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ジュンチャン


2/11 『建国記念の日』


 建国記念の日は終戦により紀元節から変えられたものです。

 紀元節は古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日をもって定めた祝日です。

 日本書紀で神武天皇が即位したとされる紀元前660年(神武天皇元年)11 (旧暦)の月日を、明治に入り新暦に換算したものだということで、この日は日本書紀では実は正月でもあるという訳です。

 たまには古事記や日本書紀の制定された時代を思い出しながら、大和の国が日本の国になった経緯などを考えるのも楽しいことです。

 大和の国がいつから「日本」と名乗ったのかは、ほぼ確定しているようです。

 そのきっかけは、高句麗・新羅・百済三国の間の朝鮮情勢の不安定化と、663年の白村江の戦いでの決定的な敗戦です。

 倭・百済連合軍は白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に完敗しました。

 朝鮮半島では百済・高句麗が相次いで滅亡し、676年に新羅は朝鮮半島を統一しました。

 天皇を中心とする律令政治体制の確立を急ぎ、唐や新羅に対抗する国を作ることが急務になったのです。

 国際情勢が激変する中で、「日本」という言葉を最初に「国号」として使い始めたのが第40代天武天皇(673年~686年まで在任)です。

 外国から強力な独立力を保つために、国という概念を強く意識し始めた彼は、「中国から見たときに、日が昇る方角にあるのが倭であるため、日の本の国」という意味で「日本」という国名を考えたのです。

 以前は大王だった呼称も、天武の頃から天皇に変わったのです。

 国内的には689年の「飛鳥浄御原令」から、倭は日本という国号表記に変わり、対外的には702年に遣唐使の粟田真人が、則天武后(唐の高宗の皇后で690年自ら即位して聖神皇帝と称し、国号を周と改めた。)に「日本」からの使者だと述べたのが最初とされています。




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