3月11日
- カテゴリ:日記
- 2024/03/11 17:36:40
今から 13年前の 3月11日
ここでも かなり 揺れました。
私は たまたま 夢の島と呼ばれる 東京都のゴミの埋め立て地を 公園にして
そこを通り抜ける道で「夢の島」といぅ交差点で 4t車で信号待ちを
していました。
そして、それが始まり、1分ほど 大きな揺れが収まり
「津波警報」がラジオから 流れ始めました。
私は 京葉線といぅ千葉と東京を結んでいる電車の高架橋を超え、新木場と
呼ばれる 埠頭地域に入り、急いで リース屋さんに 4t車を返し、
支店長に「津波が来るかもしれないから 避難した方が良いょ?」と
言っても
支店長「いゃいゃ〇〇〇さん(私)、意外に大した事ないっすょ」とか
言っていたので、(知らないぞぉ。。。)と思いましたょ。
私達は ワゴン車で その新木場の埠頭を抜けようと走るのですが、
何だか、街路樹とか街路灯の脇から 水が1メートルほど 吹きあがっていて
初めは「埋設された水道管でも破損したのかな?」と思っていたけれど
なんか おかしい。
そぅ砂の液状化が起こって、道路や建物の下の砂が水と共に 吹き出していての
です・・・ですので、道路全体に ヘドロみたいのが 充満。
車線とか 見えなくなってきたし、排気管がヘドロのより下になると
車が止まるので、みんな 信号無視で とにかく 内陸の京葉線より
中に 逃げました・・・見ていると 道路の下の砂が無くなったのか、
至る所で 大型車やトレーラーの道路の下に穴が開いて 立ち往生が
始まりました。。。
ま、なんとか 内陸に逃げて 自宅まで帰ったのですが、家族が
職場(浦安)から帰れないのと、連絡がつかないので 大騒ぎです。
この騒動は 続くのですが、来年また
( ´艸`)
本当に それは不幸中の幸いです。
私の父は あのJAL123便に乗る予定だしたが、1日日付をづらしたせいで
私は 毎年 新高山にいかなくてすんでいます。
人生は 本当に判らないモノです。
でも翌日が早朝から愛知に住む母と東京駅で待ち合わせて水戸の偕楽園に行く予定だったからその日でなかったのが不幸中の幸いでした(−_−;)
あの日から 仕事が急に無くなったので 仕方なく
第二東名(新東名)に行った記憶がありますょ。
こちらは 原発の事故で 放射線量が爆上がりし、
また 火葬場は 夜中までフル回転していました。
でも、誰も 文句は言いませんでしたね。
職場で仕事中。「揺れてんな」「揺れてますね」そんな会話をしながらまだ揺れが続いていました。
職場の職員食堂で遅い昼休憩してた職員が「地震で津波!!東北のあたり!」
「えーそれでもここらでもこんなに揺れるの」
物が落ちたりは無かったけれど。家に帰り地震の規模に本当に驚きました。