続きの昔語り、私の事、
- カテゴリ:日記
- 2024/01/18 12:13:20
子供を産まなかったのは、どう考えても私が人間を育てるのは無理っと思ったから
なんですね、私は、私の子供だったら嫌だもん。
親が離婚してるので子供が居たら、気軽に別れられない~ってのも有ったし、
父親が酒乱だったのね、ちっちゃい頃からお酒を飲んで叩かれる母親を見てたし
中学に入って、母に[お母さん、離婚したいんだけど、お姉ちゃんイヤ?」
お姉ちゃんが嫌なら、我慢してるけど」
と聞かれた時、子供の為に母がコレ以上我慢するのはなんか違うと思ったので
[お母さんの人生なんだから、子供の為に我慢する事無いと思う」って答えたのね
まるで漫画のように小さい時から、父親が暴れて母を叩き私がやめてっと母の前に
出ると、[親に意見するのかっ」と私も叩かれ吹っ飛ばされた私に
母が覆いかぶさって、かばって蹴られる、なんて事も良く有りました。
母が離婚を考えたのは、食べていけないと思っていた専業主婦だったけど
パート?で、布団の打ち直しをやって自分でも稼げるって考えたかららしいですが
結局別れて、3年後に再婚し、私を引き取ってくれました。
その時に、妹に「一緒に行こうっ」と言ったけれど「一人残るお父さんが可哀そう
だから残る」との意思が固く、私だけ母の元へ、しばらく行き来していましたが、
父親が再婚し、「新しいお母さんになつかないから」との理由で行き来を止められ
会えなくなりました。隠れて会っていたのがバレて、妹から泣きながら電話が有り
「お姉ちゃんと会ってるのがバレルと、家庭が上手く行かないから」
と・・、電話ももう出来ないって言われて、20年位、音信不通になってました。
親が離婚すると、子供が迷惑するっ。と心に刻まれました。
なので、お酒を飲まない人と結婚する、子供は産まない と言う選択をしました。
妹は、結婚しないと言う選択をしたようで、今もって独身です。
元は大大名で16代続いていると父親が系図を自慢していた家系も、
私で終わらせてやるっ。て気持ちも有りました。
再婚相手に男の子が二人いたので、その子達が継ぐのでしょうけど、
貴方の血筋は残さないわっ妹と母をいじめた報いよっ、
父親と言う人種が嫌いです。
なあんて、昔語りをココで吐きだしている私は今日も
しあわせしあわせ(*^^*)
(((uдu*)ゥンゥン、うとうとさんは、妹と同じ選択をしたのね。
確か年も同じだったような記憶が・・((?_?))生い立ちも似ていたのねぇ~なんて
あの時、母に「お姉ちゃんが嫌なら、我慢するけど」って言われたのね。
同じような立場に立たされイヤと言った友達が居て、
ず~~っと後悔してました。だから、あれで良かったんだと思うけれど
妹には申し訳ない気持ちが残っています。
母から「お父さんと離婚しようと思うんだけど」といわれたときは、
来る時が来たなと、ある程度の予測はあったので「いいよ」とすんなり答えました。
母は生活力があったので、離婚しても十分やって行けたと思うけど、思いとどまりました。
その時のお礼に、銀婚式には姉弟で指輪をプレゼントしました。
と同時に、私は一生結婚しないと決めました。
金婚式まで連れ添った二人の末路は、父には厳しいものになったけど自業自得と思う。
でも、17回忌と13回忌の法要を去年執り行ったとき、
親としてでなく一人の人間としてそれぞれを見て理解していたら、
子供なりにかすがいとして何かできたんじゃないかと・・手を合わせました。
家族の在り方っていつの時代も難しね。