Nicotto Town



石川県の底力

・能登の避難所運営に関する記事より一部抜粋↓

問題にぶつかるたびに会議を開いて共有し、全員で解決策を考えた。軌道に乗るまで10日ほどかかったが、現在では地域住民ら十数人がボランティアスタッフとして避難所の運営に携わる。

■1月末で閉鎖予定、教訓を他地域にも

小学生の孫2人とともに避難する男性(75)は「自宅は片づければ1部屋使えるが、娘夫婦が共働きで(片付けるための)時間がとれない。避難所にいた方が温かいし、誰かがいるので落ち着く」と話す。ただ、すでに避難者は男性を含む約10人に減少。それぞれ2次避難先を探しており、この避難所は1月末で閉鎖する予定だ。

「この地域ならではのつながりの強さ、防災士の資格者がきちんと研修を積んでいたことが奏功した」と大松さん。今後も国内では南海トラフ巨大地震などの大規模災害が起こると予想されており、「石崎町の事例を災害時に役に立ててもらえればありがたい」と話した。(小川恵理子)』

https://news.yahoo.co.jp/articles/7a9e980bc9344619e165aeecdd34a847c92d978a?page=2

1/30(火) 12:34配信 産経新聞より


上記の記事を読んだとき、以下の歴史を思い出した。

石川県能登半島、そこは 近代だけを取り上げても二つの歴史的力を持つ土地である。
 ① 寺を中心とした民衆の自治の歴史
 ②前田利家による 強力な幕藩体制による統治
   その一方で 前田家は 代々 徳川の威光をきにしつつも
   日本海貿易・陸路を使った換金作物の栽培と手工芸品の安定販売など 経済活動にもテコ入れしてきた。

 この藩外輸出(って言っていいのかな?)を前提とした経済活動は、たとえば会津塗で有名な福島県は、会津藩以下12の諸藩があり 藩主の配置換えなどもあり、藩主と郷土との結びつきや経済活動が「よそから来た支配者とそれらがつれてきたよそものがなんぞやってる」的感じで、地元民にとったら単に労働力を搾取されてる・雇われてる的感覚が如実に伝わってきて、かなりびっくりしたことがある。
以前 現地の方々にお話しを聞いて回ったときに。
(藩については 近世 - 福島県ホームページ (fukushima.lg.jp)
https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/ken-no-sugata/kinsei.html 参照)

金沢と言えば 郷土史家・児童文学者として有名な「かつおきんや」先生がおられた。
彼が教鞭をとっていた中学校の出身者によれば「普通の社会科の先生」で
「むしろ県外者から作家としてのかつお先生の話をふられると返事に困るんだ~」
って話も聞いた。

当時岐阜教育大付属校長だったらしい岸武雄先生らが中心となった児童文学研究会や、中部圏の図書館の司書さん達が熱心に取り組んでいた図書館学運動(小学生でも大学の閉架図書や国立国会図書館から専門書を取り寄せてもらって自由に本を読むことができた!)の研究会で
かつお先生にサインしてもらったことがある。
 カツオの絵を描いてくださった金弥先生(子供へのサービスw)
 後年かなり色がついてしまってからの彼の著作は苦手だが、初期の牧書店から刊行されていた作品群は、内田喜三男氏の挿絵ともども好きです。

かつおきんや|プロフィール|HMV&BOOKS online
https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%81%8B%E3%81%A4%E3%81%8A%E3%81%8D%E3%82%93%E3%82%84_200000000078673/biography/

岸武雄(きし たけお) | 岐阜県図書館 (gifu.lg.jp)
https://www.library.pref.gifu.lg.jp/gifu-map/gifu-related-materials/gifu-writers/hizan-nosui/kishi-takeo.html

天保の人びと / 財団法人大阪国際児童文学館 子どもの本100選 (iiclo.or.jp)
http://www.iiclo.or.jp/100books/1946/htm/frame055.htm
 では 牧書店版 善三男となっていますが、私の所有する1969年第2版では
 装丁・さし絵:内田喜三男となってます。(サイト側の入力ミスかな? あとから連絡先を探して誤字報告を出しておきます。

話を元に戻すと、加賀藩というのは、さすが織田傘下の武力と商業活動(国内貿易)に長けた武将前田利家の経営する領だけあって、一方では武力に裏付けられた組織支配の徹底、他方では地元民の底力(文化・伝統・生産力)を徹底的に活かした経済活動をやっていたなと思う。ビスマルクも真っ青な重商主義、
というか西洋の統治形態は 現地の地勢・風土を知らぬのでいまいちピンとこないが、加賀藩と統治(含む経済政策)ってのは ほんとすごいなと、調べるほどに感心してしまう。
 あと残された文献から受けるイメージと現在に続く当事者(生産者)の話から受ける印象とに齟齬がない点もすごいなと思う。

(同じく織田系列で 着任当時は、前田利家と同じく反抗する農民(地元の自治の要だった人々)の首を並べた山内一豊の土佐藩のその後とはえらい違いだ。これが初代藩主の力量の差でしょう。どちらも地理的に孤立したしかも地方自治が確立していた土地に配流された点では同じなのに)


話を元に戻すと、記事で紹介されていた 避難所運営のかなめとなったのは、防災士の資格を持っていた地元の女性だったようだ。
 つまり 男だけが威張って固まっているだけの補助金つかみ取り組織の名目自治組織ではだめだということ。

 きちんと地元の構成員、つまり男女がともに それぞれの役割を果たしつつ 真の意味で対等に運営している自治組織であったからこそ、非常時には 非常事態に対応できる能力を持った人(女性とか日頃目立たない人)が、リーダーシップをとって 集団活動がとれたということ
 そこを しっかりと 霞が関の住人や 行政担当者に認識していただきたいと思う

何かといえば 民活とか言って、”権力者におもねり金の着服に色気を出す「地元有力者=コネもち・暴力的」に金と役職を与えることが、民活・地元の自治組織の育成 ” と考え行動する「お役所・議員・後援会」が闊歩しているのが
「政治を語る議員さんとその係累が闊歩してい日本」の現実だから。






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