大河ドラマ『光る君へ』第2回目考察をすぐします。
- カテゴリ:テレビ
- 2024/01/17 22:10:15
♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡
chromeトラブルで、もうニコタ廃止を覚悟しました。
ニコタ事務局返答は、わからない、初期化しろと冷たい、塩対応でギリギリまで来てました。なんとか通常の不便は我慢して、Edgeでやってみることにしました。
では「光る君へ 第2回」の考察から再開します。
- ・テーマ曲はなじんで来ました。ナレーションが局アナも落ち着いてていいかも。
・さて藤原〇〇覚えは1週間で消えちゃうんだなあ。家系図もものすごそうだし。下の名前覚えてもすぐ、「お隠れ」になっちゃいそう。
- ・どうも先週、今週とすでに本家「源氏物語」のオマージュがはめ込んであるらしいが、ドンドン通り過ぎてくのが悔しい・・・。将来、伏線明かされても遅すぎるし、見直せないし。つまんない。
・『鎌倉殿の13人』のように、毒〇がもう出て来たあ。果し合いも合戦も無い頃、退場させるにはそれしかないということか。さらにこれから陰陽師の呪〇も出るのでしょう。
・天皇をここまでいじくって、宮内庁は全面協力なのだろうか??このあいだの『どうする家康』の関ヶ原合戦直後、現毛利一族の当主が抗議の動画がアップされてたよなあーー。
・東三条?えいげんくん?もうしょうくん?・・・・?
あんまり、都道府県をまたいでの名跡が出て来ないから、今回はご当地盛り上がりは少ないんだろうか。
ニコタで男子の平安衣装って見たこと無いなあ。これから販売はあるんだろうか・・・・。
かな?
♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡
ありがとうございます♪
干し柿は 甘いよねぇ♪
貴族と違ってその日暮らしの者が殆どなので、庶民で何人もの妻のところへ通える豪の者は少なかったのでは?
上級貴族は日記を書く者が多かったので記録が残っているのですが、庶民となるとそのあたりが無いので…
住居は、地方だと竪穴式住居に住んでいた者もいたそうですが、都の庶民は板葺き家屋だったようです。
食事は、米はまず食べられず麦・稗・粟などの雑炊、副菜は菜っ葉、魚が出れば大御馳走でしょう。調味料は塩のみ。
平安時代はまだ調味料が発展しておらず、貴族でも調味料は塩・酢・醪(もろみ)くらい。醤油の原型といえるひしおもあったかも?
味噌や醤油が出来るのは、もっと時代が下ってからですね。
砂糖は一応ありましたが、調味料というよりも薬。
甘味は蜂蜜か甘葛(あまかずら)の樹液。最大の甘味は干し柿だったと言います。
一般庶民はどんな生活やらしてたのか とってもきになります。
まぁ 貴族からしてみたら 人間と思われてなかったと思うけどねぇ。
視聴者に多いとか言われていますが、
自分は読んでいません。
「源氏物語」オマージュは全く分かりません。
2話はコメディタッチのところもあったり
テンポも良くて楽しめましたが、
次は毒が出て來るのですね。
それと平安時代は病死が凄く多かったようですが。
病死での退場とかもやはり出て來るのでしょうね。
あまり暗くならないことを祈ります。
天皇家では婿入りはありませんが、天皇の衣服などの身の回りは嫁いだ女性の実家が援助する事に変わりはなく、天皇に嫁いだ女性が懐妊して出産する場合も実家に宿下がりをして実家で出産し、生まれた子供もそのまま実家で育てます。
そうなると、生まれた子供にとっては父である天皇より祖父や伯父(叔父)の方が余程身近で親しい人になるんですね。
生まれた子供が男子で将来幼くして即位する事になった場合、幼帝にとって最も頼りになるのは育ててくれた祖父や、一緒に遊んでくれたかもしれない伯父(叔父)なるわけで、ここで摂関政治の下地が出来上がります。
藤原兼家が円融天皇に実際に毒を盛ったかどうかは分かりません。
しかし、彼が娘の詮子を円融天皇に入内させたのは、男子(懐仁親王)を生ませて将来その親王を天皇にし自身が摂政になる、という野心の為であることは、まず疑いありません。
とはいえ円融天皇の皇太子は師貞親王【後の花山天皇)で、こちらには娘を嫁がせておらず外戚になれません。
兼家が摂政になるためには円融天皇と花山天皇の二人が退位し懐仁親王が即位しなければなりませんが、普通に待っているだけでは懐仁親王が即位する前に兼家の寿命が来てしまいます。
兼家にはそろそろ寿命の焦りが出てきた頃でしょうから、後ろ暗い手段を取る可能性は否定出来ないですね。実際はどうだったかは別として。
東三条殿は、兼家の主邸宅です。人の名前ではありません。後に詮子が相続し、彼女は「東三条院」という院号を授けられ史上初の女院になりました。
孟嘗君(もうしょうくん)は中国戦国時代の政治家です。
為時が息子の惟規(のぶのり)に諳んじておけと命じたのは、史記の孟嘗君列伝です。「えいげんくん」は孟嘗君をおぼえていなかった惟規のあてずっぽうの出まかせでしょう。
孟嘗君は多くの食客を抱えた事で有名。
ニコタの男子の平安装束は一応あります。
ただあまり多くはないですね。直衣(のうし)もしくは袍(ほう)を見たことがありますけど。
でも今回の色ガチャにヘイアン島のピカル源氏がありますので狙ってみては?
まず文のやりとりから始まるのですが、それさえ最初の内は申し込み相手の女性は直接文を返すことは無くお付きの女房(女官)が代わりに返事を書きます。
現代人から見ればまだるっこしいですが、当時の上級貴族にとっては常識。
文のやり取りで。女性側も男性側の本気度を見極め、ここで良し、となれば漸く次の段階に進み直接会う事になりますが、最初は簾越しでしょう。
その段階も超えて初めて男性は女性の元へ夜に忍んでいくことになります。
一夜を過ごして帰宅した男性は後朝(きぬぎぬ)の文を女性に送ります。この文は出来るだけ早朝に、早ければ早い程良し。
昼過ぎなどになったら、お付き合いを続けたくない、と判断されてしまい結婚には至りません。
源氏物語の「末摘花」では、光源氏が夕方になってから後朝の文を送っていますが、これは超最低の行為です。光源氏が超絶美形かつ高貴な身分のイケメンだから許されるだけ。
後朝の文を受け取った女性は男性の本気度を見極めて文を返すのですが、それが三日間繰り返されて初めて結婚が成立。
その後女性の父親が現代の披露宴に相当する露顕(ところあらわし)という宴会を開催して、「〇〇(男性の名前)が我が娘〇〇の婿になった」と結婚を世間に披露します。これによって正式な結婚であることを世間に知らしめた訳ですね。
これが行われなかった場合は正式な結婚とは認められず、単なる浮気としか見られません。
ところで文のやりとりに欠かせない和歌ですが、平安貴族たる者和歌が詠めない者はいなかったそうですが、やはり上手い下手はあったそうで、下手な人はもてなかったとか。
その為、歌が上手い人に代作をお願いする事も少なくなかったらしいです。
「光る君へ」2話でまひろが代筆業をしていましたが、実際に紫式部が代筆業をしていたかどうかは別として、決してあり得ない事態では無かった、という事です。
結婚が成立すると、男性はそれまで住んでいた家を出て結婚相手の家に入り、その後は衣服等生活に必要なものは妻になった女性の父親に援助して貰うことになります。
この様に結婚した男性は妻の家に入り、当然生まれた子供も妻の家で育てられます。
こうなると、子供にとって身近な男性は父親を除けば母親の父である祖父や母親の兄弟である伯父(叔父)になります。
藤原〇〇に関しては、最低限覚えるべき人物だけ覚えて他は聞き流しでも良いと思いますけどね。
とりあえず、兼家ファミリーは最低限覚えましょう。
紫式部の父親と弟の名前も当然必要。将来の夫である宣孝も。
他は左大臣源雅信。この方、道長の正室源倫子(ともこ)の父親なので道長の将来の義父。
雅信の正室穆子(あつこ)は未登場ですが、この人が道長を見込んだからこそ道長は倫子と結婚できたので、やはり重要な人物。
また倫子は紫式部のまた従姉妹の関係ですが、その血縁をつないだのは穆子。主人公との血縁を考えても重要なので覚えておくのが吉。
その他だと、ロバートの秋山さんが演じた藤原実資(さねすけ)も覚えるべき。
現在は蔵人頭(くろうどのとう)ですが、将来は右大臣に出世し、道長が権勢を振るった時代にも筋を通した態度を貫き権貴に阿らぬ(おもねらぬ)人、という評価を受けた人物。賢人右府(右府は右大臣の唐名、信長も右大臣に任ぜられた時右府様と呼ばれてましたね。ちなみに左大臣は左府、家康も任ぜられた内大臣が内府、太政大臣が相国または太師。平清盛が平相国(へいしょうこく)と呼ばれたのは彼が太政大臣に任ぜらていたからです)
まぁ、名前はそのうち何時の間にか憶えていると思いますけど。
何度も聞く訳ですし。
さて、藤原氏といえば摂関政治なのですが、摂関政治が成り立つ前提として当時の結婚制度があります。
当時の特に上級貴族はすべからく「入り婿」です。
要するに皆さんマスオさん状態という訳です。例外は天皇だけではないかな?
まずは、どこそこの娘は美人らしい、という噂を聞いたり、誰某(だれそれ)の娘が年頃らしい、とかの話を聞いたりして、まずは妻問要するにお付き合いの申し込みをします。
勿論ダイレクトな申し込みは無粋なのでNG。おつきあいしたい、という意味合いの歌を詠んで相手に送るのですが、歌の良し悪しは勿論、歌を詠んだ紙の質、添えられた花や焚き込められた香など厳しくチェックされます。申し込みをした男性の身分や将来性なども審査の対象なのは当然の事。
道長の場合、ここで一旦撥ねられかけるのですが(申し込んだ相手源倫子の父雅信は倫子を一条天皇(2話時点ではまだ懐仁親王)に嫁がせたかった模様。そこで道長を押したのが母の穆子。その為道長は穆子に頭が上がらなかったとか)何とか審査を通過。