Nicotto Town



この差は何なのか

美大を受けたいとかいう寝ぼけたことを言い出した息子ですが。

昨日、乃木坂にある国立新美術館で開催されている五美大展に出向いてきました。
都内近郊には、武蔵野美術大学、多摩美術大学、東京造形大学、日大芸術学部、女子美術大学、という私立の有名美大があるのですが、その合同卒業制作展です。


衝撃的な内容でした。


五つの大学が一堂に集まると、そのレベルの違いが明確で愕然としてしまいました。

あえて具体的に名指しでは書きませんが。
いや書くかw 別にここで敵つくってもいいやってことで。

武蔵野美術大学(通称:ムサビ)
ここだけが突出してレベルが高い。

そして、想定外に(すみません…)女子美術大学が頑張っている。

あとは、感想を述べる域に達していません。




何がそんなにも違うのか。



五美大展は、油彩、日本画、彫刻、版画など、いわゆるファインアートの学部学科の制作物が出展されるようで、デザインや映像などは出ていません。ここでは話を分かりやすくするために油彩に絞って話をすると、私の感じた実力差の原因のポイントは二つかと思います。

まず第一に考えるべきは、描画力の基礎の徹底具合なんだろうと思います。

ムサビの学生の絵は、とにかく「上手い」。構図や色のバランスなどが、とにかく上手い。油彩の多くは俗にいう抽象画が大多数で、ベタな静物画のような具象的な作品は非常に少ない。なので、私の評価は出展されていた抽象画についてのことになります。

抽象画というと、よく分からないモニョモニョした模様とか、グチャグチャに絵の具を塗りたくったものをイメージするかもしれませんが、あれ、じつは普通は描けないと思います。描けないというのは、「まともには」と言う意味です。

まともな抽象画を描くためには、その前提として、静物画のような具象絵画をキッチリと描ききるだけの描画力が必要です。そういう具象絵画を高いレベルで描ける技術力が備わったうえで、何らかの概念的な理屈を以てその具象性を解体して再構成したり、あるいは概念そのものを可視化していくしていく中で、抽象絵画は出来上がっていきます。適当に色を塗っているわけではありません。それを「絵画」として成立する状態に持ち込むためには、そういう目に見えない曖昧なものを、的確な構図や色彩で表現するための基礎力が必須だと思います。

もちろん、いちいちそんなに生真面目に理屈で考えてはおらず、その場のインスピレーションで適当に描いたりもするわけですが、それでも破綻しないのは基礎がガッチリとあるからで、だから勢い任せで筆を振り回しても、外せない基礎から逸脱しない。逆に逸脱する時は、意図的に逸脱する。意図的に逸脱できるということは、逸脱する前の基本があることが前提です。現代音楽の変な和音構成とか、フリージャズの適当にサックスを吹いているように思えるものも、ぜんぶ同じでしょう。
何を言いたいかと言うと、おそらくムサビの学生は、そこをじっくりと時間をかけて鍛えられてきたんじゃないかと思います、ということ。
言い方を変えると、他大学の残念な抽象画を描いている学生は、静物画などを書かせても、おそらくそれほどのレベルでは描けないのではと想像しています。

そしてもう一つは、先ほどからも出ている抽象画にまつわる良くあるイメージであろう、小理屈、屁理屈。

小さな子供が直感だけで適当に描いた絵が綺麗だったりすることは良くありますが、ただそこに論理はありません。言い方を変えると、センスのある子供が何も考えずに思うがままに描くから美しいのであって、何か考えさせ始めたら、またたくまに絵の魅力は褪せてしまだろうということ。
巧みに構成された抽象概念や、この世界の事象に対する鋭い目線を、誰もが持てるわけではありません。むしろ多くの人はそんなことを練り上げる能力はないはずです。そんな、下手をしたら自分が何を言っているのか自分でもわからないような中途半端な理屈をこねて、しかもそこに基礎的な技術力が伴わなかったとしたら、それがまともな抽象絵画などになるわけがない。その意味でも、ムサビの作品は結構素直だったなど思っています。

ちなみに、他大学の絵で、ちょっと気に入ったものがありました。
おそらく桜の風景。それをそのまま具象的に描きだすのではなく、その風景が醸し出していた質感や、光の存在感のようなものとして描いてみたかったのだろうと思います。言ってしまえば、印象派のようなアプローチがしたかったのでしょう。
テクニック的には、稚拙だと思いました。
でも妙な理屈もこねず、ただ美しいと思ったものを素朴に、でも具象的になり過ぎず、ある意味で風景に重ねた自身の心象風景として、表してみたかった。そんな素直な欲求を感じる、とても好感の持てる画でした。
そう、むしろこれでいい。描くべきものに向き合う心が、そこに素直に現れていれば、下手でも迫るものはそれなりに表現される。そういうものなのだと思います。

ついでに言えば、どこも最近の傾向として、アニメのキャラみたいので作品を作ることが多い。それをサブカルチャーという便利な言葉で括るのは容易いですが、残念ながらそう言えるような作品は、まずない。ですがムサビの出展作品には、そっち系が限りなく少ない。ファインアート専攻としての、「ファインアートをやる」という覚悟の違いなんじゃないかと思います。


それにしても、ムサビの学生と他大学の学生に備わっていたそもそもの能力が、水と油の如くぱっきりと別れて、ムサビだけに優秀な学生が一極集中したとは考えずらい。つまり、この五美大展に現れた明確な差は、まさに学校の実力そのものなんだろうと思います。

もちろん、ムサビ以外の大学の学生の作品にも良い作品はありました。最終的には当人の素質と環境の使い方の問題でしょう。でも、自分から環境を作り出すことと、環境に飛び込むことが出来るのとでは、やはりその差は大きい。


という長々とした話はド素人の私の私見ですから、たわいもない戯言かもしれませんが、なんにしても普通以上に高いお金をかけて美術予備校に通い、そして入れたら入れたで下手な理系よりも高い学費を払うことになるのですから、価値ある選択が出来るように精進してもらいたいものです。


ということで、本日。


息子はMrs. GREEN APPLEのライブに行く、グッズが欲しいから朝から並ぶ、と朝の5時に起きて出かけていきました。いつもは毎日遅刻寸前で学校に行っているというのに。そして会場についてグッズ販売の列に並んでみれば、3番目だったらしく、早すぎたと連絡が来ておりました。

大丈夫か、お前は。。。


追伸
国立新美術館は乃木坂にあるのですが、乃木坂と言えば乃木坂46。
齋藤飛鳥を激推しであったバカ息子が、乃木坂(坂そのもの)が見たいというので出向きました。
そしたら、乃木坂駅6番出口から乃木坂に向かう通りがアルバムジャケットの風景だと言って写真を撮ったり、乃木神社にメンバーの書いた絵馬を見に行くとか、オーディション会場のビルを見つけて喜んでいたり、手が付けられません。最後は乃木坂駅の入口の看板と一緒に写真を撮って帰宅しました。

ちなみに千代田線の乃木坂駅の発車メロディーは、「君の名は希望」です。
ああ、もう一度だけでもセンターで踊る生駒ちゃんを見たいなぁ。。。

そうか、俺の子供なのか、こいつは。。。

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2024/03/04 11:33
結局、この経験云々に限らず、最後は自分が気が付いていくしかないんですけどね。
例えば、全然関係ないけど食事の仕方だって、形式的にマナーを教えても、実はあまり意味がない。立ち振る舞いの美しさとはどういうことか、品位とはどういうことか。体験的に飲み込んで、自分の中で咀嚼して自身の行為に当てはめていけなければ、結局は形をなぞるだけで、それは傍から見ても全然美しくはない。わかっちゃう、そういうのって。マナーの形に添った、ある動きと動きとの間をつなぐ、食事そのものとは関係のないなんと言う事もない所作に、そういうところって全部出てしまう。
何も高級レストランに通えと言っているわけではなくて、きれいな食べ方をする人を見る、それは映画の中でも良いし、そこら辺の食堂でもいい。映画はストーリーを見るだけじゃない。そこらへんの定食屋に出向いても、食べている他の客だったり、あるいはちょっとした調度品や、まだその外の風景だとかの何かに気が付く。それが全部経験だし、それを経験として受け止める意識が大切なんだと思います。結局、その前の経験からそれらを受け止める引き出しがなければ、全部流れて行ってしまう。そういう事かなと思います。

綺麗な食べ方は、その先に行けば自然となされるものだと思います。
私が綺麗に食べているか否かは問わないでください。
これはただの理屈です。。。
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2024/03/04 00:06
>若い時に作られなかった引き出しは、後からはもう作れない。

確かにね。

色んな引き出しを作っておくというもえーんさんの例え、
わたしは「自分の中に種をまく」と表現しているかも。
いつか発芽するかわからないけれど、種がなければそもそも発芽しないし
水や栄養がないと大きくなれない。
だから、親は子供にいろんなことを経験させるんだよねえ。
いろんな本を読み、いろんなものを見て、感じて考えて、種やら引き出しになるんだものね~
もえーんさんがお子さんたちにしているみたいに。
アバター
2024/03/03 21:23
とんとんさん

どうですかね。
昔のように、美大に行くなんてお前は人生を棒に振るのか!と親に激怒されるというようなことは、まあ今どきそこまで多くもないと思います。

一つは、昔はやはり美大に行くというのはファインアートをやることと同義に近かったので、ようするに芸術家ですから、そりゃ並大抵では生活など出来ない。
でも、今はそんなことなくて、なんかイラストとか好きだし、アートとかなんか良くない?くらいの気分で美大にいっても、職業や職種や、なにより会社を選ばなければ、とりあえず食うくらいは結構なんとかなる。
うちの会社にも「デザイナー」という肩書で入社してくる若いのとか、まぁひどいのはチョイチョイいますよ。デザインの専門教育を受けてもいない私に、簡単にダメだしされるような感じで、どう考えても能力がない。でも、そんなんでも就職出来ちゃったりしますからね、ウチに限らず。

息子はMVみたいなのがやりたいと言っています。

若い頃は近しい業界で働いていましたから良くわかりますが、映像系のディレクターが美大出身なんてことは、全然ない。全く関係のないことをやってきた人が、当たり前に映像ディレクターやっている。ある程度のテクニックなんて、センスと追いかけの努力で、後からでもどうにでもなる。
そんなことよりも、そのセンスを発揮できるだけの貯えが重要。どれだけ本を読み、映画を観て、音楽を聴き、漫画もアニメも見て、いろいろな旅をして、色々な景色を見て、いろいろな人と交わり、色々なものを食べ、時に厄介な事や危ないことも経験しながら、そんな人生のプロセスの中で、どんなものに触れ、どれだけのことを考え、どれだけのことに気づいてきたのか。
その引き出しとの多さと、その引き出しの中身を自在に組み合わせられるセンスと、そこに意味を与えることのできるロジカルさ。これが全て。引き出しの中身はいずれ枯渇するけど、引き出しさえあれば、中身の追加はどうにかなる。でも、若い時に作られなかった引き出しは、後からはもう作れない。

そこだと思う。

と言う話は息子にはするけど、どうなんでしょうかね。
アバター
2024/03/03 17:23
発車メロディーの「君の名は希望」、あれを聴くだけで胸が熱くなり
ホームでウルウルしてしまうオバサンがいたら、それは私ですw

まあ、、、どの美大を出たから、その後活躍できるかはまた違う話だし
どういう職業に就くのかも選択肢があるけれどね。
美大を出て画家として食べていけている知人もいれば、
いろんなバイトをしながらいくつになっても親がかりの友人もいる。
グラフィックデザイナーになったもののファミレスでバイトを続けて脚本家を目指している友人もいる。
音大も美大も出てからが大変そうなイメージはあります、わたしには。

息子さん、どうなるのかな。どうするのかな。



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