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北海道の事件と司法が今後目指すべき道について愚考

ガーデニングのランキングで入賞しました。

2023/12/05 ~ 2023/12/11
順位 大きさ
51位 ゼラニウム【赤】 11.51cm

小学生の娘の“BB弾”から夫婦殺傷、58歳の男が控訴…「おまえか!どこだ!この野郎!」などの“恫喝”主張も、1審判決「被告の証言は信用できない」で求刑どおり懲役25年(HBCニュース北海道) - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/9a32558275a45c734b20136f3e97ad74872733c2

・↑の記事は 裁判所でのやり取りが かなり丁寧に書いてあった

 逐語禄かどうかはわからないけれど。

・以前から この事件の記事を見ていて、
 明らかに被告には精神疾患・認知障害があると思われるのに
 従来のようにそれを強調する記事ではなく、行動そのものに焦点をあてた記述だなぁと思っていた。

 それは 被害者と事件のきっかけとなった子供の行動にも悪質さがちらついているからかもしれないけれど。

・一般論として言えば、孤立がちな生活をして 認知のゆがみを感じさせるほど、近隣住民に対して過剰な反応な示す人のほとんどは、近隣住民による無意識のいじめ(子供たちが玄関に向かってゴミやモノを投げつける行為が常習化している、近隣住民が その人の家の前で大声で立ち話をするのが常習化している 隣組活動での些細な(とやっている側は思っている、被害者にとっては深刻な)嫌がらせの累積がある.

これらは、予断の無い第3者の眼で丁寧に調べれば。
そういう近隣住民の行為が、「嫌がらせと認められていない=真の意味で差別されている」ことが 「過激な反応」を示す人を産み出す温床となっていることも珍しくない。

・だから、弁護士のふざけた主張は置いといて
 あくまでも 行動のみに焦点を置いて裁判が進むのならば
 それはそれでよいことだと思っていた。

 しかし検察の主張「落ち度がない被害者」は通らないと思う
 むしろ 加害者を脅したり貶めたりというやくざ紛いの発想の目立つ親子であり、ある意味 トラの尾を踏んだ当然の帰結としての事件であり、粗暴な娘とその友にとっても よい教訓になった事件だと思う
 (どうせ こんな娘は 己の行動を顧みず=他人の玄関に向けてBB弾を投げつける行動そのものが非社会的行動、子供だからこそ厳しくとがめられるべき行為。「小さい玉だから問題とするに能わず」と主張することが反社気質であり、それが矯正されることなくこのまま育てば、両親殺されたと恨みだけを抱える問題ある大人にしかならない気配ではある)

 さらに裁判官が「被告の証言は信用できない」と決めつけるのも歪んだ司法だなと思う。
 
 むしろ 物事を主観的(被害妄想的)にしかとらえられない被告の精神鑑定・過去の受診歴を調べ、こういう衝動的攻撃性を発する人間が、地域で孤立(おそらく受診歴がないか 受診しても加療には至ってなさそう)している実態の問題点を指摘するくらいの調査とそれらを踏まえた判決を下さないと、北海道の課題が明確にならず、似たような事件は今後もおき続けると思う。

 それに ただ 一方的に被告の発言を否定し25年の収監刑を下すだけでは、犯人は納得せず 控訴を繰り返して それに対応する税金が無駄になるだけ。本人が収監されても更生する余地がなさそうなので収監に使われる税金も無駄

 いっそ残忍な犯行として死刑にしてあげたほうがましだろうに。

 『人権』を配慮するなら、本人の精神疾患・認知障害をきちんと調べその日常生活にまで言及したうえで、本人の犯した行動を元に収監するならまだ改悛の余地もあろう、あるいは死刑判決を下したとしても 死刑囚担当職員たちのフォローにより本人も己の行動の結果を受け入れることも可能だろうに。

・最近では 一般的な治療薬の投与により、「攻撃性が増す」薬の副反応が やっと明示・公開される時代になって来た。

 その一般的薬剤の種類が多いこと
 適応される疾病が 非常にありふれた病気や症状であること

 それらの薬が「第一選択薬」として10年20年と投与され続けている、後続薬も同じ副反応を持ちながら投与で30年以上続いている事例も珍しくない

・ゆえに 人間の行動と精神状態・認知の変容・認知のゆがみ等について もっと科学的論理的に対応する社会制度(取り調べ~裁判などに関して)の構築が必要ではないかと思う今日このごろ。

・衝動的行動をとる人の中には
  状況がわかっていても とっさの反応がとめられない
  (自分の状態がわからない)人もいる
    特に治療薬の影響下にある人の場合

  相手の言葉に反応しても、ちゃんと相手の言葉を受け止めていない(正しく認知できない)状態・頭の中で違う意味に解釈して反応してしまい、その結果に傷ついたり戸惑う人もいる
  (この手の人は 往々にして 精神的に引きこもりになってしまい その結果 被害妄想的な認知のゆがみができてしまい
その状態に違和感を感じつつも どこがどうおかしいのか気づけず 自分なりの解釈をしてしまって さらにドツボにはまっていく。

 その歪みの端緒となる部分を見つけ出し修繕してやると
 すっかり 「普通の人」にもどることができる人も
 もはや「手遅れ」状態まで行ってしまっている人もいるが
 とにかく、端緒の部分を他人が修繕してやらないとどうしようもない人たち)

とまあ いろいろある

・最近は 生理反応を計測して その状態を明らかにする道筋がかなりできてきた。
 医者だの心理学者だのによる 思い込みによる仮説理論による解釈に合わせた研究の世界から 脱却して、
人間の行動と精神(感情・認知)を、生理的機序として科学的に計測して 理論化する態勢がようやく形になってきた、(この40年間の成果でもある)

 司法においても そろそろ その動向を取り入れてもらいたいものだ
 その方向で検討することにより
 医学・生理学的課題(何を優先的に調べるか?研究課題とするか)も定まってくると思うのだ。

 現状、医者たちがイメージする「望ましい状態」に人を変える=治療する ための研究課題の設定がメインだけど

 社会として「衝動的に攻撃行動をとる人を減らす」「衝動的に過剰な暴力をふるう人間を処罰するのか、陶冶による改悛・行動変容(自制)が可能なのか判断する指標が必要」という方向から研究課題を設定することで
今後の学問的方向性も変わってくると思うのだが
 その需要を出すのが 司法、特に裁判での判決文で示すことだと思うのだが。

現状は
 日本:医者や「心理」を歌う業界人が金儲けしやすい方向に
 学会も研究も進み その方向に特化した医療制度が税金により構築され運営されている

 欧米:製薬会社が儲ける方向に医学研究を進める

でしかないように思うのだけど。

・本気で「患者のために」を歌っていたはずの医者たちが
 独立開業すると だんだん 堕落していく現状を多く見るがゆえに。

 優秀なのに 患者に当たり散らす大学病院・高度先端医療を担う大病院の医師たちの姿は言うまでもなく

 その結果 己の研鑽により磨きをかけたはずの「的確な診断力」そのものが鈍っていくのも アルアル話なのが 哀しい現実である

 かつて「新進気鋭~優秀」だったはずの医者たちが
5年10年とたつうちに鈍るならともかく 害をまき散らしていく様を ずいぶん見てきてそう思う

 歳をとって しょうしょう おニブになりながらも
優秀な看護婦長や優秀な弟子たちに支えられ
その「特化した優れた診断力」を最後まで発揮していた
そういう病院の光景なんて 今は昔(つまり今では存在しない)光景になってしまったようだ




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