✨ いっぱいもらえました~♬
- カテゴリ:タウン
- 2024/03/24 08:54:48
仮想タウンでキラキラを集めました。
2024/03/24
集めた場所 | 個数 |
---|---|
ニコット山 | 3 |
ビーチ広場1 | 10 |
むかし、両親とあまりいい関係じゃなくって、
家出をしたコトがあります。
夏休みだったんだけど、お祖母ちゃんの家まで歩いて行きました。
そしたら、お祖母ちゃんに、
「なぜ、(わたしの)父親が、おまえに優しくないか、
なぜ(わたしの)母親が、わたしに優しくないかを、調べてきなさい」と、言われました。
ま、細かく書くと、難しい理由はいっぱいあったんですが、
既婚者だった父親が、母親と浮気をし、
出来た子供がわたしで、母親はそれを悲観して、自殺を試みました。
で、右腕が宙を飛んで、我に返った母親は、慌てて病院に行き、
その自殺未遂が原因で、父は自分の実家を追い出され、
母と結婚したわけです。
ま、もちろんそれまで知らない事実だったんですが、
お祖母ちゃんに渡された、出生地と生まれた場所を見て来いと言われ、
父が、大きな地主の息子で、
前の奥さんは、実は、自分のお兄さんの奥さんだった・・・
つまり、昔は地主の息子が早くに亡くなると、
弟が、その奥さんと結婚するという風習だったんだそうです。
その生まれた場所、つまり大阪のど真ん中、北区の小松原町から、
中津までが、父の土地だったそうです。
でも、父の前の奥さんにしてみれば、
父に愛情は(ト―ゼン)無かったのでしょうが、
亡くなったお兄さんの子供二人を養うためにも、
財産を分割するわけには、いかなかったようです。
ま、悲惨な結婚だったんでしょうが、
浮気した相手に子供が出来て、自殺未遂をやって新聞に出るようでは、
いやあ、これもまた大変だったと思います。
いや、わたしが言うのも変だけど、
生まれたのがわたしだとして、わたしに罪はないのだけど、
親にしてみれば「おまえさえいなければ」となった理由は十分解ります。
そりゃ、申し訳ない。
生まれるつもりもなかったけど、生まれてしまったんだから、
いや、もうこれは申し訳ないというしか、他にはありません。
結局、生まれたわたしは、母も心の傷が深く、
父も「おまえさえ、生まれなければ」の恨みも深く、
乳母がついて、育てられました。
だからさ、
知らない人が聞くと、「ばあやが、いたんだって」というだけで、
どんなお嬢様かと思うけど、違う。
両親に育てられなかっただけ。
話を「引きこもり」に戻しますが、
なぜ、親に養われなければいけないのか、よく分らなかったんです。
自分で生きていけばいい。
それだけのこと。
父が相続し損ねた土地も、母が失った右腕も、
わたしには弁証できないくらい高額なものだったけど、
父に土地、母に右腕を返すことができれば、
親の愛情は、もう一度手に入るのじゃないかと考えたこともありましたが、
それは、どちらも無理なことです。
あのね、普通に親に育てられて、
引きこもる理由が、理解できません。
イイじゃん、良い両親でさ。
羨ましいですよ。
良いなあ(^^♪
いやいや。わたしも、そんないい子じゃなかったんですよ。
親不孝者でした。ごめんなさい。
今はね、、この時代、皆さん、幸せになってると思うんです。
だからね、
感謝しないといけないなあと思うんです。
だってさ、洗濯機もあるし、衣類乾燥機だってあるんですよ、ルンバもある。
やっぱり、感謝しないとなあ。
ありがとうございます。
(あ、うちの家、ルンバはないですよ。)
謝る必要なんかないと思うけどなあ。
私の祖母も、お父さんを早くに亡くして、おじさんがお父さんになったという経験があります。
その後お母さんもお姉さんも亡くして、新しいお母さんが来て…違父母弟の世話をしていたとか。
16歳で嫁いで、嫁ぎ先には大舅姑、舅姑、夫の妹6人の12人家族!
当時は近所同士でお風呂を順繰りに焚いて貸し借りする習慣があったんだとか。
お風呂をたいた家の嫁は入るのが一番最後で、お湯がほんの少ししか残っていなかったとか。
そんな話を聞いたのは私が小学生くらいの頃だったから、ぼんやりと、苦労したんだなあっていう感想しかなかったけど、自分だったらそんな生活に耐えられたかどうか。
その後妹6人全員を嫁に出し、息子ばっかり7人も産み…よく頑張ったなあ、おばあちゃん。
花子さんも頑張って生きてきたんですものね。
感謝する心は尊いですけど、謝らなくてもいいと思いますよ。
天国で再会したら、いろいろお話してください。
いやいや、また時代も悪かったんですよ。
そういう意味では、両親二人とも気の毒だったとは思います。
でも、感謝してます。
何も、親孝行ができなかったから、悪いなあと思っています。
それも、ごめんなさい。
なんか、違うなーと思ってたんです。
ごめんなさい、そうだ、「弁償」です。
すみません。
あれ、弁証法的唯物論の名残かな。
ごめんなさい。
それを子供のせいにして辛く当たるのは、お門違いというもの。
失礼ながらご両親の精神の未熟さではないでしょうか。
子供心に、失ったものを取り戻せば愛してくれるのかもと思うのは、自然なことかもしれませんが、そもそもそれはご両親の自業自得であり、はなこさんが償わなければならないものではありません。
そんな超逆境を乗り越えて、前向きに生きるはなこさんは尊敬に値しますね。
あと、弁証じゃなくて弁償では?
日本語を愛しているので指摘せずにはいられなくてスミマセン。
父親はさ、勝手に決められた結婚だったから、浮気したんじゃないかって思うの。
前の奥さん、ごめんなさいね。
で、母親に、「堕胎する気、無かったのか?」って聞いたら、
昔はよく、堕胎で死んだ人が出たんだって。
それに、恐かったって言ってました。
でも一生かかって、右手のない人生を送ったんですよ、
よく頑張ったなって思うんです。
わたしも、真似をして、左手だけで顔を洗ったんだけど、
全然、石鹸が落ちないのよ。
気の毒だと思うの。
お父さん、お母さん、よく頑張りました。
産んでくれてありがとうございます。
不倫しなければ良かっただけの事。
その結果できた子供に責任転嫁ってどんだけクズだよ。
自分達の過ちを他に転嫁するな。
私は浮気、不倫は絶対許せない派です。
いや、誤解の無いように言っておきますが、
お祖母ちゃんは、「うる星やつら」のチェリー坊のようなクソババあで、
正直、アイツの言うことは話し半分くらいにしか、想像できませんでした。
でも戸籍抄本とか一つ一つ調べていくと、父親の前の奥さんが、わかったり・・・
いろいろショックでした。
でも、それらは、わたしには悲しいことではなかったんです。
「いやあー、良く生きてこれたぜ!」って、ダンジョンから出てきた勇者のような気分でしたから。
「生きるしかない」それしか、無かったんです。
あ、それに美術も、面白かったし。
いえいえ、当時は「うへーっ!」「ひゃー」「げろげろ(いや、これはないか)」だったんですが、
何で、わたしの本籍が北区の小松原町だったか。
「小さい時の写真に、テレビの画面が写ってる」(そこに父が居た!)とか、
ショックなことは山のようにありました。
大きな事実は、北区の土地、母親の右手だったんです。
弁証できない。
何とかして、弁証したかったんだけど、
北区の土地は・・・ああ、大阪で一番高い土地じゃないの。。。
つまり、両親が失ったものを、返してあげることはできなかったんです。
だから「生まれてきて、ごめんよ~」になるんです。
いや、生まれちゃったものは仕方がないから、「ごめんよ~」しか言えないんですけどね。
それ以外に、わたしに悪いトコないしさ。
だから、奨学金を獲るとか、特待生優遇処置を獲るとか必死でした。
美術展や学生展も、成績がすべてでした。
必死でしたぜ。
「今、生きる」それしか、無かったんです。
一文無しで生まれてきて、土に帰るしかなかったんです(今もだけど)
ありがとうございます。
まだ子供だったはなこさんに、この子には今シッカリ現実を教えておかなければこの子のためにならないと、そして、この子なら真実をきちんと受け止めて自分の足で立っていられるとご判断されたのでしょう。
大人になっても引きこもり出来るって、たぶん居心地の良い部屋なんですよね。
なんやかんや言っても全部やってくれる親がいて、子供のままでいられる境遇なんですよ。
精神的に病んでしまっての引きこもりの人は治りたいと思って、ちゃんとお医者様にかかるもん。
どうにかして引きこもらずに出ていきたいと頑張っていますよ。
家がいやだったら、早くこんな所から出て行こう、こんな家族から離れたいと考えるんじゃないかな・・・
こういう言い方をすると、「冷たい」「厳しすぎる」って非難する人もいると思いますが。
>お祖母ちゃんに渡された、出生地と生まれた場所を見て来いと言われ、
このお祖母ちゃんも凄い人ですね
孫に含み教えるのではなく、自分で調べて来いと行かせるなんて・・・
自ら出生の秘密を知り、生まれてきた意味を考えたことは辛いけど生きる糧になったと
推察します
まさに『神は乗り越えられない試練は与えない』
(新約聖書のコリントの信徒への手紙 第10章13節より)
であり、これだけ大きな試練を与えられ乗越えたことは、はなこさんの魂の大きさを
示していて、多くの人に勇気を与えてくれるように感じます
はなこさんが同じ時代に生まれてきてくれて出会えた事に感謝!長生きしてくださいね!!
お家が裕福で、大きな家に住んで、お母さんが食事を作っています。
わたし、「引きこもり」がどーだとか、そんな意見は何もないんです。
家が裕福だったら、それで良いじゃないかと思うんです。
北海道の事件みたいに、餓死したとして、それはそれで、また仕方ないじゃないかとも思うんです。
そういう時代になったんだなあと思うんです。
ありがとうございました。
だから、ひきこもりの居る家って、裕福な事が多いようです
お祖母ちゃんは、全然!優しくなかった!
長女(わたしの母親)が、「カタワになって、ててなし子を産む!」放送禁止用語だらけですが、
祖母からも祖父からも、わたしは嫌われていました。
まあ、だけど、当時、そんな事情は知らなくって、
知り合いと言うとおばあちゃんちしかなかったんです。
で、夏休みの間に(家においてやるから)、父の家を見て来い!と命令が下ったわけです。
ただ、乳母だけはね、わたしを超甘やかしました。
わたしに両親以上の愛情、祖母、祖父以上の愛情をくれました。
もう、この世のものとは思えないくらいに、わたしに愛情をくれました。
乳母が亡くなった時に、岡山の山をくれるという遺言があったのですが、
父が、乳母の親族に返しました。
乳母が、自分の子供以上に、わたしを愛してくれましたよ(他人だけど)
ショックが大きくって・・・
いえいえ、土地の広さと。人間の腕一本、これが返せるかどうかだったんです。
生まれた時から、そんな家だったから、わたしには怨みも何もなかったんです。
「なんでかなー」と思うだけで。
でも、あの両親からでないと、今のわたしは存在しません。
だから、感謝してます。
おばあちゃんは優しくしてくれた?
はなこさんは頑張って来られたと思うんです。
折角この世に生まれたのだから、自分の幸せのために人一倍頑張って来られた。
ショックが大きくてなかなか理解が進みません。
それで、引き篭もってしまう人達が理解できないと…。(´ω`) ンー…