代表格が明石全登かもしれません。

ともあれ、大坂城に集まった牢人達は大坂城を追い出されては食い詰めるしかないので城を出ようとせず徳川への徹底抗戦を主張。
言葉は悪いですが、豊臣に寄生していなければ生きていけない連中です。豊臣は徳川との戦の為とは言え、とんでもない連中を知らずに招き入れたんですね。庇を貸して母屋を取られるとは、まさにこの事。
その中で、真田信繁だけは例外。
冬の陣で信繁が指揮する真田丸に苦戦させられた徳川は、信繁に対して信繁の叔父信尹を使者として、最初は十万石次いで信濃一国(40万石くらい)を条件に調略を掛けていますが、信繁はそれらを拒否してあくまで豊臣方として在ることを選択しています。
その心底を覗う事は凡人の私には到底出来ませんが、ドラマの様に乱世でしか生きられないタイプの人間だった可能性も無きにしも非ず、ですね。
兄信之の弟評は、柔和で温和、辛抱強く怒ったところを見たことが無い、というものなので乱世でしか生きられない化け物とはかけ離れているのですが、実の兄でさえ見通せないものを秘めていたという事なんでしょう。
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2023/12/17 13:52
こんにちは^^
最終回まであと1回になった「乱世の亡霊」、色々と深いエピソードでした。

冬の陣の後の和睦交渉は、ドラマの様に常高院(お初)が大坂方の全権委任大使になって徳川方の阿茶局と交渉を行ったわけではなく、大坂方は織田有楽斎と大野治長、徳川方が本多正純と後藤庄三郎、がそれぞれの交渉役でした。
常高院も豊臣方の使者として仲介役を務めましたが、おそらく交渉の主体ではなかったのではないか、と思われます。
阿茶局も同様で、交渉団の一人ではあっても主体ではなかった筈。
ドラマで大竹しのぶさんが演じられた大蔵卿局も交渉団に加わってますが、特段大きな役割を果たした訳では無さそう。

肝心の交渉内容ですが、大坂方はの要求は冬の陣に参加した大坂が短尾牢人達の赦免、秀頼の国替えも検討するが行先は大和郡山、というもので、ドラマの様に強硬なものではありませんでした。
ただ交渉自体は大坂方が割とのらりくらりと返事を引き延ばしてくるので中々進まない、と徳川方の交渉担当後藤庄三郎が家康に報告しています。
曰く、大坂城で全権を握っているのは秀頼ではなく淀殿で、女がトップになっているから意思決定が遅い云々と、現代なら女性蔑視で突き上げを食らう様な事を言ってますね。
ここで大坂方は、淀殿が人質として江戸に赴く事も容認する、と言い出してますが、牢人達に扶持を与える為の加増も付け加えてるんですよね。
冬の陣で大坂方に味方した=謀反に加担した事になるんですが、それを咎めず無罪放免にするだけでなく報酬を与えろ、と迄言い出した訳です。

徳川としてはこれは全く容認出来ない事です。謀反に加担した事を罪に問わないだけでも、徳川としてはかなり譲歩しているのですが、加えて報酬まで出せと言われて是とする筈がありません。
無理やり現代で喩えるなら、国家転覆クーデターに加担したテロリストに報酬を渡せ、と言われている様なものです。

交渉を重ねた結果、豊臣の所領安堵、秀頼の参勤無用、淀殿の江戸伺候不要、外堀埋立・二ノ丸及び三之丸破却(本丸以外は更地)、牢人達の赦免と城からの退去、という内容で和睦は成立します。
秀頼の国替えや淀殿を人質化を捨てて、大坂城の無力化を優先した様に個人的には見えます。

かつての通説では、外堀だけ埋める約束を徳川が破って内堀迄勝手に埋めてしまった、とされてきましたが、外堀埋立に加えて




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